MEDIA DOGS

ドリー・ファンク・ジュニアさんが85歳で死去 WWEが発表、NWA世界ヘビー級王座に君臨

ドリー・ファンク・ジュニアさんが85歳で死去 WWEが発表、NWA世界ヘビー級王座に君臨

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

元NWA世界ヘビー級王者でWWE殿堂入りしているドリー・ファンク・ジュニアさんが8月4日、85歳で死去した。WWEが4日(日本時間5日)、公式サイトで伝えている。弟のテリーさんと組んだ「ザ・ファンクス」で日本でも人気を集め、NWA世界ヘビー級王座には4年3カ月にわたって君臨した。死因は公表されていない。

↓ 詳細が気になる方は、このまま下へ ↓

WWEが公式サイトで訃報を伝えた

WWEは4日、公式サイトで「WWE殿堂入りを果たし、多大な影響力を持つレスリング・トレーナーでもあった氏の訃報に接し、深い悲しみを覚えています」と伝えた。同じ記事では「伝説的なファンク・レスリング一家の一員であるドリー・ファンク・ジュニアほど、タフで尊敬を集めたレスラーはそういなかった」とも記している。

WWEの最高コンテンツ責任者で、レスラーとしてはトリプルHの名で知られるポール・レベック氏も追悼のコメントを出した。ドリーさんのスタイルが数え切れないほどのレスラーに影響を与えたとし、北米とアジア各地を回った巡業を「このビジネスを世界的な現象へと発展させる初期の青写真の一部だった」と振り返った。その上で「頑固で闘志あふれる競技者」と評し、リング上の無骨なスタイルすら、数十年を注いだ後進の育成には及ばなかったと記している。

息を引き取ったのは長年暮らしたフロリダ州オカラ。妻のマーティさんは地元紙オカラ・ガゼットの取材に、ホスピスケアを受けている最中に亡くなったと明かした。プロレスOB会「カリフラワー・アレイ・クラブ」も同日、訃報を伝えている。全日本プロレスは5日、公式サイトに「四代目PWF会長ドリー・ファンク・ジュニアさんが日本時間2026年8月5日、85歳でご逝去されました」とお悔やみを掲載した。

28歳で戴冠、1563日続いた長期政権

1941年2月3日、米インディアナ州に生まれ、レスラーとプロモーターを兼ねた父ドリー・ファンク・シニアさんのもと、テキサス州アマリロで育つ。大学ではアメリカンフットボールに打ち込み、1963年1月にプロレスラーとしてデビューした。

転機は1969年2月11日に訪れる。フロリダ州タンパでジン・キニスキーを破り、NWA世界ヘビー級王座に就いた。28歳での戴冠だった。

王座を明け渡したのは1973年5月24日、ミズーリ州カンザスシティーでのハーリー・レイス戦。在位は4年3カ月、日数にして1563日に及んだ。同王座の歴史ではルー・テーズさんに次ぐ2番目の長さで、WWEも訃報を伝えた記事でこの記録に触れている。ベルトを腰に巻いたまま4回の誕生日を迎えた計算になる。

馬場、猪木と60分フルタイムを闘った初来日

王者として初めて日本の土を踏んだのは1969年11月のことだ。日本プロレスのリングでジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんと相次いで顔を合わせ、いずれも60分フルタイムを闘い抜いた。

とりわけ同年12月2日、大阪府立体育会館での猪木さんとの一戦は語り草になる。猪木さん自身が後に、自らのベストバウトとして名前を挙げた試合だった。

ドリーさんの持ち味は、荒々しさよりも試合の組み立てにあった。得意技はダブルアーム・スープレックスにエルボースマッシュ、そしてファンク一家に受け継がれたスピニング・トーホールド。派手な大技で沸かせるタイプではなく、じっくりと相手を追い込む正統派の王者像が日本のファンに刻まれる。

弟テリーさんと組んだ「ザ・ファンクス」が日本を沸かせた

1970年代、ジャイアント馬場さんが率いた全日本プロレスを主戦場にすると、弟テリーさんと組んだ「ザ・ファンクス」が日本のマットで絶大な人気を集めた。外国人選手といえば悪役が当たり前だった時代に、二人は客席から声援を受ける側に回る。なぜか。

答えは兄弟の対照にあった。正統派のレスリングで冷静に押す兄と、感情をむき出しにして場内を巻き込む弟。かみ合わせの妙が、そのまま試合の面白さになった。

人気が頂点に達したのが1977年12月15日、東京・蔵前国技館で行われた全日本プロレス創立5周年記念「世界オープンタッグ選手権」の最終戦だった。アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組との一戦は流血戦になり、最後はテリーさんが反則勝ちを収めて優勝を決めている。この大会は翌年から「世界最強タッグ決定リーグ戦」に姿を変え、全日本の看板シリーズとして続く。

弟のテリーさんは2023年8月23日に79歳で亡くなっている。

道場で後進を育て、2009年に弟と殿堂入り

現役を退いた後も、ドリーさんはリングから離れなかった。1990年代にはWWF(現WWE)の新人育成道場「ファンキン・ドージョー」で指導にあたり、その後は妻マーティさんとフロリダで自身のレスリングスクール「ファンキング・コンサーバトリー」を運営する。

この二つの道場から巣立った顔ぶれが、2000年代のWWEを支えた。カート・アングル、エッジ、クリスチャン、ハーディー・ボーイズ、マーク・ヘンリー、ミッキー・ジェームス。WWEが訃報で名前を挙げた教え子だけでも、これだけ並ぶ。

2009年4月には弟テリーさんとともに「ザ・ファンクス」としてWWE殿堂入りを果たした。セレモニーで二人をたたえたのはダスティ・ローデスさんだった。父のドリー・ファンク・シニアさんも2025年、WWE殿堂のレガシー部門に名を連ねている。

日本との縁も途切れなかった。2013年10月、全日本プロレスの王座を管理・認定するPWFの4代目会長に就任。2024年9月には三冠ヘビー級王座戦の会見に、会長として同席している。

83歳で立った最後のリング、弟に捧げた「フォーエバー」

最後に日本のファンの前に姿を見せたのは2024年8月24日。弟テリーさんの一周忌に合わせて神奈川・川崎で開かれた大会に、83歳で出場した。大仁田厚さんらと対戦する電流爆破デスマッチで、自身も電流爆破バットの直撃を受ける。それでもドリーさんはスピニング・トーホールドを繰り出し、後を受けたパートナーの西村修さんが同じ技で相手をギブアップさせ、白星で締めくくった。「日本人最後の弟子」と呼ばれた西村さんは、翌2025年2月28日にステージ4の食道がんのため53歳で亡くなっている。

試合後、ドリーさんが残した言葉は「ネバー・クイット、フォーエバー」。これが確認できる範囲で最後の試合になった。

1963年に始まったキャリアは、60年を超えて続いた。NWA世界王者として君臨した4年3カ月より、リングに立ち続けた歳月のほうがはるかに長い。

マーティさんによれば、家族による私的な式を先に行い、11月の感謝祭の日には、ドリーさんと弟テリーさん、そして日本の著名な関係者を合わせて追悼する公開の式を開く予定という。詳細は後日発表される。

[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]

寄稿者

久遠(KUON)
WEBライター(主にスポーツ記事)経験7年。スポーツ、格闘技が好きで、ボクシング世界チャンピオンが主宰するジムに4年間在籍。自分でも練習を重ね、”3分”の過酷さと濃さを体で知る。観戦もライフワークで、会場には年4回ほど足を運ぶ。選手目線の実感とファン目線の熱量、その両方を武器に、試合の見どころやリングのリアルをライター経験を活かしてわかりやすく伝えます。

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

ライフハック/実用

More

グルメ

More

エンタメ

More

社会/ニュース

More

旅行/スポット

More

ファッション/ビューティー

More
Return Top