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松井秀喜の父・松井昌雄さん(84)の職業と経歴 小松製作所勤務からミュージアム館長へ、香西かおりとのデュエットや息子への手紙の著書も

松井秀喜の父・松井昌雄さん(84)の職業と経歴 小松製作所勤務からミュージアム館長へ、香西かおりとのデュエットや息子への手紙の著書も

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巨人の新監督に就任した松井秀喜(52)の父・松井昌雄さん(84)は、石川県能美市の「松井秀喜ベースボールミュージアム」で館長を務めている。若いころは小松製作所で21年働き、2003年には演歌歌手の香西かおりとのデュエットで歌手デビューもした。息子へ送り続けた手紙は2冊の本になっている。昌雄さんの職業と歩みを、時系列でたどる。

松井昌雄さんの職業はミュージアム館長

昌雄さんの現在の肩書きは、松井秀喜ベースボールミュージアムの館長だ。能美市にあるこの施設は、1994年7月に「松井秀喜 野球の館」として開館し、2005年12月の新築リニューアルで今の名前になった。

息子の名前を冠した館で、地元から秀喜の歩みを伝える立場にある。2003年に出した著書の著者紹介によると、館長に就いたのは開館と同じ1994年。翌1995年には株式会社オフィスルリの代表取締役にも就任した。

金沢生まれ、中学を出て小松製作所へ

同じ著者紹介によると、昌雄さんは1942年に金沢市で生まれた。旧姓は西尾。1957年に中学校を卒業すると、小松製作所の粟津工場に入社している。

働きながら学び続けた人だ。1960年に小松製作所工科学校を卒業し、1967年には石川県立金沢泉丘高校の通信制も卒業した。

1969年に松井家の養子となり、1978年に小松製作所を退社した。入社から数えて21年。秀喜が生まれた1974年は、まだ会社勤めを続けていた時期にあたる。退社の翌年、1979年に宗教法人瑠璃教会の代表役員に就任した。

松井昌雄さんの略歴

年出来事
1942年金沢市に生まれる(旧姓・西尾)
1957年中学校を卒業し、小松製作所の粟津工場に入社
1960年小松製作所工科学校を卒業
1967年石川県立金沢泉丘高校の通信制を卒業
1969年松井家の養子となる
1978年小松製作所を退社
1979年宗教法人瑠璃教会の代表役員に就任
1994年「松井秀喜 野球の館」の館長に就任
1995年株式会社オフィスルリの代表取締役に就任
2003年3月著書「秀さんへ。 息子・松井秀喜への一七八通の手紙」を出版
2003年11月香西かおりとのデュエット曲「ゆきずり物語」を発売
2004年1月子育ての本「パパゴジラのまっとうな男の子の育て方」を出版
2005年4月手紙を216通に増やした文庫版を出版
2005年12月野球の館が新築リニューアルし、松井秀喜ベースボールミュージアムに

2003年に香西かおりとのデュエットで歌手デビュー

昌雄さんは歌手としての顔も持つ。2003年11月、香西かおりとのデュエット曲「ゆきずり物語」を出した。名義は「香西かおり & 松井昌雄」で、カップリングには「雪の花」が入っている。

発売元の紹介によると、昌雄さんは、カラオケ教室で多くの生徒を指導する作曲家・乙田修三さんの一番弟子だった。数々の大会で優勝した腕前で、地元の金沢でも歌のうまさで知られていたという。

「ゆきずり物語」は乙田さんが作曲したデュエット曲で、師匠から弟子への贈り物として託された。昌雄さんはもともと香西の熱心なファンで、食事を共にした縁もあり、デュエットの話がまとまった。

息子へ送り続けた手紙が2冊の本に

父と子の関係を知る手がかりは、昌雄さんの著書にある。2003年3月に出した「秀さんへ。 息子・松井秀喜への一七八通の手紙」は、石川の自宅から秀喜に送り続けたおよそ10年分のFAXをまとめた一冊だ。息子の成長を見つめ直しながら、昌雄さん独自の教育観や、海を渡る息子への思いをつづっている。

出版は、秀喜がヤンキースでメジャー1年目を迎えた年にあたる。2005年4月には文庫版が出て、ヤンキース移籍後に送ったメールを加え、手紙は216通に増えた。手紙はいつも「秀さんへ。」の呼びかけで始まり、紹介文では「父子対等」の教育観が込められていると説明されている。

「さん」付けで呼び、決めるのは子ども

秀喜の少年時代をたどった書籍には、昌雄さんの子育てが描かれている。家では子どもを「さん」付けで呼び、呼び捨てにするのは注意するときだけ。半人前として扱わず、一人の人間として接する方針だった。

息子が自分から興味を示したことには賛成し、聞かれれば情報を出して選択肢を示す。ただし、決めるのは子どもだ。小学5年生の秀喜が柔道と野球のことで相談したときも、返事は「秀喜の好きなようにやればいい」だった。高校卒業後は進学してほしいと考えていたが、プロ入りを選んだ息子の決断を尊重したという。

昌雄さん自身も、2004年1月に子育ての本「パパゴジラのまっとうな男の子の育て方 松井秀喜を育てた父の実践ノート」を出している。

最近の話題は息子の巨人監督就任

秀喜は10月23日に巨人の新監督として就任会見に臨んだ。契約は来季からの3年で、背番号は恩師・長嶋茂雄さんが初めて監督を務めた時と同じ90に決まった。

昌雄さんは翌24日、館長を務めるミュージアムからテレビの生中継に出演した。「家族はニューヨークですから、監督を務めることが物理的に無理だとずっと思ってました」と驚きを明かし、会見での息子の様子には「明るくてびっくりした。安心しました」と語っている。

新しいチームへの注文は、勝ち負けより先に「希望」だった。

昨今、世界的に暗い話題も多いので、野球を通じて希望を与えられるようにそんなチームを作ってほしいです

「秀さん」と呼びかけ、手紙を送り続けてきた父は84歳。息子の新しい挑戦を、能美市の館から見守る。

関連記事:松井秀喜の監督就任に能美市の父・昌雄「実は今日知ったんですよ」 星稜高の恩師も期待

[文/構成 by 飯田タツヤ]

寄稿者

飯田タツヤ
時事ニュースを中心に、社会の動きから芸能・スポーツの話題まで幅広く書いているWebライターの飯田です。ライター歴は6年。心がけているのは、発表や報道で確認できたことと、まだ分かっていないことを分けて書くこと。「何が起きて、暮らしにどう関わるのか」を最初に整理しています。休日はラジオを流しながらの散歩とサウナ。

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