宮沢和史、24時間テレビで「島唄」を熱唱 三線とエイサー演舞、元THE BOOMの現在

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
元THE BOOMの宮沢和史(60)が8月30日、日本テレビ系「24時間テレビ49-愛は地球を救う-」に出演し、代表曲「島唄」を熱唱した。舞台は東京・両国国技館。三線を手にエイサー演舞を背に歌う姿に、SNSでは驚きと喜びの声が広がった。還暦を迎えてなお衰えない歌声が、多くの視聴者の記憶を呼び覚ました。
国技館に登場、三線で「島唄」熱唱
「24時間テレビ49」は8月29日18時30分に始まり、30日20時54分に終わった。総合司会は内村光良、羽鳥慎一、水卜麻美の3人。
30日午後、水卜が”子宝の島”と呼ばれる鹿児島県の離島・徳之島を訪ねたVTRが放送された。ある家族の出産に密着した内容だった。徳之島町は2018〜22年の合計特殊出生率が2.25と全国トップで、全国平均の1.33を大きく上回る。周囲の天城町、伊仙町も上位に入っており、島ぐるみで子育てを支える”結いの精神”が背景にあるという。「わたしの家族の話」というテーマを掲げる今回の放送のねらいに、そのまま重なる取材先だった。VTRが終わると、羽鳥が「日本の島と言えばこの歌です」とアナウンスし、国技館のステージに宮沢が姿を見せた。
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宮沢はエイサー演舞を背に、三線を弾きながら「島唄」を熱唱した。かつてTHE BOOMのボーカルとして全国にこの曲を届けた本人が、地上波の大舞台でその歌声を響かせた瞬間だった。
ひめゆりの記憶から生まれた「島唄」
宮沢は1966年1月18日、山梨県甲府市生まれ。明治大学卒業後の1986年にロックバンドTHE BOOMを結成し、1989年にメジャーデビューした。
「島唄」の原型は1992年1月発売のアルバム『思春期』に収録された。同年12月には沖縄の言葉で歌う”ウチナーグチ・ヴァージョン”が先行発売され、沖縄県内で人気に火が付いた。翌1993年6月に発売された全国仕様の”オリジナル・ヴァージョン”はオリコン最高4位を記録し、2作を合わせた出荷枚数は150万枚を超える。第35回日本レコード大賞のベストソング賞を受賞し、同年の紅白歌合戦にも出場した。
作曲のきっかけは1991年の沖縄取材だった。宮沢はひめゆり平和祈念資料館を訪れ、沖縄戦で学徒隊に動員された女性から体験を聞いた。サトウキビ畑で遊んだ幼なじみが地下壕で永遠の別れを迎える歌詞は、表向きは恋の唄だが、沖縄戦の悲劇と平和への願いを重ねている。
頸椎の病で解散、活動再開までの道のり
順調に見えたキャリアには転機もあった。2013年11月、宮沢は頚椎症性神経根症と診断され、約4カ月の活動休止を発表した。手術は困難が予想されるとして見送られ、宮沢はリハビリや東洋医学も取り入れながら自然治癒力による回復をめざすことを選んだという。
実はTHE BOOMにとって、活動休止は今回が初めてではなかった。1997年にも宮沢は一度活動を休んでソロに専念し、1999年に再始動した過去がある。2006年には新バンド「GANGA ZUMBA」も結成し、活動の幅を広げている。
2014年12月、宮沢はメンバーに負担をかけたくないとの思いからTHE BOOMの解散を決めた。日本武道館公演を最後に、バンドは28年の歴史に幕を下ろした。2016年1月には頸椎ヘルニアの悪化により、歌唱活動を無期限休養すると発表した。手術する場合は声帯を移動する必要があり、失敗すれば下半身不随になる可能性もゼロではないと医師から説明されたためだった。だが完全に歌をやめたわけではなく、2017年1月、宮沢は自身のSNSで少しずつ活動を再開していく意思を明かした。2019年5月にはデビュー30周年に合わせた新作アルバムを発表し、本格復帰を印象づけている。収録曲には、盟友関係にあるKinKi Kidsへ提供した楽曲のセルフカバーも含まれていた。以降はソロで全国を回っている。
沖縄との縁も切れていない。宮沢は読谷村で2012年に発足した「くるちの杜100年プロジェクト」の名誉会長を務め、沖縄県立芸術大学でも講師を務めてきた。三線の棹に使う琉球黒檀”くるち”は沖縄戦で多くが失われ、現在は入手が難しい希少材となっている。育つまでに100年以上かかるとされる木を今から植え、次の世代の三線文化につなごうという活動だ。2024年には音楽活動35周年を迎え、記念アルバム『~35~』を発表し、東京・日比谷と大阪で記念公演を開いている。
還暦の生歌声にSNSが沸いた
放送を見た視聴者の反応は早かった。スポニチアネックスによると、放送直後からSNSには「久しぶり見たな 還暦なのに若いなぁー」「今も健在のMIYAの力強い歌声、生で聞けて良かった」「本物だ!貴重だ!」といった声が相次いだという。宮沢和史という名前とともに、懐かしむ投稿が広がった。
エイサー演舞を伴う演出も反響を呼んだ。徳之島の出産VTRから国技館での生演奏へとつながる構成には、離島の暮らしと沖縄音楽を結び付ける狙いがうかがえる。
「沖縄には借りがある」その先の一歩
宮沢は2022年、沖縄タイムスの取材に「沖縄には借りがある」と語っている。山梨にあった米軍基地が沖縄へ移駐した歴史を踏まえ、本土全体が沖縄の歴史や基地問題と向き合う必要があると考えているという。今回の「島唄」熱唱も、そうした思いの延長線上にある一幕だった。
35周年を経てなお現役で歌う宮沢にとって、24時間テレビという全国区の舞台は、沖縄の物語を届け直す機会にもなった。三線の音とともに歩んできた歌手人生は、還暦を過ぎてもなお続く。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]










































































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