ドリー・パートンさん死去、80歳 昨年先立たれた夫カール・ディーンさんと約60年、子供はいないが甥姪から「アント・グラニー」と慕われた

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「ジョリーン」や「9 to 5」で世界に親しまれたドリー・パートンさんが、80歳で亡くなった。米テネシー州の貧しい山あいで育ち、カントリー音楽の女王と呼ばれた歌手だ。歌だけでなく、遊園地づくりや子どもへ本を贈る活動でも知られた。ふるさとと家族を歌い続けた生涯だった。
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カントリー音楽の女王、80歳で死去
歌手のドリー・パートンさんが8月25日、米テネシー州ナッシュビルのがんセンターで80歳で亡くなった。短期間のがん闘病の末だったといい、8月21日ごろから入院していた。訃報は、20年以上にわたり警護を担ってきたおいのブライアン・シーバーさんが、家族を代表して動画で伝えた。シーバーさんは「この役目を担えたことは光栄でした。大きな誇りと、深い悲しみが入り混じる思いです」と語った。がんの具体的な種類は明らかにされていない。
家族の声明には、パートンさん自身の言葉が添えられた。重いラインストーンを身にまとって生きてきたのだから、最後はやわらかな綿のベッドで休みたい。生前、そう話していたという。
米国では、トランプ大統領が半旗を掲げるよう指示した。「彼女のような人はこれまでいなかったし、これからも現れない」。政界や音楽界からも、追悼の言葉が相次いだ。
12人きょうだいの4番目、貧しい山あいからナッシュビルへ
ドリー・パートンさんは1946年1月19日、テネシー州東部の山あいに生まれた。12人きょうだいの4番目にあたる。農業で生計を立てる一家は貧しく、子ども時代の暮らしは質素だった。
その原風景は、のちの代表曲に何度も顔を出す。1971年の「コート・オブ・メニー・カラーズ」は、母が端切れを縫い合わせて作ってくれた上着を歌ったものだ。貧しさをからかわれても、母の愛情がこもった一着を誇りに思う。そんな少女の心が、素朴な言葉でつづられている。
高校を卒業したのは1964年。その翌日には、歌手を志してナッシュビルへ出た。1967年からはテレビの人気番組「ポーター・ワゴナー・ショー」に加わり、名前を広げていく。
「ジョリーン」から映画『9 to 5』へ 歌と物語で築いた地位
転機は1970年代に訪れる。1974年、恋人をめぐる複雑な思いをつづった「ジョリーン」が、カントリーチャートの首位を走った。同じ年、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」も1位に届く。長く二人三脚だったワゴナーのもとを離れる決意を重ねた曲だと、のちに本人が語っている。
この「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、1992年にホイットニー・ヒューストンがカバーし、世界的な大ヒットになった。作り手の手を離れ、世代も国も越えて歌い継がれた一曲だ。
1980年には映画『9 to 5』に主演し、同名の主題歌も自ら手がけた。この曲は翌81年の初めにカントリーチャートで首位を走り、続いてポップとアダルト・コンテンポラリーでも頂点に届く。ケニー・ロジャースとのデュエット「アイランズ・イン・ザ・ストリーム」も、1983年に大きなヒットになった。書いた曲は生涯で3000曲を超えるとされ、グラミー賞にも何度も輝いている。
遊園地と「本を贈る」活動 歌の外に残したもの
歌の外にも、大きな足跡を残している。ふるさとテネシー州に自分の名を冠した遊園地「ドリーウッド」を開き、地元の雇用と観光を支えた。
とりわけ力を注いだのが、子どもへの読書支援だ。「イマジネーション・ライブラリー」と名づけた活動で、就学前の子どもたちのもとへ毎月、無料の絵本を届け続けた。学びの機会に恵まれなかった自身の記憶が、この取り組みの根っこにある。
2022年11月には、ロックの殿堂入りを果たす。当初は自分をロックの人間ではないとためらったが、最後は栄誉を受け入れた。カントリーの枠を越えて愛された、その証だ。
家族と晩年 夫を見送り、体調と向き合った日々
私生活では、1966年にカール・ディーンさんと結婚した。夫は表舞台にほとんど姿を見せず、約60年を静かに寄り添った。二人の間に子どもはいない。そのぶん大勢の甥や姪をかわいがり、彼らから「アント・グラニー」の愛称で慕われた。進学を望む子には学費を援助したという。
そのカール・ディーンさんを2025年に見送ってから、パートンさんは体の不調と静かに向き合うようになる。それまで後回しにしてきた健康の問題に、あらためて目を向けたと明かしている。腎臓結石や、免疫・消化器の不調を口にしていた。2026年5月には、ラスベガス公演の中止も伝えている。
亡くなる数日前にも、ファンへ動画でメッセージを送っている。ドリーウッドでの登場を取りやめた理由を、「少しめまいがして、脱水を起こしている」と自分の言葉で説明した。気丈な語り口は、いつもの彼女のままだった。
「ジョリーン」も「9 to 5」も、もとをたどれば、貧しい山あいの暮らしと家族への思いに行き着く。歌でふるさとを描き続けた人が、静かに生涯を閉じた。
[文/構成 by 小川 そら]






























































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