天山広吉、引退試合で小島聡に敗れ現役引退 両国は7777人の超満員札止め

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
新日本プロレスの天山広吉(55)が8月15日、東京・両国国技館で引退試合に臨み、盟友の小島聡と一騎打ちを行った。9分22秒、小島のラリアットに沈み、1991年のデビューから35年にわたって貫いた新日本一筋のキャリアに幕を下ろした。大会「G1 CLIMAX 36〜天山 引退〜」は前売り券が完売し、両国国技館は超満員札止めの7777人で埋まった。
小島のラリアットに沈む、代名詞のモンゴリアンチョップ10発
試合は当初5分1本勝負の予定だったが、天山がリング上で「おいコジ、5分1本勝負じゃなく、時間無制限でやろうぜ」と小島に持ちかけ、時間無制限1本勝負に変更された。天山は代名詞のモンゴリアンチョップを計10発繰り出し、コーナーからムーンサルトプレスを狙う場面もあったが、小島に阻止された。長年のダメージで思うように走れない体を引きずりながらの攻防となり、小島の1発目、2発目のラリアットはカウント1で返した。しかし3発目のラリアットを浴び、9分22秒でフォールを許した。
2025年5月の手術から回復届かず、5月11日に引退発表
天山は頚椎後縦靱帯骨化症や右膝の変形性膝関節症を抱えながら試合を続けてきた。2025年5月には国の難病指定を受けている黄色靱帯骨化症と腰椎の手術を受けたが、術後の回復は思うように進まなかった。「背中がビーンとしびれ、下半身に力が入らなくなった」という状態に直面し、現役続行は困難と判断した。2026年5月11日、8月15日の両国大会を最後に引退すると発表している。ラストマッチの相手には「私にとって、タッグで組んだり、時にはシングルで戦った生涯のライバルである小島聡選手とシングルマッチをやりたいと思います」と、小島を指名した。
テンコジ結成27年、IWGPタッグ王座を通算6度奪取
天山と小島の関係は35年前、小島のデビュー戦にさかのぼる。小島は試合前「今から35年前のデビュー戦で俺に胸を貸してくれた天山さんの最後の試合を俺が務めさせてもらえることになった」と振り返り、「いろいろな意味で気持ちをしっかり持って8月15日を迎えたい」と決意を語っていた。両者は1998年11月にタッグチーム「テンコジ」を結成し、翌1999年1月4日の東京ドーム大会で天龍源一郎・越中詩郎組からIWGPタッグ王座を奪取した。以降もIWGPタッグ王座を通算6度手にする一方、シングルでも幾度となく激突し、盟友でありライバルでもある関係を築いてきた。35年前にデビュー戦の胸を借りた恩を引退試合で返した小島との一戦は、テンコジとして歩んだ歴史の集大成となった。
まさかの飯塚高史登場、決裂した「友情タッグ」が握手で和解
引退セレモニーに入ろうとした瞬間、会場には飯塚高史の入場曲が流れた。天山は「飯塚さん、やっぱり来てくれたな」とリングに呼び込んだが、飯塚は攻撃的な素振りを見せる。小島が助太刀に入ろうとすると、天山はそれを制止し、飯塚に向かって「俺たちに友情ありましたよね?応えてください!」と繰り返し呼びかけた。天山と飯塚は2008年にタッグチーム「友情タッグ」を結成しながら、飯塚の裏切りによって早々に解消した過去がある。葛藤の末、飯塚は握手に応じて和解し、天山の手を挙げて健闘をたたえた。もっとも、飯塚は退場時に実況の野上アナウンサーのシャツを引き裂いて去っており、最後まで“らしさ”を残す幕切れとなった。
長州力が羽交い絞め、蝶野正洋が惜別のビンタ
セレモニーには長州力もサングラスに短パン姿で登場し、天山を羽交い絞めにした。その状態の天山に、蝶野正洋が惜別のビンタを見舞う場面もあった。蝶野はマイクを握り「ケガと健康を戻すため、治療とリハビリを続けて頑張ってください」と語り、深々と頭を下げた。前石川県知事の馳浩も久々に新日本のマットに上がった。DeNAの三浦大輔前監督は自身のテーマ曲「リーゼントブルース」に乗ってリングインし、鈴木尚典1軍打撃戦術・育成コーチとともに花束を贈った。会場にはこのほか中邑真輔、オカダ・カズチカ、高橋ヒロム、小橋建太からも花束が届き、労いの気持ちはプロレス界と野球界の双方から寄せられた。
「悔いなく次のスタートに立てる」、セレモニー後に倒れ込む
天山はリング上のラストメッセージで「この両国でみなさんに見守られながら最後の試合を終えることができて本当に幸せ者です」「35年間、新日本一筋で頑張りましたけども本当に応援ありがとうございました」と締めくくった。10カウントゴングを聞いた後、立っているのもやっとの状態だった天山は真後ろに倒れ込んだ。試合後には「最後、首が折れるかと思ったが、これで悔いなく次のスタートに立てる。今持っているものを出し切った」と振り返っている。
IWGPヘビー級4度・G1クライマックス3度、最多21回出場の記録
天山は1993年のヤングライオン杯優勝を足がかりに頭角を現し、IWGPヘビー級王座を4度、G1クライマックスを2003年・2004年を含む3度制した。G1クライマックスの出場回数は21回に上る。オーストリアのCWA世界ジュニアヘビー級王座を含む海外タイトルの経験もあり、モンゴリアンチョップとサンダーファイヤーパワーボムを武器に第一線を走り続けてきた。両国国技館での超満員札止めは、2017年8月13日のG1クライマックス優勝決定戦(内藤哲也×ケニー・オメガ)以来9年ぶり。節目の大会は、天山が積み重ねてきたキャリアの重みを改めて示す結果となった。
[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]







































































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