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菅原洋一さん死去、92歳 反対押し切り結ばれた妻・明美さんとの63年「六畳一間から始まった」エピソードを辿る

菅原洋一さん死去、92歳 反対押し切り結ばれた妻・明美さんとの63年「六畳一間から始まった」エピソードを辿る

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歌手の菅原洋一さんが5月31日、悪性リンパ腫のため92歳で逝去した。日本歌手協会が2日に発表した。4月6日まで東京・上野のライブ会場で11曲を歌い続けた生涯現役の人生を全うした。妻・明美さんとの63年の歩みは、両家の反対を押し切った駆け落ちから始まっている。

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5月31日午前9時26分、悪性リンパ腫で92歳逝去

歌手の菅原洋一さんが、5月31日午前9時26分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。日本歌手協会が発表した。本人と遺族の希望により、翌1日に家族葬を執り行った。お別れの会は予定していない。

「今日でお別れ」「知りたくないの」「忘れな草をあなたに」など昭和の歌謡界を彩るヒット曲を世に出し、NHK紅白歌合戦に22回連続出場した。後輩歌手たちから”日本の宝”と慕われた存在だった。

有線から火が付いた「知りたくないの」、紅白22回連続出場

1933年(昭和8年)8月21日、兵庫県加古川市に生まれた。18歳で国立音楽大学に入学し、大学院を修了する。1958年(昭和33年)、タンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に加入してデビュー。売れない時期が長く続いた。

転機は1967年だった。1965年にB面として発売した「知りたくないの」が有線放送から火が付き、A面として再リリースすると80万枚を突破する。「あなたの過去など知りたくないの」というフレーズが銀座の女性たちの心をつかみ、ファンがホテルのラウンジに押し寄せた。その年末の第18回NHK紅白歌合戦に初出場し、以降1988年まで22回連続出場の記録を打ち立てた。

1968年には「誰もいない」で第10回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。1970年には「今日でお別れ」で第12回日本レコード大賞を手にした。テレビ番組「夜のヒットスタジオ」では司会の前田武彦から”ハンバーグ”という愛称を贈られ、親しまれた。2022年、日本歌手協会第1回名人賞を受賞する。生涯で文化庁長官表彰(2019年)など輝かしい功績を積み重ねた。

両家の反対押し切り、六畳一間から始まった63年

「知りたくないの」がヒットする以前、菅原さんには長い不遇の時代があった。所属レコード会社からは後に「あのレコードが売れなかったら、クビにするつもりだった」と明かされている。妻の明美さんと出会ったのは、まさにその渦中だった。

菅原さんがタンゴ喫茶のステージで新人歌手として歌っていた頃、友人の付き添いでたまたま来店した女子大生がいた。平井明美さんだった。菅原さんは後に読売新聞のインタビューで「最初は兄と妹のような関係だった。それがどういうわけか、2人とも恋人になり、結婚を意識するようになった」と振り返っている。

しかし両家の親は猛反対した。売れる見込みのない歌手に娘はやれない――。それでも二人は駆け落ち同然で婚姻届を提出し、1962年(昭和37年)11月17日、東京・銀座の東京都中小企業会館で挙式した。

菅原さんはのちの自叙伝にこう記している。「駆け落ちした私と女房の新婚生活は、東京・練馬の六畳一間のアパートから始まった。風呂もなければトイレもない」。ヒット曲が生まれるのは、この3年後のことだ。もしあの一曲がなければ、六畳一間の暮らしがどこへ向かっていたか分からない。それでも明美さんはそばにいた。

二人には長女・歌織さんと、ピアニストとして活動する長男・英介さんが生まれた。英介さんとは親子コンサートやデュエットアルバムも発表し、晩年のステージを支える存在となった。一方で、長女・歌織さんの息子で、菅原さんにとってたった一人の孫だった竜悟さんを、小児脳幹部グリオーマ(DIPG)のため18歳で亡くしている。菅原さんは孫の枕元で「花は咲く」を歌い、後に「自分がまだ生きているのは、まだ修行が足りないから」と語った。喜びも悲しみも、63年の歳月の中にあった。

年を重ねて足取りが弱まると、明美さんの叱咤が飛んだ。「年寄り歩きをしないで。皆さんにステージでいい姿を見せなくちゃいけないんだから、しっかり歩いて」。菅原さんは「そう言ってくれる人がいるのは、ありがたいこと」と笑った。普段の話し声はかすれることがあっても、歌になれば衰えない。そのことを誰よりも知っていたのが、1962年からずっと隣にいた妻だった。

4月6日に11曲、入院中も「早くお客様の前で歌いたい」

4月6日、東京・上野のライブ会場で開催したコンサートが、最後のステージとなった。当日も「知りたくないの」や「忘れな草をあなたに」、シャンソンの「さよなら」「マイ・ウェイ」など11曲を力強く歌い上げた。その歌声に衰えはなかった。

5月20日に予定していた練馬文化センターでの「菅原洋一 春のコンサート ~93歳の私からあなたへ~」は、数日前に体調を崩して入院したため中止となった。ベッドの上でも「早くお客様の前で歌いたい」と語り、6月の「日本歌手協会 夏まつり唄まつり2026」や、93歳の誕生日となる8月21日の「バースデーコンサート」に向けてリハビリを続けていたという。

その願いは叶わず、5月31日の朝、息を引き取った。

「生涯現役を全ういたしました」日本歌手協会が発表

日本歌手協会は訃報を発表した際、「「生涯現役」を全ういたしました」とコメントを寄せた。

今年の元日、菅原さんは公式Xにこう書き込んでいた。「今年は93歳になりますが、唄える限り頑張りたいと思っています。本年もよろしくお願いします」。歌への意志は最後まで揺らがなかった。

1958年のデビューから2026年4月まで、現役として歌い続けた68年間。六畳一間から始まった妻との63年も、歌と同じように最後の日まで続いた。長男・英介さんとともに演じたコンサートステージも、ファンの記憶に刻まれている。

歌謡界では最近、橋本淳さんや大野雄二さんの訃報も相次いでおり、昭和の芸能を支えた世代が次々と旅立つ。菅原洋一さんの死去で、「また一人」と惜しむ声が広がる。

[文/構成 by さとう つづり]

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