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塩貝健人はなぜ『頭いい』と言われるのか 偏差値70・オール5・慶應法学部――学業とピッチ上の知性を支える”負けず嫌い”の全貌

塩貝健人はなぜ『頭いい』と言われるのか 偏差値70・オール5・慶應法学部――学業とピッチ上の知性を支える”負けず嫌い”の全貌

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

21歳でW杯日本代表メンバーに選ばれたFW塩貝健人が、ピッチ外でも注目を集める。偏差値70の進学校・国学院久我山高から慶應義塾大学法学部にAO入試で合格、主要科目は3年間オール5という学力の持ち主だ。なぜ「頭いい」と言われるのか。5つの理由を数字と本人の言葉で解き明かす。

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偏差値70の私立難関校、3年間で積んだ”オール5″の実像

塩貝健人(21)=VfLヴォルフスブルク=が在籍した東京都の國學院大學久我山高等学校は、偏差値70を誇る。東京都内の私立高校に限れば11位に位置する難関校だ。ラグビー部や野球部が全国大会の常連として知られる一方、進学実績も高い。文武両道の校風で、首都圏の高校受験生の間では名の通った存在である。

その学校で塩貝は3年間、主要科目でオール5を収めた。評定平均は5段階評価で4.9。ほぼ満点に近い数字だ。朝日新聞が伝えた同校サッカー部の李済華監督(71)のインタビューによれば、部の練習はウォーミングアップ込みで2時間と短く、朝練も居残りも禁止している。その2時間が終われば、時間の使い方は部員の自由だ。

成績上位者は塩貝だけではなかった。同部から早稲田大、慶應大、国立大への進学者が続いており、2024年には東京大学に現役合格した部員もいるという。それでも塩貝が「5段階評価で4.9」という数字を残したのは、限られた時間を自分でコントロールする能力があったからだ。

中学でユースに上がれず、高校1年はCチーム——挫折が”全部で一番”を生んだ

塩貝がこれほど勉強に力を入れた背景には、サッカーで積み重なった挫折がある。中学時代は横浜FCジュニアユースに所属したが、ユース昇格は叶わなかった。さらに國學院大學久我山に進学しても、スポーツ推薦で入部したにもかかわらず、高校1年時はCチームが主な活動場所だった。監督に名前すら覚えてもらえず、ビブスの背番号で呼ばれていた時期があると、本人は慶應ソッカー部の公式ブログに記している。

「自分は負けず嫌い。サッカーも勉強も、全部勝って見返したいと思っていた」

日刊スポーツのインタビューで塩貝はそう語った。国学院久我山に進学先を選んだ理由も「勉強でもサッカーでも一番になりたい」という気持ちからだ。どちらかではなく、どちらも。この並列の発想が、彼の文武両道の根底にある。

高校3年次、転機が来る。東京都大会の準決勝で2得点を挙げ全国大会出場に貢献、日本高校選抜にも選出された。選考合宿の練習試合では流通経大や早大相手にも得点を重ねる。3年前にCチームにいた選手が、世代最高峰の舞台に立った。

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「一番難しいから選んだ」——慶應法学部AO合格の論理

2023年4月、塩貝は慶應義塾大学法学部政治学科にAO入試(総合型選抜)で合格した。当時、複数のJクラブが獲得を打診したが、塩貝はプロ入りを選ばなかった。

「慶応の法学部は私立で一番、難しいんです。一番難しいところを選びました。将来、負傷とかサッカーで結果残せないこともある。何があるか分からないので」

日刊スポーツのインタビューでそう明かした。進路の選択に保険的な要素もあったが、それ以上に「どの環境でもうまくなれる」という自己評価が動機になっている。「よく”何で3部に行くのか”と言われますけど、見ておいてください」とも話した。当時、慶應のソッカー部は関東大学リーグ3部に所属していた。

宣言は実行された。1年時から背番号10を着け、3部リーグで15得点を挙げて得点王を獲得、チームの3部優勝にも貢献した。「1年目から3部で無双すればいい」という言葉通りの結果だ。

「的確な状況判断」——スカウトが唸ったピッチ上の頭脳

「頭いい」という評判は、学業だけに向けられているわけではない。

サッカーダイジェストは塩貝のプレースタイルについて「頭脳明晰で周りの状況を把握しながら、相手の逆を突くコース取りをする。強引に仕掛けても突破できる可能性が低いと感じれば、すぐにパスに切り替えたり、スペースを開けるドリブルに切り替えたりと、的確な状況判断をすることができる」と評した。一見ゴリゴリと突進するタイプに見えて、実際は状況を素早く読み取り、判断を瞬時に切り替える。Jクラブのスカウトがその名を知った頃には、すでに慶應入学を決めており「獲得に動きたくても叶わなかった」と悔やんだというエピソードも残る。

2024年夏にオランダのNECナイメヘンへ移籍。慶應大学を休学し、欧州の舞台でその判断力を磨いた。2025-26シーズンはNECで途中出場が中心ながら12試合7得点を挙げる。その数字がブンデスリーガのクラブを動かした。

関連記事:塩貝健人の経歴・年俸・プレースタイルとは 慶應大→NEC→ヴォルフスブルク、日本代表初招集の20歳FWに迫る

2026年1月20日、VfLヴォルフスブルクへの完全移籍が正式に発表された。推定移籍金は約950万ユーロ(約18億円)。4年半契約で背番号7を着ける。3月には日本代表に初招集され、スコットランド戦の78分から途中出場して代表デビューを飾った。84分、伊東純也の決勝点をアシストし、日本の1-0勝利に貢献する。

「高いレベルの中で、良いパスもその分来るし、今まで積み上げてきたもの、長所はしっかり出せたと思います」

サッカーキングのインタビューでそう語った。15分という限られた出場時間の中で、積み上げてきたものを示した自信が滲む。

W杯の舞台で証明する——「恐ろしいほど負けず嫌い」の次のステップ

5月15日、塩貝はFIFAワールドカップ2026の日本代表メンバーに選ばれた。初代表からわずか2カ月での選出だ。

W杯について、塩貝は選出前のインタビューでこう話している。「サッカーでこれ以上ない舞台だと思いますし、世界中の人が見ます。この舞台で点が取れたらまた一つ景色が変わる。何としてもゴールを取りたい気持ちがある」。そして「もし選ばれたら僕が活躍する自信はあります。待つだけです」と力強く断言した。

慶應ソッカー部の公式ブログには、こんな言葉が今も残っている。「恐ろしい程負けず嫌い。8割以上の人が悪い意味として言っていると思います。でも、これこそが私の1番の取り柄だと思っています」。負けず嫌いを武器と言い切れる選手が、学業でもサッカーでも一番難しい道を選んできた。

中学ではユースに上がれず、高校1年はCチームにいた。それが今、ブンデスリーガでプレーし、北中米のW杯に向かう。偏差値70の進学校でオール5を取り、私立最難関の慶應法学部に合格し、ピッチ上でも状況を読んで冷静に決断する。「頭いい」と言われる5つの理由は、どれも挫折と努力の積み重ねから来ている。

その21歳が次に挑む舞台は、世界だ。

[文/構成 by さとう つづり]

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