森本レオさん死去、83歳 事務所発表「原因不明の突然死」に驚きと悲しみ 生前語った妻と50年別居の“高円寺ひとり暮らし”

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俳優・ナレーターの森本レオさんが9月4日、83歳で死去した。所属事務所は11日夜、「原因不明の突然死ではありましたが、とても穏やかな顔で旅立ちました」と書面で発表し、葬儀は家族のみで済ませたと明らかにした。亡くなる直前の取材では、名古屋の妻と離れた東京・高円寺での暮らしを語っていた。
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死去から7日後の発表 葬儀もお別れの会も開かれない
ナレーターとしても活躍した俳優の森本レオ(本名・森本治行=もりもと・はるゆき)さんが9月4日に死去した。83歳だった。所属事務所の有限会社ウータニアが11日夜、報道各社に書面を送って公表した。
書面には「原因不明の突然死ではありましたが、とても穏やかな顔で旅立ちました」と記されている。葬儀は故人と遺族の意向により家族のみで行われ、お別れの会の予定もない。弔問、香典、供花もすべて辞退するという。
「突然のことで、未だご遺族も哀しみの渦中におります」。事務所はそう続け、遺族への配慮を報道各社に求めた。死去から7日、葬儀がすべて終わったあとの公表だった。
森本さんは2010年に心筋梗塞で救急搬送され、都内の病院に入院している。退院時には事務所が、救急隊の判断への感謝や減塩生活への取り組みを報告していた。2022年10月28日、アニメ映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」4Kリマスター版の初日舞台挨拶に主人公・シロツグ役として登壇。これが公の場に姿を見せた最後の機会になる。
最後の取材で語った「この先はそっと消えていきたい」
週刊ポストは、亡くなる直前の8月下旬に森本さん本人へ取材していた。掲載は9月14日発売号。先行してマネーポストWEBとNEWSポストセブンが内容を伝えている。
そこで森本さんが語った言葉は、結果として最後の肉声になった。
「いい時代に役者として楽しめたので、この先はそっと消えていきたいなと思っています」
理想の最期についても、具体的に口にしていた。「散歩の途中でベンチに座って、寝たまま逝っちゃえればいいなぁ」。取材時の様子は、青いチェックのシャツにカーキのズボン、黒いスニーカーというラフな服装。馴染みのカフェで週刊誌を90分かけて読み、商店街を散歩してスーパーで買い物をする、そんな一日だった。
暮らしの拠点は東京・高円寺。「僕はもう50年来、高円寺で暮らしてきて、何年か前に同じ高円寺にある1LDKの小さいマンションに引っ越しました」と明かし、不動産会社に駅から近くて安い物件を探してもらったと説明した。終の棲家になると本人は語っている。
名古屋の妻、月20万円の送金、「最後は人のことより自分」
私生活では1971年に元女優の森和代さんと結婚し、1男1女をもうけた。妻は名古屋で暮らし、森本さんは東京。NEWSポストセブンの記者が、名古屋の妻と50年ほど別居生活を送っていると聞いていますが連絡は取っているかと尋ねると、森本さんはこう答えている。
「奥さんは、面倒臭いからイヤだと言って、あまり連絡はしてないですね」
家計は妻と娘が管理していた。毎月20万円が送られ、足りないと伝えれば30万円になる。それでもほとんどは20万円で足りていたという。仕事は減り、貯金を取り崩す生活。「なるべくお金を使わずに早く死んでいくのが今のテーマです」とも話し、妻からは「あまり粘らないで」と言われていると笑った。
夫婦と家族についての見方も独特だった。「結婚というバリケードは自分を守るためで、家族というのは砦のようなもの」。そう語り、「最後は人のことより自分という感じですね」と結んでいる。
酒は心筋梗塞での入院を機にやめた。完全な夜型で、仕事がない時は朝6時ごろまで本を読み、朝7時に定食チェーンで朝食をとってから眠る。「病院には毎月行って、だましだましやっています」。体調について、本人はそう表現していた。
「セーターだって穴くらい開くよ」 共演者が思い出す人柄
訃報を受け、共演者が相次いで追悼した。
俳優の中野英雄(61)はインスタグラムに写真を投稿し、「森本レオさん 私が16歳の時に高円寺の蕎麦屋で出前のアルバイトをしていた頃 出前先がレオさんのお宅でした」とつづった。10年後、フジテレビ「愛という名のもとに」で共演を果たす。出前の少年と俳優が、現場で再会したことになる。
タレントの榊原郁恵(67)は、自身がパーソナリティーを務めるFMヨコハマ「ハートフルラジオ 虫の知らせ」で森本さんがナレーションを担当していた。スポニチアネックスによると、インスタグラムに「寄り添うような優しい声、飄々としてて…なんか面白くて博識で…」と記し、こんなやりとりも明かしている。
「セーター穴開いてますよ!って言うとセーターだって穴くらい開くよ。別に気にしないよってチャメっ気ある笑い顔で返してくれたり!」
「毎週土曜日放送の虫の知らせもレオさんの声から始まる 毎週聞いてた声…」。榊原はそう喪失感をつづった。
12日朝の日本テレビ系「シューイチ」も森本さんの足跡を伝えた。MCの中山秀征は「レオさんの穏やかさは、みなさんの心の中に生き続けるんではないかと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
トーマス、孔明、Qさま 世代ごとに違う「あの声」の記憶
森本さんの仕事は、世代によって記憶される入口が違う。
1990年に放送が始まったアニメ「きかんしゃトーマス」では日本版の初代ナレーターを務め、第8シリーズまで担当した。NHKの人形劇「三国志」では諸葛孔明、「ひげよさらば」にも出演。テレビ朝日系「クイズプレゼンバラエティーQさま!!」の問題読みは、最近のお茶の間でおなじみだった。
ファンの反応もそこに沿って分かれた。「トーマスの語り好きだった」「小さい頃から聞いてたのに寂しいです。素敵なナレーションをありがとうございました」「落ち着いていて知性を感じさせる声でした」「本当に心安らぐ良い声」「あの優しい声が聞けないと思うと悲しい」という受け止めが広がった。
俳優としては、映画「オレンジロード急行」「もう頬づえはつかない」「キッズリターン」、ドラマ「黄色い涙」「花へんろ」「愛という名のもとに」「ロングバケーション」「ショムニ」「PS羅生門」などに出演。ひょうひょうとした風貌で、名バイプレーヤーと呼ばれた。
ラジオから始まった59年 残されたのは声だけになった
名古屋市出身。日大芸術学部放送学科を卒業した1967年、NHK名古屋放送局の「高校生時代」でデビューする。翌68年からは東海ラジオの深夜放送でディスクジョッキーを務め、4年半にわたって人気を集めた。映画デビューは1973年の「花心中」。俳優としての本格デビューはTBS「地の果てまで」で、台本通りにセリフを言わず毎回違う動きをしていたと本人は明かしていた。
芸名の由来も本人が語っている。「俺(オレ)」を逆さにして「レオ」。当初は「森本オレ」にする案まであった。
近い時期には、たけし軍団のグレート義太夫さんが9月7日に、野球評論家の張本勲さんが9月9日に亡くなったことも公表された。テレビの黄金期を知る世代にとって、重い訃報が重なる週となった。
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[文/構成 by さとう つづり]


























































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