たけし軍団・グレート義太夫さん急逝、当日朝もブログ更新 厳しくも温かい軍団の仲間たち ”家族以上の存在”が見守った晩年

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
たけし軍団のグレート義太夫さん(本名・鈴木正之)が2026年9月7日、東京・中野区の自宅マンションで亡くなった。67歳だった。当日朝にもブログを更新しており、Xでは「グレート義太夫」がトレンド1位に浮上。糖尿病の発症から約30年、人工透析を続けながら舞台に立ち続けた芸人だった。
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自宅マンション階段で発見、搬送先の病院で死亡確認
9月7日午後、東京・中野区にある自宅マンションの階段で、グレート義太夫さんが倒れているのが見つかった。搬送先の病院で死亡が確認される。目立った外傷はなかった。
義太夫さんはその日の早朝、公式ブログ「糖尿ちょっとチョコ食う」を更新していた。「おはようございます。予報通りの雨。都庁も見えません。新島が心配です…」。雨の新宿を撮った写真に添えた、何気ない一文。10月4日には舞台への出演も告知しており、「寄席道楽」に出る予定だった。
ほんの数時間前まで、いつもと変わらない朝だった。
糖尿病30年、心臓が7秒止まった闘病の記録
1958年12月26日、東京都板橋区に生まれる。叔父は元小結の國登國生。京華高校を卒業後、亜細亜大学に進んだが中退し、音楽の道を歩み始めた。ドラマーとしてプロの腕前を持ち、1983年にビートたけしへ弟子入りする。
「風雲!たけし城」「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」をはじめ、たけし軍団の一員としてバラエティー番組で活躍した。ドラム、ギター、キーボードをこなすマルチミュージシャンでもあり、たけしの楽曲「浅草キッド」の制作時にはアドバイザーとして曲づくりに関わった。映画「菊次郎の夏」(1999年)など北野武監督作品にも出演。蜷川幸雄演出の「タイタス・アンドロニカス」ではイギリスのロイヤル・シェイクスピア・シアターの舞台にも立った。
転機は1995年、36歳のとき。糖尿病と診断される。父親も同じ病で亡くなっていた。週刊女性PRIMEの取材に義太夫さんは「きっかけは1995年でした。実は親父も糖尿病で亡くなっているんです」と打ち明けている。
だが、自己判断で通院を中断してしまう。2007年、48歳で糖尿病性腎症による末期腎不全を発症し、緊急入院。週3回・1回4時間、合計で週15時間に及ぶ人工透析が生活の柱になった。2009年には著書「糖尿だよ、おっ母さん!」(幻冬舎)を出版し、闘病の記録を広く公表する。
さらに2024年8月23日、透析のためクリニックを訪れた際に異変が見つかり、心筋梗塞で緊急搬送された。10時間に及ぶ手術で一命を取り留めたものの、翌日の朝に心臓が7秒間停止する不整脈を起こす。本人は同年9月2日、Xで「10時間にも及ぶ手術のおかげで、何とか生きながらえております」と報告した。週刊女性PRIMEの取材では「先生に”ギリギリでした。あと少し遅かったら本当に命が危なかった”と言われました」と明かしている。
2026年に入ってからも衰えは隠せなかった。7月には鎖骨下静脈拡張の手術で入院し、スポニチが報じた。8月にはブログで「身体がどんどんボロボロになって行く…」とつづり、日刊スポーツが伝えている。それでも「もうちょっと待っててください、必ず復活しますから」と書き添えていた。
“朝9時の生存確認”──40年来の仲間が支えた独身ひとり暮らし
独身で、ひとり暮らし。いつ体調が急変してもおかしくない状態を、誰が見守っていたのか。
答えは、40年以上の付き合いになるたけし軍団のメンバーだった。義太夫さんはCHANTO WEBの取材でこう話している。「朝9時までにブログの更新をしていないと、誰かから生存確認のメールが来るんです。事務所全体で見守ってもらっている実感があって、家族以上の存在だと思っています」
心筋梗塞で倒れた直後、真っ先にメールを送ってきたのはダンカンだった。「9万8000円で行える小さなお葬式でいいかな?」。CHANTO WEBの同じ取材で、義太夫さんは笑いながら振り返っていた。ダンカンはウォーキングの付き添いも買って出て、毎回8キロほど歩かせた。義太夫さんはその厳しさを冗談交じりに「飯塚上等兵と呼んでいます」と語り、「実際にそこまで一緒に歩いてくれる人って、なかなかいないですよね」と続けた。
43年来の付き合いであるガダルカナル・タカは、身体を気遣う番人のような存在だった。番組の打ち上げで義太夫さんが肉のコーナーに近づくと、「お前は草だけ食べとけ!」と叱りつけた。義太夫さんはCHANTO WEBで「人工透析を受けるようになったら、ものすごく厳しくなりました」と振り返り、その奥にある思いやりを受け止めていた。
笑いに包んだ気遣い。それが軍団の流儀だった。
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Xでトレンド1位、「昨日もブログ更新していたのに」と驚き広がる
訃報は各社の速報で伝えられ、9月8日午前にはXのトレンドおよびYahoo!リアルタイム検索で「グレート義太夫」が1位に浮上した。関連ワードには「たけし軍団」「自宅マンション」「67歳」「死亡確認」が並ぶ。
Xでは「にわかには信じ難い。先日までツイされていたはず。ショックすぎる」「ついこないだ、ダンカンさんとTikTokライブやってたのに」「フォローしてて、昨日もアメブロ更新していたのに」と、ブログやSNSでの近況を知るフォロワーの投稿が相次いだ。
ミュージシャンとしての再評価も広がる。Xでは「浅草キッドはビートたけしさんの作詞・作曲だが、実はグレート義太夫さんが曲の構成やコード付けを全面的にサポートして完成させました」という投稿が拡散され、「北野ファンクラブの亀有ブラザーズのコーナーでギター弾いてた印象」「ドラムでご一緒させていただいた記憶が残っています」と、演奏者としての顔を偲ぶ声も上がった。
ブログ8年分、約2万件の投稿が残る
義太夫さんが2018年頃から毎日のように続けてきた公式ブログには、約2万件の投稿が残る。透析の日常、腕の痛み、食事制限のこと、たまのラーメンへの喜び。読者がコメントを送り、義太夫さんが「おはようございます」で応える。その繰り返しが8年間、途切れなかった。
ブログのタイトルは「糖尿ちょっとチョコ食う」。病気を笑いに変える姿勢は最後まで変わらない。著書の題名「糖尿だよ、おっ母さん!」もまた、深刻な闘病を軽やかな言葉で包み込む義太夫さんらしい一冊だった。落語の高座名”夏目亭透析”は、師匠のビートたけし(落語立川流では立川梅春)から授かったもの。ボーイズバラエティ協会の一員として、浅草東洋館の定席に上がり続けていた。
あの日の朝もブログは更新された。仲間に「生きてます」と伝える、いつもの日課。それが最後の投稿になった。
[文/構成 by さとう つづり]


























































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