ガッツ石松さん(76)訃報 極貧から世界王者、そしてお茶の間の人気者へ…「ガッツポーズ」生みの親の経歴を辿る

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元プロボクサーでタレントのガッツ石松さんが6月2日、肺炎のため亡くなった。76歳だった。所属事務所が11日に公表した。WBC世界ライト級王座を5度防衛し、勝利の際に拳を突き上げる仕草が「ガッツポーズ」の語源になった。引退後はタレント、俳優として長く茶の間に親しまれた。
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肺炎で死去、76歳 事務所が11日に発表
ガッツ石松さんが6月2日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。所属事務所のガッツエンタープライズが11日、オリコンニュースの取材に応じて明らかにした。
事務所は「訃報」と題した書面で、「弊社ガッツ石松が令和8年6月2日(76歳)、肺炎のため都内病院にて永眠いたしました」と報告した。葬儀は遺族の意向で近親者のみで執り行われたという。発表が死去から9日後になったことについては、「皆様へのご報告がこの時期になりましたことをお許しください」とつづった。
書面の最後はこう結ばれた。「ガッツポーズをするたびに、ガッツ石松を想い出していただければ幸いです。OK牧場!」
本人の口ぐせで締めくくる、らしさのあるお別れの言葉だった。
聖徳太子の千円札を握りしめ、15歳で上京
ガッツ石松さんは1949年、栃木県上都賀郡粟野町(現在の鹿沼市)に生まれた。本名は鈴木有二。
少年時代は体育の教師にあこがれていた。だが家庭の経済的な事情で進学を断念する。中学を卒業すると、すぐに故郷を離れた。
15歳だった。
「家を出るとき、おふくろから聖徳太子の千円札をもらった」。後年、こう振り返っている。プロボクサーを目指して上京し、さまざまな職を転々としながらジムに通った。
最初のプロテストは不合格。それでもあきらめず、1966年12月にプロデビューを果たした。リングネームは当初「鈴木石松」。「石松」は、死んでも直らないほどのおっちょこちょいを意味する「森の石松」から取った。
4回戦のころは勝ったり負けたり。KO負けも経験した。練習嫌いで、ランニングに出ると言いながら水を浴びて帰ってくることもあった。ジム側は「ガッツのあるボクサーになってほしい」との願いを込め、リングネームを「ガッツ石松」へと改めた。この名がのちに代名詞となる。
「99%勝てない」予想を覆した8回KO 拳を突き上げた瞬間
世界への道は平坦ではなかった。1970年にパナマで初挑戦したが13回TKO負け。1973年には「石の拳」と呼ばれた名王者ロベルト・デュランに10回KOで敗れた。
それでもデュラン戦で、本人はある手応えをつかんだという。「世界チャンピオンは確かに強いが、技術的にはそんなに劣っていない」。
転機は1974年4月11日だった。東京・両国の日大講堂で、WBC世界ライト級王者ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)に挑む。王者の前評判は高く、ガッツさんは「99%勝てない」とまで言われた。
ところが試合が始まると、ほぼ互角の打ち合いが続く。8回、強烈な左フックから連打でダウンを奪い、最後はコーナーに王者を沈めた。8回KO勝ち。ライト級では日本人初の世界王者が誕生した。
勝利の瞬間、ガッツさんは両手を高々と突き上げて喜びを表した。この姿を新聞が報じたことが、「ガッツポーズ」という言葉が広まるきっかけになったとされる。4月11日は今も「ガッツポーズの日」と呼ばれる。
世界王者になったファイトマネーで、ガッツさんは故郷の両親に新築の家を贈った。貧しさのなかでボクシングを始めた少年が、約束を一つずつ果たしていった。
5度の防衛、そして俳優への道
王座獲得後、ガッツさんは妻に「これから必ず5回は防衛する」と告げた。その言葉どおり、5度の防衛に成功する。
1975年2月には、世界1位の指名挑戦者で名テクニシャンと評されたケン・ブキャナン(英国)を破った。終盤に「ケンカ殺法」と呼ばれた左右の連打で押し切り、3-0の判定勝ち。WBCはこの月の月間MVPにガッツさんを選んだ。
1976年5月、6度目の防衛戦でエステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ)に判定で敗れ、王座から陥落した。1977年にはWBC世界ジュニアウェルター級王座に挑むが及ばず、1978年に引退した。生涯戦績は51戦31勝(17KO)14敗6分け。
引退後は芸能界へ転身した。現役の世界王者だった時期から俳優として活動を始めていた珍しい選手で、1975年には高倉健さん、菅原文太さんと映画「神戸国際ギャング」で共演している。
「世界チャンピオンになった人間よ。それも5度も防衛している」「見る人が見れば本物ってのはわかる」。文藝春秋の取材に、ガッツさんはこう語っていた。バラエティー番組で天然キャラとして扱われることもあったが、本人はそれを承知のうえで演じていた面もあったという。
口ぐせの「OK牧場!」は、子どものころに見た米国の西部劇「ララミー牧場」への思い入れから生まれた言葉だった。ドラマ「北の国から」「風」など数々の作品にも出演し、個性派俳優として親しまれた。
長女はタレントの鈴木佑季さん。父娘で料理本を出すなど、家族ぐるみで活動する姿もたびたび紹介された。
「誰からも愛される存在」 仲間が悼む
訃報を受け、ボクシング界からは惜しむ言葉が相次いだ。
元ボクシング世界王者の木村悠さんは、Yahoo!ニュースのエキスパートコメントで「ガッツ石松さんがご逝去されたとの報に接し、大変驚いています」とつづった。チャンピオン会やイベントで世話になったといい、「ボクシングだけでなくタレントとしても広く知られ、誰からも愛される存在。男気があり、後輩の私たちにも分け隔てなく接してくださいました」と振り返った。
「最近はイベントをご欠席されることも増えていましたが、まさかこんなに早く…という気持ちです」とも記し、冥福を祈った。
拳を突き上げる仕草とともに
戦後の貧しい暮らしのなかで故郷を離れた少年が、世界の頂点に立ち、引退後は茶の間の人気者になった。その歩みを象徴するのが、両手を突き上げる仕草だ。
スポーツで、仕事で、ちょっとした日常の達成感で。多くの人が今も無意識にとる「ガッツポーズ」には、一人のボクサーの名が刻まれている。
事務所の言葉どおり、その仕草とともに、ガッツ石松さんの記憶は残っていく。
[文/構成 by さとう つづり]
































































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