岸本良久が死去、くにおくん40周年を前に訃報で死因は不明 ファミコン時代を築いた伝説的クリエイターの功績と経歴

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『熱血硬派くにおくん』や『ダブルドラゴン』の生みの親、岸本良久氏が2026年4月2日に亡くなった。64歳だった。訃報は息子氏のSNS投稿を経て、7日に公式アカウントから発表された。シリーズ40周年を迎えるまさにその年、ベルトスクロールアクション(beat-‘em-up)の金字塔を打ち立てた伝説のクリエイターが逝った。
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くにおくん生みの親、岸本良久氏が64歳で死去
『熱血硬派くにおくん』シリーズのゲームデザイナー・ディレクターとして知られる岸本良久氏が4月2日に亡くなった。64歳だった。
訃報の公表は、まず遺族の手によって行われた。
息子氏は4月5日に自身のXアカウントで「2026年4月2日に父が他界しましたため、お知らせいたします」と報告。
翌6日には岸本氏本人のFacebookアカウントにも同様の趣旨の投稿を行った。
その後、版権元のアークシステムワークスが運営する『くにおくん』公式Xアカウント(@Kunio_Kun_PR)が7日に訃報を発表。「世界中のファンから愛される伝説的クリエイターの早すぎる訃報に接し、誠に残念でなりません」と追悼の言葉を綴った。
データイーストからテクノスジャパンへ、ベルトスクロールアクションの確立
岸本氏は1980年代初頭、データイーストに入社しアーケードゲーム開発に従事した。代表作には『サンダーストーム』や『ロードブラスター』がある。その後、テクノスジャパンへ移籍し、同社の看板作品を手掛けることになる。
1986年にタイトーから稼働開始されたアーケード用『熱血硬派くにおくん』
は、ベルトスクロールアクション(beat-‘em-up)というジャンルを確立した記念碑的な作品だ。続く『ダブルドラゴン』は世界的なヒットを記録し、後世のゲームクリエイターに多大な影響を与えた。
主人公「くにお」の名前は、当時のテクノスジャパン社長、瀧邦夫氏に由来する。一方で、
岸本氏自身が高校時代に体験した喧嘩や暴走族時代のエピソードは、初代作品の企画における着想の一つとなった。ブルース・リーの映画からの影響も指摘されている。
息子からの報告、家族葬で執り行われた
息子氏は、岸本氏のFacebookに「生前は大変お世話になり、心より感謝を申し上げます」と関係者への感謝を投稿。また、7日にはXで「ファミ通さまにも大変お世話になりました」とゲームメディアへの謝辞も述べた。
葬儀は、生前の希望により家族葬で執り行われる予定。
岸本氏は2024年に手術を受けたことを報告していたが、その後の経過については公表されていない。
死因については公表されていない。
SNSで広がる追悼の声
訃報を受けて、国内外のファンから追悼のコメントが相次いでいる。「子供の頃に夢中になった」「名作をありがとう」といった感謝の声が投稿されている。岸本氏が築き上げたゲーム文化は、世代を超えて多くの人に愛されてきた。
海外メディアでも報じられ、ベルトスクロールアクションの金字塔を打ち立てた功績が改めて評価されている。
40周年の年に幕を下ろす、伝説の足跡
2026年は『熱血硬派くにおくん』が40周年を迎えるまさにその年だ。岸本氏はテクノスジャパン倒産後もフリーランスとして活動を続け、2010年には株式会社プロフェットを設立した。近年も新作の開発に意欲を見せていた。
「やる気」をテーマにしたメッセージを公式サイトに残すなど、情熱的なクリエイターとしての姿勢を貫いた。その功績は、これからもゲーム業界に語り継がれていく。
[文/構成 by 森 けい]


























































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