小川賢太郎さん死去、77歳 資産約3900億円のゼンショー創業者──すき家・はま寿司を一代で築いた波乱の経歴を辿る

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牛丼チェーン「すき家」などを展開するゼンショーホールディングス創業者の小川賢太郎氏が6日、心筋梗塞のため死去した。77歳だった。東大中退後に港湾労働を経て1982年に創業し、一代で国内初の外食売上高1兆円企業を築き上げた。葬儀は家族葬で営まれ、後日お別れの会を開く。
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一代で売上高1兆円企業を築いた「外食王」の死
ゼンショーホールディングスは7日、代表取締役会長の小川賢太郎(おがわ・けんたろう)氏が6日に心筋梗塞で死去したと発表した。77歳だった。
同社によると、通夜と葬儀は遺族の意向により家族葬で執り行う。供花や香典などは辞退し、後日会社主催の「お別れの会」を開く予定だ。
小川氏は1982年に横浜市で弁当店と「すき家」1号店を開業。積極的な企業買収を進め、2011年3月期には国内の連結売上高で外食業界のトップに立つ。2025年3月期には国内の外食企業として初めて売上高1兆円の大台を突破し、日本を代表する巨大グループを作り上げた。
東大中退から吉野家倒産を経て独立へ
その歩みは平坦なものではない。石川県に生まれ、東京都立新宿高校から東京大学へ進学するも、学生運動に身を投じて中退を選ぶ。その後は横浜港で港湾労働者として汗を流した。
やがて転機が訪れる。1978年に吉野家へ入社し、経営企画などを担当するが、同社は1980年に会社更生法の適用を申請し倒産。この挫折を目の当たりにした経験が、独立への原動力となる。
「世界から飢餓と貧困を撲滅する」。壮大な理念を掲げ、資本金500万円でゼンショーを設立した。2003年のBSE(牛海綿状脳症)問題では、他社が牛丼の販売を休止する中、いち早くオーストラリア産牛肉への切り替えを決断。この判断がシェア拡大の大きな要因となる。
「ワンオペ」問題の試練と次世代へのバトン
急成長の裏で、企業体質が問われる事態も起きた。2014年、「すき家」の深夜帯における1人勤務体制、いわゆる「ワンオペ」が過酷な労働環境として社会問題化する。
第三者委員会の調査を受け、小川氏は記者会見で「このままではいけないと判断した」と説明。深夜営業の休止や複数勤務体制の構築など、労働環境の改善に乗り出した。
近年は後継者への引き継ぎを進める。2025年6月には、財務省出身で副社長を務めていた次男の洋平氏に社長職を譲り、自身は代表権のある会長として経営を支えていた。
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SNSに広がる庶民目線の追悼
突然の訃報は、瞬く間に日本中へ駆け巡った。時事通信や読売新聞など各メディアが一斉に報じると、SNS上では日常的に店舗を利用する消費者からの書き込みが相次ぐ。
Xでは「すき家をはじめこれだけの飲食チェーン店を作られたことはとてもすごい」「どれだけのファミリーが助けられていることか」といった投稿が拡散。財界トップの訃報としては珍しく、生活に密着したサービスへの感謝が目立つ。
海外展開と「食のインフラ」構築の行方
巨大グループの舵取りは、完全に次世代へ委ねられる。ゼンショーHDは現在、国内だけでなく中国や東南アジア、欧米など海外展開を加速させており、海外店舗数は1万店を超える。
「食のインフラをつくる」。小川氏が創業時から抱き続けた目標は、国境を越えた事業展開として形になりつつある。
一代で築き上げた強固なサプライチェーンと多様なブランド群を、新体制がどう発展させていくのか。カリスマ創業者が遺した巨大な基盤の上で、新たな挑戦が始まる。
[文/構成 by さとう つづり]
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