秋山豊寛さん死去、84歳 死因は下部消化管出血、ソユーズ搭乗と「ミール」滞在の経歴を整理

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日本人として初めて宇宙を飛んだジャーナリスト・秋山豊寛さんが2026年8月26日、下部消化管出血で亡くなった。84歳だった。1990年にソユーズTM-11で宇宙ステーション「ミール」を訪れ、宇宙からの生中継を実現。TBS退社後は福島で有機農業を営み、原発事故を経て三重県で畑を耕し続けた。
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8月26日に死去、親族が9月1日に明らかに
日本人として初めて宇宙を飛んだ元TBS記者の秋山豊寛(あきやま・とよひろ)さんが8月26日、下部消化管出血で死去した。84歳。東京都出身。葬儀は近親者で営み、喪主は妻の礼子さんが務めた。親族が9月1日、共同通信の取材に対して明らかにしている。
秋山さんは1942年6月22日、東京都世田谷区で生まれた。国際基督教大学(ICU)を卒業後、1966年にTBSへ入社する。ロンドン駐在、政治部記者、報道特集ディレクターを経て、1984年から1988年までワシントン支局長を務めた。帰国後は外信部デスクとして現場を取り仕切る。
「これ、本番ですか?」──宇宙からの第一声
1989年、TBSはソビエト連邦の宇宙機関グラブコスモスと日本人のミール訪問に関する協定を結んだ。社内の応募者から秋山さんと菊地涼子さんの2人が候補に選ばれ、モスクワ郊外の「星の街」で約1年間の訓練を受ける。
1990年12月2日、バイコヌール宇宙基地からソユーズTM-11が打ち上げられた。乗組員はソ連のヴィクトル・アファナシェフ、ムーサ・マナロフ、そして秋山さんの3人。TBSが放送した打ち上げ特番の視聴率は36%を記録する。
ソユーズが周回軌道に乗った直後、TBSのスタジオとの生中継が始まった。秋山さんは第一声として「宇宙は混沌としています」と言うつもりだったが、本番前のスタッフとの交信の流れで松永邦久アナウンサーの呼びかけに思わず反応し、「これ、本番ですか?」と口にした。帰還後の著書でこのエピソードに触れ、「もっとも放送人らしい第一声だったのではないか」と振り返っている。
ミールでの6日間と「おいしそうな昆布」
打ち上げから2日後の12月4日、ソユーズTM-11は宇宙ステーション「ミール」にドッキングした。秋山さんはミールに乗り移り、乗組員兼ジャーナリストとして毎日テレビ番組とラジオ番組に出演する。宇宙滞在約190時間のうち、テレビ・ラジオの生中継だけで37時間に上った。
無重力下でカエル6匹の行動を観察する実験では、跳ぶたびに体がくるくる回転するカエルを帰還用コンテナに戻すのに2時間を要したと、本人がウェザーニュースのインタビューで語っている。宇宙から見た北海道を「おいしそうな昆布にみえます」と表現したのも秋山さんらしい。一方でひどい宇宙酔いにも悩まされた。
12月10日、先にミールとドッキングしていたソユーズTM-10でカザフスタンに帰還。パラシュートで降下する帰還カプセルは着陸時に6基のエンジンのうち4基しか噴射せず、「ガッツン」と衝撃を受けたという。帰還の第一声は「地球の空気は美味しい」。記者から「今は何をしたいか」と問われ、「うまいものが食いたい。風呂に入りたい。ビールも飲みたいし、タバコも吸いたい」と答えた。こちらの発言が広く知られる。
宇宙滞在時間は7日21時間54分40秒。うちミールでの滞在は約6日間だった。
初の商業宇宙飛行と「日本人初」の背景
TBSはこの飛行のためにグラブコスモスへ1400万ドルを支払い、ソ連政府は初の商業宇宙飛行と位置づけた。秋山さんはジャーナリストとして初めて宇宙から報道した人物でもある。
秋山さんが「日本人初」になった背景には偶然が重なっている。もともとはNASDA(現JAXA)の毛利衛さんがスペースシャトルで先に宇宙へ行く予定だったが、1986年のチャレンジャー号爆発事故でシャトル計画が遅延した。結果として1990年12月のソユーズ打ち上げが先になり、毛利さんの初飛行は1992年9月にずれ込む。JAXAの公式サイトは「日本人として初めて宇宙へ行ったのは秋山豊寛氏で、初めてスペースシャトルに乗って宇宙へ行ったのは毛利衛宇宙飛行士」と整理する。
帰還日の12月10日にはソ連から人民友好勲章を授与された。翌1991年には東京都民文化栄誉章も受けている。
TBS退社、福島での農業、そして原発事故
宇宙飛行の後、秋山さんはTBSで報道局次長を務め、国際ニュースセンター長を兼務した。だが次第に会社での仕事に距離を感じるようになる。ウェザーニュースのインタビューで「地球は薄い皮一枚の大気に覆われ、はかないほどの美しさだった。その地球で地に足がついた生き方をしようと思った」と語った。
1995年にTBSを退職し、福島県滝根町(現・田村市)の阿武隈山地に移住する。有機無農薬農業と原木シイタケの栽培に15年間取り組み、「あぶくま農業者大学校」を主宰した。宇宙飛行士の肩書で環境問題の講演活動も続ける。
転機は2011年3月に訪れた。東京電力福島第一原発事故で福島を離れ、群馬県を経て京都に移住。同年10月から京都造形芸術大学の教授として教壇に立った。自らを「原発難民」と呼び、各地で脱原発を訴え続けた。
2017年、大学を退職すると三重県大台町に居を移し、再び有機農業に取り組んだ。
ミールに滞在した唯一の日本人
秋山さんの宇宙飛行から36年が経つ。この間、毛利衛、向井千秋、若田光一、野口聡一ら多くの日本人宇宙飛行士が宇宙へ飛び立った。だが「報道記者として宇宙から生中継した」という経歴は秋山さんだけのものだ。ミールに滞在した唯一の日本人でもある。
宇宙から地球環境を語り、福島で土に触れ、原発事故で故郷を追われ、三重の山里で再び畑を耕した。84年の歩みは、地上と宇宙を行き来したジャーナリストの記録そのものだった。
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[文/構成 by たかなし もか]

































































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