園田勇さんが死去、79歳 モントリオール五輪柔道で金メダル、谷亮子さんらを指導

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柔道の1976年モントリオール五輪80キロ以下級金メダリスト、園田勇さん(79)が7月16日午後8時20分、肺炎のため福岡市内の病院で死去した。福岡県警察で柔道の首席師範を長く務め、引退後は指導者として谷亮子さんらを育てている。1969年の世界選手権では兄弟そろって頂点に立った実績も持つ。
モントリオール五輪王者、79歳で死去
柔道の1976年モントリオール五輪80キロ以下級金メダリスト、園田勇さん(そのだ・いさむ、79)が7月16日午後8時20分、肺炎のため福岡市内の病院で死去した。死去は17日、共同通信など各社が報じた。福岡県警察で長く柔道の首席師範を務め、引退後は指導者として2000年シドニー、2004年アテネの両五輪を制した谷亮子さんらを育て上げている。
福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)の出身で、1946年11月生まれ。1歳年上の兄・義男さんとともに柔道一家として知られ、1969年の世界柔道選手権メキシコシティ大会では兄弟そろって優勝を果たした。「兄弟世界一」と呼ばれた偉業だ。義男さんは2018年1月、大動脈瘤破裂のため72歳で先立っている。
兄弟そろって世界一、危なげなく五輪の頂点へ
福岡電波高校から福岡工業大学へ進み、柔道で力をつけた。実家は養豚業を営み、幼少期から荷運びで鍛えた腕力が土台になったとも伝えられる。組んだ直後から技を仕掛けて相手を追い込む積極的な柔道を持ち味とし、得意技は大内刈り。後年は内股も磨き、攻めの幅を広げていった。
1969年の世界選手権では80キロ級を制し、兄の義男さんも63キロ級で優勝している。1973年のローザンヌ大会は準優勝にとどまったが、そこから力を蓄え、1976年のモントリオール五輪代表をつかみ取った。中量級の選手ながら、体重無差別の全日本選手権にも10年連続で出場を重ねている。
本番では初戦から実力の差を見せつけ、危なげない試合運びで決勝まで勝ち上がった。決勝で旧ソ連の選手を破り、日本柔道に金メダルをもたらしている。29歳での栄冠だった。
モントリオール五輪の柔道競技は男子6階級で争われ、日本は80キロ以下級の園田さんのほか、93キロ以下級の二宮和弘さん、無差別級の上村春樹さんも頂点に立った。金3、銀1、銅1の計5個のメダルを獲得し、国別のメダル数でも世界一となっている。日本選手団全体では金9、銀6、銅10の計25個のメダルを獲得しており、柔道はその一角を担った。同じ大会で無差別級を制した上村さんは、のちに講道館館長や全日本柔道連盟会長を歴任している。93キロ以下級の二宮さんも今年5月4日、誤嚥性肺炎などのため79歳で死去しており、同じ大会の金メダリストが相次いで世を去った年となった。現役は1978年の嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会を最後に退いた。
競技生活の傍ら丸善石油に勤務した時期を経て、1972年6月に福岡県警察へ入った。以後は警察官への柔道指導にあたり、首席師範として長く現場に立ち続けている。
谷亮子さんを育てた指導者、教え子は5大会連続メダル
園田さんの名を全国区にしたのが、谷亮子さん(旧姓・田村)の存在だ。「ヤワラちゃん」の愛称で親しまれた谷さんが福岡工業大学附属高校に進んだ際、柔道部長を務めた兄の義男さんとともにコーチとして指導にあたり、後に日本柔道史に名を刻む選手へと導いている。
谷さんは1992年バルセロナから2008年北京まで5大会連続でメダルを獲得し、内訳は金2、銀2、銅1。2000年シドニー、2004年アテネでは頂点に立った。世界選手権でも7度優勝し、全日本選抜体重別選手権では11連覇を記録するなど、日本柔道界を代表する選手へと成長している。
福岡県警察では、2000年シドニー五輪女子57キロ級銅メダルの日下部基栄さんの指導にもあたっている。日下部さんは福岡市出身で、谷さんと同じ東福岡柔道教室で柔道を始め、県警入りしてから園田さんの指導を受けた。2001年の世界選手権(ミュンヘン)57キロ級でも銅メダルを獲得し、アジア大会でも1998年バンコク大会の銅、2002年釜山大会の銀とメダルを重ねた。2005年に現役を退き、その後は福岡大学女子柔道部の監督を務めている。園田さんは講道館柔道9段だった。
兄弟で築いた指導の系譜、教え子から次の世代へ
義男さんに続き、園田さん自身も世を去ったことで、「兄弟世界一」から半世紀余りをかけて柔道一家が築いてきた歩みは、ひとつの節目となった。選手として、そして指導者として、日本柔道界を長く支え続けてきた道のりだった。
谷さんや日下部さんをはじめ、園田さんの指導を受けた教え子たちは、今も柔道界の各所で活躍している。福岡県警察柔道部で培われた指導の系譜は、教え子たちを通じて次の世代へと引き継がれていく。福岡の地から世界の頂点を目指す柔道家を送り出し続けた指導者の歩みは、多くの後進の記憶に刻まれている。
葬儀・告別式の日程は、この記事の時点では明らかになっていない。福岡から世界へ選手を送り出した半世紀の歩みは、教え子たちの中に生き続ける。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]

































































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