HRC、2027年1月1日付の社長交代を決定 渡辺康治社長が退任し後任は安田啓一副社長、HRCの歴代社長は?

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ホンダのモータースポーツ会社、株式会社ホンダ・レーシング(HRC)が10月5日、2027年1月1日付で代表取締役社長が交代すると発表した。2022年から社長を務める渡辺康治が退任し、後任には代表取締役副社長の安田啓一が就く。通例の4月ではなく1月の発令としたのは、2027年シーズンの最初から新体制で臨むためだ。
2027年1月1日付で安田副社長が社長に昇格
HRCは取締役会で、代表取締役社長の交代と役員人事を決めた。公式サイトで公表した人事は2人分で、代表取締役副社長の安田啓一が代表取締役社長に昇格し、代表取締役社長の渡辺康治は退任する。発表では、渡辺の退任後の役職には触れていない。
人事の狙いについて、HRCは「世界的な変革期に対応した経営体制の強化および次世代に向けた事業展開の加速」を図る定期人事の一環だと説明した。HRCの人事は4月1日に発令するのが通例で、今回は3カ月早い。理由として挙げたのが、モータースポーツのシーズナリティ(季節性)だった。2027年シーズンの最初から新体制で挑むため、1月1日の発令を選んだという。
渡辺は発表に合わせてコメントを出し、「HRCの社長として、素晴らしい仲間たちと共に仕事をできたことを誇りに思います」と在任期間を総括した。退任までは3カ月を切っている。「残りの3ヶ月も、最後まで勝利を目指して尽力してまいります」と結んだ。
人事畑から海外二輪法人の社長へ、安田啓一の歩み
新社長の安田は、レース技術者ではなく人事畑の出身だ。HRCによると、Hondaの文化と二輪レースに憧れて入社し、当時から二輪営業やHRCへの配属を希望していたという。
1990年に本田技研工業へ入り、配属先は人事部門だった。1999年に米国オハイオ州のHonda of America Mfg.へ赴任して人事労務と安全の業務を担い、2008年にはインドのHonda Motor Indiaで複数の法人の人事業務に携わる。2015年にはタイのAsian Honda Motorで、アジア・大洋州本部の人事責任者を務めた。
転機は2018年だった。マレーシアの二輪現地法人Boon Siew Hondaの社長に就き、2020年にはインドネシアのAstra Honda Motorの社長へ移る。HRCの発表は、この二輪現地法人の社長職を安田にとって「念願」のものだったと紹介している。
2023年に本社へ戻ると、執行職人事統括部長として全社の人事制度改革や人材戦略を統括した。HRCの代表取締役副社長に就いたのは2026年4月で、わずか9カ月で社長へ昇格する。
安田はコメントで「渡辺が築いたHRCの確かな基盤をしっかりと受け継ぎながら、さらに進化させ、全員のベクトルをレースでの勝利という目標に向けて一つにし、HRCをさらに強くしていくのが自分の使命だと考えています」と語った。海外法人の社長経験と人事の知見を生かし、「勝利に向けて人への投資と組織の強化に力を入れてまいります」とも明かしている。
HRCの歴代トップは13人、安田は14人目に
HRCは1982年9月1日、レース用車両の開発やレースサービスを担っていたRSC(1973年設立)と、NRテクノロジーグループに代わる会社として生まれた。レース用車両とパーツの開発、販売が目的だった。公式サイトの沿革に記された歴代の代表取締役は次のとおりだ。
| 就任年 | 氏名 | 沿革上の主な出来事 |
|---|---|---|
| 1982年 | 入交昭一郎 | HRC設立、初代代表取締役 |
| 1983年 | 吉野浩行 | 入交の後を継いで就任 |
| 1985年 | 後藤勇 | フレディ・スペンサーが250cc・500ccの2クラスでタイトル |
| 1987年 | 福井威夫 | |
| 1988年 | 市田勝巳 | |
| 1989年 | 福井威夫 | 2度目の就任 |
| 1992年 | 篠崎隆 | |
| 1998年 | 池ノ谷保男 | |
| 2002年 | 金沢賢 | 2007年まで在任 |
| 2007年 | 濵根眞澄 | |
| 2009年 | 鈴木哲夫 | 沿革上、初めて「代表取締役社長」と表記 |
| 2014年 | 野村欣滋 | 二輪のワークス活動を拡大 |
| 2021年 | 若林愼也 | |
| 2022年 | 渡辺康治 | 四輪レース部門を統合 |
| 2027年(予定) | 安田啓一 | 1月1日付で就任予定 |
福井威夫は1987年と1989年の2度、トップを務めている。延べ14回の就任で、顔ぶれは13人。安田は14人目のトップになる。
沿革を見ると、HRCは長く二輪レースの会社だった。四輪のF1活動は、本田技研工業本体や本田技術研究所が担ってきた歴史がある。その形を変えたのが2022年の組織改編で、二輪と四輪のレース活動がHRCに集約された。統合後の新生HRCで、最初の社長に就いたのが渡辺だった。
渡辺体制でF1復帰、鈴鹿8耐は5連覇
渡辺は2020年、本社の執行職ブランド・コミュニケーション本部長兼広報部長に就き、モータースポーツの運営や発信に関わった。このときから、二輪レースの会社だったHRCに四輪レースを統合するプロジェクトに着手している。ホンダでモータースポーツを率いた期間は、本部長時代を合わせて通算約6年になる。
最大の決断はF1だった。ホンダは2021年限りでF1へのワークス参戦を終えたが、HRCはその後もレッドブル・パワートレインズへのPU技術支援を続け、2025年12月7日のアブダビGPで終えた。2023年5月24日、ホンダは新しいパワーユニット(PU)規則が始まる2026年から、アストンマーティンのワークスパートナーとしてPUを供給し、F1に参戦すると発表した。
2026年に始動したアストンマーティン・ホンダは、厳しい船出となった。開幕当初はPUの振動や信頼性に苦しみ、6月のモナコGPでフェルナンド・アロンソが10位に入ってようやく初入賞を手にする。その後のオランダGPでも、アロンソが9位で今季2度目のポイントを獲得した。10月4日には、中東情勢の影響でマレーシアのセパン・インターナショナル・サーキットへ開催地を移したバーレーンGPで、アロンソが今季最高の8位に入った。チームの獲得ポイントは10月4日時点で7点になっている。
二輪の最高峰MotoGPも、長く苦しい時期が続く。転機の1つが2025年5月11日のフランスGPで、LCRホンダのヨハン・ザルコが優勝し、ホンダに2023年アメリカズGP以来の勝利をもたらした。2027年からは排気量850ccの新規定が始まる。ホンダのファクトリーチームでは、アルベルト・プーチがチームマネージャーからHRCのアドバイザーに回り、技術マネージャーの川瀬幹彦が後任のチームマネージャーに就くことが決まっている。
新規定のマシン開発を担うHRCの開発ライダー、中上貴晶は10月2日、ワイルドカードで出場したMotoGP日本GPのフリー走行1回目で転倒し、左鎖骨を骨折した。
関連記事:中上貴晶、MotoGP日本GPのFP1で転倒 左鎖骨骨折とチーム発表、母国GPを欠場
一方で、勝利を重ねたカテゴリーもある。鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、ワークスチーム「Honda HRC」が2022年から2026年まで5連覇した。7月5日の2026年大会は雨に翻弄されたが、高橋巧、ジョナサン・レイ、ソムキアット・チャントラの3人が逃げ切り、ホンダの通算勝利数は32に伸びた。ダカールラリーの二輪部門では、2024年大会でリッキー・ブラベックが優勝している。2026年大会のブラベックは、約49時間を走って優勝したルチアーノ・ベナビデスにわずか2秒届かず、2位に終わった。
新体制の初陣は2027年シーズン
渡辺は退任のコメントで、自身の仕事をこう並べた。四輪レースの統合、F1復帰の決定、米国HPDのHRC USへの改編、HRC UKの設立。世界に広がるレース体制の整備と、HRCのブランドづくりが任期の柱だった。
安田に引き継がれるのは、その体制で結果を出す仕事だ。F1ではアストンマーティンとの2年目、MotoGPでは新規定の初年度と、どちらも2027年に大きな節目を迎える。人事部門のトップから転じた安田は、勝利に向けた人への投資と組織の強化を掲げた。
HRCはレース活動のほか、チームカラーをあしらったキャップやウエアなどの公式グッズも展開している。新社長のもとで迎える2027年シーズンは、1月1日から始まる。
[文/構成 by スポーツライター 南條楓]











































































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