関脇・霧島が大関復帰、12場所ぶりの昇進伝達式 「さらなる高みを目指して」シンプルな口上に師匠の教え

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日本相撲協会は3月25日、関脇・霧島の大関再昇進を正式に決定した。首のケガで平幕まで番付を下げてから、12場所ぶりの復帰となる。
大阪府堺市で行われた昇進伝達式では、「さらなる高みを目指して一生懸命努力します」と決意を述べた。
現行制度で平幕以下からの大関復帰は史上3人目の記録だ。
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満場一致で決まった12場所ぶりの大関返り咲き
日本相撲協会は25日、エディオンアリーナ大阪で夏場所の番付編成会議と臨時理事会を開いた。春場所で12勝3敗の成績を残し、3度目の優勝を果たした東関脇・霧島(29)=音羽山部屋=の大関再昇進を満場一致で承認する。
同日、大阪府堺市の部屋宿舎で昇進伝達式があった。協会の使者を務めた伊勢ノ海親方と浦風親方を前に、霧島は「謹んでお受けいたします。さらなる高みを目指して一生懸命努力します」と口上を述べる。
この言葉は師匠の音羽山親方が考案した。横綱への思いを込め、目指すところをシンプルで分かりやすい表現にしたという。霧島は伝達式後の会見で「相変わらず緊張した」と笑顔を見せた。
首のケガで平幕転落、苦悩の日々
霧島は2023年夏場所後に大関へ昇進した。しかし、直後に首のケガに苦しむことになる。
2024年夏場所では頸椎症性神経根症を悪化させ、途中休場を余儀なくされた。結果として在位6場所で大関から陥落する。その後も不調は続き、一時は東前頭2枚目まで番付を下げた。
当時の心境について、霧島は「全然楽しくなかった。勝てないと楽しくなくなる」と東京中日スポーツの取材に明かしている。負けても悔しがらない時期があり、精神的な迷いが土俵での成績にも表れていた。
師匠の言葉と家族の存在が支えに
転機は昨年秋場所の後に訪れた。師匠から「中途半端にやるのが一番ダメ」と厳しくも温かい言葉をかけられる。
さらに「勝ちにいくんじゃなくて、勝負にいけ」という助言が霧島の心を軽くした。勝ちたい気持ちが強すぎて体が動かなくなっていた状態から抜け出し、本来の相撲を取り戻していく。
家族の応援も大きな力になった。
6歳の長女アヤゴーちゃんから「パパいつ優勝するの。バンザイしたい」と頼まれていたという。春場所の優勝でその約束を果たし、千秋楽の支度部屋で家族とともに記念撮影を行った。
特例を除く復帰は史上3人目の快挙
直近3場所の成績は目を見張るものがある。昨年九州場所と今年初場所でそれぞれ11勝を挙げ、春場所の12勝を合わせて計34勝に到達した。大関昇進の目安とされる33勝を上回る数字だ。
大関から陥落した翌場所に10勝して復帰する特例を除き、平幕以下まで落ちた力士が再び大関の座を掴むのは容易ではない。
現行のカド番制度となった1969年名古屋場所以降では、魁傑と照ノ富士に続く史上3人目の快挙となった。一度は底を見た男が、自らの実力で再び看板力士の地位を奪い返す。
見据える先は先代師匠も届かなかった横綱
次の目標は明確だ。
入門時から抱き続けている横綱昇進に向けて、新たなスタートを切る。
春場所の優勝パレードでは、時間が押していたこともあり、まわし姿でオープンカーに乗り込んだ。長女からは「次に優勝してパレードしたら、裸じゃダメだよ。風邪引いちゃうから」と新たなリクエストを受けている。
「先代(元大関・霧島)みたいに格好いい大関になりたい」。霧島はスポーツニッポンの取材にそう力を込めた。夏場所は2横綱3大関の陣容となる。さらなる高みを目指す戦いが、5月の両国国技館で幕を開ける。
[文/構成 by たかなし もか]


























































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