吉田塡一郎さん死去に追悼続々「日テレの巨人戦と言えばこの人」「あの絶叫が忘れられない」名実況アナが遺したもの

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元日本テレビアナウンサーの吉田塡一郎氏が4月17日、十二指腸がんのため死去した。79歳だった。千葉県千葉市出身、千葉県立千葉高等学校から中央大学経済学部を経て、1969年に日本テレビに入社。以来約35年にわたり、プロ野球の巨人戦やゴルフ中継など数多くのスポーツ実況を担当した。1987年の駒田徳広の逆転弾ではマイクの音が割れるほどの大絶叫で話題となり、1994年・2000年の日本シリーズでは巨人日本一の瞬間を2度実況。2001年の長嶋茂雄監督退任会見では代表質問を務め、「野球というスポーツは人生そのものです」という歴史に残る名言を引き出した。SNSでは「日テレの巨人戦と言えばこの人」「あの絶叫が忘れられない」と惜しむ声が相次いでいる。
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4月17日に十二指腸がんで死去、79歳
元日本テレビアナウンサーの吉田塡一郎(よしだ・しんいちろう)氏が4月17日、十二指腸がんで亡くなった。79歳だった。告別式はすでに近親者のみで済ませており、喪主は妻の紀子さんが務めた。
訃報は5月2日、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」の番組内で、先輩にあたる徳光和夫氏が「大好きな後輩」として悼んだことで初めて明らかになった。その後、5月13日から14日にかけて読売新聞やスポーツ報知、日刊スポーツなど主要メディアが一斉に報道し、広くファンの知るところとなった。
千葉県出身、中央大から1969年に日テレ入社
吉田氏は1946年4月25日、千葉県千葉市に生まれた。千葉県立千葉高等学校を経て中央大学経済学部を卒業し、1969年4月に日本テレビにアナウンサーとして入社している。
入社以来、一貫してスポーツ中継畑を歩んだ。プロ野球とゴルフを二本柱に、箱根駅伝の中継所実況(1997年〜2000年・平塚中継所)、ラグビー中継、さらにはアメリカンフットボールの第23回スーパーボウル(1989年)で、ジョー・モンタナが演出した「モンタナマジック」の歴史的な逆転劇の実況も担当した。スポーツ以外では『笑点』のアナウンサー大喜利に1度参加したこともある。2003年末に日本テレビ系列のアール・エフ・ラジオ日本へ出向し、『ラジオ日本ジャイアンツナイター』で初めてラジオでのプロ野球実況も経験。その後、同局の取締役編成局長、常務取締役営業局長を歴任し、2011年に退職。フリーアナウンサーとして講演活動などを行っていた。
「駒田!駒田!駒田~!!」── あの絶叫が忘れられない
吉田氏の実況スタイルを一言で表すなら、「熱血」である。「大の巨人ファン」を公言し、後楽園球場時代から長く巨人戦の実況を務めた。その情熱は時にマイクの限界を超えた。
1987年9月8日、後楽園球場での巨人対広島戦。巨人が1点を追う9回裏、駒田徳広が右中間へ逆転本塁打を放った瞬間、吉田氏は「駒田! 駒田! 駒田~!!」と大絶叫し、マイクの音が割れるほどの実況ぶりが大きな反響を呼んだ。この実況は今もプロ野球中継の「伝説の絶叫」として語り継がれている。
こうした感情むき出しのスタイルは「スポーツ実況における絶叫のはしり」とも評され、訃報を受けたSNSでも「あの絶叫が忘れられない」と振り返るファンの投稿が数多く見られた。
日本シリーズの「歴史的瞬間」を2度実況
吉田氏が実況を担当した日本シリーズでの巨人の成績は5勝3敗。そのうち、巨人日本一の瞬間を伝えたのは2度に及ぶ。
1994年、対西武ライオンズの日本シリーズ第6戦。巨人が日本一を決めた瞬間、吉田氏は「全員野球の長嶋ファミリーは見事、天下を取りました!」とその興奮を伝えた。2000年、「ON対決」として注目を集めた対ダイエーホークスの日本シリーズ第6戦では、「20世紀最後を飾ったのは、東京、読売、巨人軍! 監督・長嶋茂雄、64歳、長嶋ジャイアンツは6年振り巨人軍19回目の日本一、決定です!」と、優勝の瞬間を余すことなく言葉に刻んだ。
このほか、1974年10月14日の長嶋茂雄の現役引退試合ではベンチレポートを担当。1983年のゴルフ・ハワイアンオープンでは、青木功が最終日18番ホールでチップインイーグルによる逆転優勝を果たした瞬間を実況している。プロ野球からゴルフ、アメフトまで、スポーツの歴史的瞬間に繰り返し立ち会ったアナウンサーだった。
加藤哲郎の「問題発言」を引き出したヒーローインタビューの名手
吉田氏のもう一つの顔が「ヒーローインタビューの名手」だ。徳光和夫氏は追悼の場で「王貞治や中畑清が胸襟を開いた」と、吉田氏のインタビュー力を称えている。
その象徴的なエピソードが1989年の日本シリーズ第3戦。巨人対近鉄の一戦でヒーローインタビューを担当した吉田氏は、6回1/3で降板し完封リレーで勝利を挙げた近鉄・加藤哲郎投手から「シーズン中のほうがよっぽどシンドかったですからね。相手も強いし」という感想を引き出した。このやり取りが翌日の新聞で「巨人はロッテより弱い」と報じられ、奮起した巨人が逆転日本一を果たすきっかけとなったことは、プロ野球史に残る有名なエピソードである。選手の本音を自然に引き出す吉田氏の聞き手としての力が、結果的にシリーズの流れそのものを変えた瞬間だった。
長嶋茂雄監督から引き出した「人生そのもの」
吉田氏のキャリアを語る上で最も欠かせないのが、2001年の出来事だ。巨人・長嶋茂雄監督の退任記者会見で代表質問を担当した吉田氏は、「長嶋さんにとって野球とは何ですか」と問いかけた。これに対し長嶋氏が返した答えが、「野球というスポーツは人生そのものです」という言葉だった。
この一言はプロ野球史に残る名言として今も語り継がれている。質問を投げかけるだけでなく、長嶋氏の野球に対する深い愛情と哲学を言葉として表出させた。入社間もない1974年の長嶋引退試合のベンチレポートに始まり、現役時代から監督退任まで、長嶋茂雄という存在と27年にわたって接してきた信頼関係が凝縮された瞬間だった。
2025年6月3日に長嶋茂雄さんが亡くなり、その翌年に「名言を引き出した質問者」である吉田氏もこの世を去った。SNS上では「長嶋さんの言葉は、吉田さんの問いかけがあったからこそ生まれた」と、聞き手の功績を改めて称える声が相次いでいる。
「日テレの巨人戦と言えばこの人」── 視聴者の記憶に刻まれた声
訃報が広く報じられると、長年のプロ野球ファンから別れを惜しむ声がSNS上にあふれた。中でも繰り返し目にするのが「日テレの巨人戦と言えばこの人」という言葉だ。
「我々世代にとって、日テレの巨人戦と言えば吉田さんなんですよね」「2000年代前半までの巨人戦と言えば吉田さん。安心する声でした」「1987年にジャイアンツが優勝した時、日テレのジャイアンツ戦と言えば、実況は吉田の塡ちゃんだったな」。こうした投稿に共通するのは、映像ではなく「声」で時代を思い出すという感覚だ。日本テレビの巨人戦中継は、かつて多くの家庭で夕食時の定番だった。吉田氏の声は、そうした日常の風景の一部として人々の記憶に刻まれている。
一方、4月7日に亡くなった多昌博志さん(63歳)、2022年に54歳で急逝した河村亮さんと合わせ、日テレの名スポーツアナウンサーが相次いで世を去っていることにも触れる声が多い。「多昌博志さんに続いて、吉田填一郎さんの訃報が入ってきて、巨人ファンの端くれとしては物凄くショック。あの頃の日テレの巨人戦中継は本当に良かった」「河村さんや多昌さんも亡くなってしまって聞き馴染みのある声が次々失われていく」という嘆きは、単なる追悼を超え、地上波でプロ野球を毎晩放送していた時代そのものへのノスタルジーを映し出している。
名実況がスポーツ放送界に遺したもの
昭和から平成にかけてのスポーツ中継を支えた名アナウンサーの死は、一つの時代の区切りを意味する。「大の巨人ファン」を公言しながら全国放送の実況席に座る。そのスタイルには「全国への実況でありながら巨人に肩入れするのを良しとするのか」という批判が昔から存在した。しかし同時に、「だからこそ熱量があった」「日テレアナはこうじゃなくっちゃ」という肯定の声も根強い。中立・公平が求められる現在のスポーツ中継とは異なる、あの時代ならではの「偏愛がそのまま熱量になる」実況スタイルは、功罪を含めて語り継がれていくだろう。
スポーツの魅力は、競技そのものの面白さに加え、それを伝える実況者の言葉によってさらに深まる。「駒田!駒田!駒田~!!」の絶叫も、「野球は人生そのもの」を引き出した問いかけも、吉田塡一郎というアナウンサーの情熱と技術があったからこそ生まれたものだ。その声はもう新たに響くことはないが、数々の名場面の映像とともに、これからも繰り返し再生され続けていくに違いない。
[文/構成 by たかなし もか]




























































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