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塩貝健人を育てた家族の素顔 外資系投資銀行15年の父、慶應大の兄が明かす”妥協しない一家”の原点

塩貝健人を育てた家族の素顔 外資系投資銀行15年の父、慶應大の兄が明かす”妥協しない一家”の原点

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VfLヴォルフスブルクFW塩貝健人(21)が2026年W杯日本代表に選出されたことで、その家庭環境に注目が集まる。父親は外資系投資銀行に15年間勤務したビジネスパーソンで、兄・亮太は慶應義塾大学に進学。サッカー未経験の父が試合映像を通じた分析指導を実践してきた家族の教育方針が、兄弟のサッカー人生を下支えした。

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外資系15年の父が持ち込んだ、グラウンドへの分析眼

ドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクに所属するFW塩貝健人(21)=VfLヴォルフスブルク=が、2026年FIFAワールドカップを戦う日本代表メンバーに名を連ねた。

脚光を浴びているのは塩貝本人だけではない。彼を育てた家族の素顔も、ファンの間で話題だ。なかでも父親の存在は際立つ。

兄・塩貝亮太は慶應義塾大学体育会ソッカー部の公式ブログで、父についてこう記した。「最近では、自身をビジネスエリートと称し、何かにつけて外資系投資銀行で15年間働いていたことを後ろ盾に私にマウントを取ってきますが」。冗談交じりの一節ながら、父の経歴を端的に示す言葉だ。

サッカーとは縁遠い金融のキャリアを持つ父は、それでも息子たちのサポートに力を注いだ。「練習に付き合ってくれたこと、分析に協力してくれたこと」と、亮太は同ブログで感謝を綴った。試合の映像を記録・分析し、「次はここを直せ」と子どもたちに伝える。投資銀行で15年間培ってきた数字と情報を読む眼が、グラウンドでも発揮された。1

ブログにはもう一言ある。「自身の強みである動き出しとドリブルが父との特訓で培われた」。亮太がそう振り返るほど、父の関与は深かった。

関連記事:塩貝健人の経歴・年俸・プレースタイルとは 慶應大→NEC→ヴォルフスブルク、日本代表初招集の20歳FWに迫る

兄・亮太も慶應義塾大へ、3歳差きょうだいの切磋琢磨

兄の亮太は3歳年上。中学時代は東京ヴェルディジュニアユースに所属し、現・シントトロイデンのMF山本理仁やMF藤田譲瑠チマとともにプレーした。その後、暁星高校を経て慶應義塾大学商学部に進んだ。

一方の健人は横浜FCジュニアユースからユースへの昇格が見送られ、國學院大學久我山高等学校へ進学。高校3年次に全国高校選手権で活躍し、日本高校選抜にも選ばれると、2023年に慶應義塾大学法学部政治学科へ入学した。兄弟が初めて同じチームのユニフォームを着たのは、健人が1年、亮太が4年の2023年シーズンだ。

ゲキサカの取材に、亮太は「弟だから負けたくないのはあった」と明かした。得点数ではダブルスコアをつけられたと苦笑しながら、「一緒にできてよかった」と1年間を振り返った。

お互いに「他人の意見を受け入れないタイプ」で、話せばプレーの文句の言い合いになると亮太は笑う。ぶつかりながら高めあう。その姿勢は、父から引き継いだ気質だと見ることもできる。

健人本人もソッカー部の公式ブログに「サッカーでは、公式戦を除いては自分以外の得点は嬉しくない」と書いた。過去のエピソードとして書かれた言葉だが、根っこにある「負けず嫌い」の気質は、兄弟で共通している。

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「分析に協力してくれた父」が磨いたストライカーの動き出し

父親の関わり方は、応援席に駆けつけるだけではなかった。

亮太のブログには「練習に付き合ってくれたこと、分析に協力してくれたこと」への感謝が記されている。サッカー未経験でありながら、試合や練習を記録し分析する習慣を持ち込んだ父の存在は、息子たちにとって”もう一人のコーチ”だった。

なぜ分析にここまで力を注げたのか。投資銀行という職場は、膨大なデータから本質を読み取る技術が問われる世界だ。その思考回路が、試合映像の中に改善点を見つける作業と重なる。15年間のキャリアがグラウンドで生きた、と亮太の言葉は示唆する。

「自身の強みである動き出しとドリブルが父との特訓で培われた」。亮太が語った”強み”は、弟の健人にも受け継がれた可能性がある。

2026年3月28日のスコットランド戦で、健人は後半33分から途中出場した。FW伊東純也の決勝弾をアシストし、鮮烈なA代表デビューを飾った。本人はゴールシーンをこう振り返っている。

「マークの外し方が完璧だったんじゃないかなと。相手の前にいいように入れて、あとはボールが来たら触るだけだった」

「マークの外し方」という言葉に、動き出しの精度が凝縮されている。相手より先にポジションを取る感覚は、一朝一夕では身につかない。父との特訓と映像分析で染み込んだ技術が、世界の舞台で機能した瞬間だ。

代表デビュー戦でアシストを記録した21歳のFWに、先輩FW伊東純也は「結構ストライカーだなと。自分を持っているなと思うし、フィジカルも強いものがある」と評した。

「慎重派だったのに、やり切った」W杯代表選出を喜んだ兄

2026年5月15日、亮太は職場にいた。耳にイヤホンをつけ、森保一監督が名前を読み上げるのを聞いた。その日は上司や同僚だけでなく、客からも祝福の声が相次いだという。

「凄いとしか言えない。あれよあれよと、ですよね。積み上げることからチャレンジして、決断してやり切ったことは本当にすごいと思います」

記憶にある健人は「慎重派で、何をやるにもビビっていた」タイプだったという。だが大学在学中に横浜F・マリノスへの入団内定を決め、翌年夏にオランダ1部のNECナイメヘンと契約。退部からわずか1年半後にはドイツ1部ヴォルフスブルク行きをつかみ取り、3月の英国遠征でA代表初招集を勝ち取った。

兄弟間の”報告スタイル”は変わらない。「すべて事後報告」と亮太は苦笑する。相談せず、決断してから伝える。慎重だったはずの弟が、なぜここまで大胆になれたのか。

答えは本人のブログにある。「負けたくないという一心で、自分より何倍も上手い選手に対する劣等感を原動力に変え、その距離を埋めてこられた」。父が磨いた分析眼と、家族全員で培った”負けず嫌い”の精神が、ここで一つになる。

2026年W杯、「夢を見せる側」への誓い

ヴォルフスブルクでの背番号は7番。慶應義塾大学を休学のまま欧州に渡り、わずか2年足らずで日本代表FWとして世界の舞台に立つ。

GOETHEの取材で健人はこう語った。「この4年間で自分でも驚くくらい環境が変わった。今度は自分が夢を見せる側になれれば」。 塩貝健人が「ジョーカー」か「先発の1番手」かという論争が続く中、本人の言い分はブレない。「ストライカーとして1番手を取りに行く。最初からサブでワールドカップに出ようなんか思っていない」。

亮太はW杯の現地観戦を「仕事と相談しながらになる」と語りながら、父母については「全部行くと思う」と付け加えた。外資系投資銀行で15年間積み上げた分析の習慣がグラウンドに持ち込まれ、息子たちの動き出しに宿った。その答えが今夏、北中米の舞台で試される。

[文/構成 by さとう つづり]

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