田中健、義父・加賀義二さん(86)の死去をブログで報告 日本テレビでドラマ制作、『笑点』の前身『金曜夜席』の立ち上げにも関与

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俳優の田中健(75)が9月26日、公式ブログで義父の加賀義二さんが86歳で亡くなったと報告した。晩年は入退院を繰り返し、投稿の約2週間前に旅立ったという。葬儀は家族葬で済ませている。元日本テレビのプロデューサーで、『笑点』の前身『金曜夜席』の立ち上げに携わった。
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ブログで伝えた義父の旅立ちと家族葬
田中がブログ「今朝の空と義理の父の旅立ち」を公開したのは9月26日午前8時ごろだった。「今朝の雨空です」と写真を添えたあいさつに続けて「我が家はただいま白い花々に囲まれています」とつづり、義父の死去を伝えている。
<blockquote>日本テレビで主にドラマ制作をしていた義理の父・加賀義二86歳
晩年は入退院を繰り返していましたが2週間前に旅立ちおかげさまで家族葬を無事済ませました。</blockquote>
正確な死去の日付と死因は、ブログでも報道でも明らかにされていない。葬儀には女優の加賀まりこ夫妻も参列できたといい、田中は「義二さんは全てのタイミング計って旅立ったようでした」とつづった。
悲しみの中に、思わぬ場面もあった。火葬場での最後の別れで、加賀まりこが「よしじちゃん、私もすぐに行くからね」と声をかけると、田中の妻がすかさず「まだ早いからね」と止めたという。田中はこのやり取りを「ドラマのような間合いで悲しみの中にも思わず可笑しさが込み上げました」と明かしている。
加賀まりこは9月28日に始まるNHK連続テレビ小説『ブラッサム』で、1980年代の主人公・葉野珠を演じる。田中は、加賀さんがこの朝ドラも楽しみにしていたと記し、「まだまだ良質な作品に携わるようにと伝わったように感じました」とつづった。
談志の発案から始まった『金曜夜席』と加賀さん
田中がブログで「義二さんの大きな財産の一つ」と書いたのが、『笑点』の前身番組『金曜夜席』の立ち上げだった。
『金曜夜席』は1965年3月12日に日本テレビで始まった寄席形式の演芸番組で、総合司会は7代目立川談志。談志の回想によれば、日本テレビから番組案を求められて「テレビで寄席をやる」という案を出し、それが番組になった。演芸の後に落語家たちが題に答える大喜利のコーナーは、ここで形になっている。
翌1966年、放送時間を移して番組名を改め、5月15日に『笑点』として再スタート。初代司会は談志が務め、現在の春風亭昇太まで6代の司会者に引き継がれながら2026年5月に放送60周年を迎えた。日曜夕方の定番番組は、ギネス世界記録にも認定されている。
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加賀さんは日本テレビで演芸番組とドラマの両方の制作に関わった。番組の出発点に立ち会った義父について、田中はブログで「ドラマ、映画、落語、エンターテインメントが大好きな方でした」と紹介している。
倉本聰、勝新太郎とも組んだドラマのキャリア
加賀さんは演芸番組と並行して、ドラマ制作にも早くから携わっていた。1966年3月に始まった吉屋信子原作の『母の曲』(左幸子主演)でプロデューサーに名を連ね、1960年代後半からは石坂洋次郎原作の『颱風とざくろ』(1969年)、平幹二朗主演の『君は海を見たか』(1970年)など、脚本家・倉本聰と組んだ連続ドラマを手がけた。
1973年には岸田今日子主演、倉本脚本の『ガラス細工の家』をプロデュース。同作はギャラクシー賞の期間選奨に選ばれている。
活躍の場は時代劇やアクションにも広がる。若山富三郎主演の『唖侍 鬼一法眼』(1973年)、高橋英樹主演の『桃太郎侍』(1978〜79年放送分)、沖雅也主演の探偵ドラマ『俺たちは天使だ!』(1979年)とジャンルを問わず制作に関わった。1980年10月から放送された勝新太郎主演・監督の刑事ドラマ『警視-K』では、プロデューサーとしてクレジットされている。
『俺たちは天使だ!』について、田中はブログで「かみさんが一番好きだった作品だそうです」と明かした。ユニオン映画のYouTubeでの公開にも触れ、感謝をつづっている。
1981年に始まった『火曜サスペンス劇場』の枠でも、加賀さんは単発ドラマを担当した。いかりや長介が「落としの名人」と呼ばれる刑事・水木正一郎を演じた『取調室』シリーズでも、2002年の第16作などでプロデューサーを務めた。同シリーズはいまもCS局などで再放送が続く。
義父の作品に初出演、佐賀ロケにも同行
田中にとって『取調室』は、義父の作品に初めて出演したドラマでもあった。
「一緒に佐賀までロケに行きました」。ブログにはそう書き残している。作品は佐賀を舞台に、容疑者を取調室で自白へ導く水木の姿を描き、2003年に初放送された第19作まで作られている。
田中は1974年に日本テレビのドラマ『春のもつれ』で俳優デビューし、翌1975年10月に同局で始まった『俺たちの旅』でオメダ役を演じた。南米の民族楽器ケーナの奏者としても知られる。
加賀さんの娘と結婚した田中にとって、加賀さんは義父であると同時に、同じテレビの世界を歩んだ先達だった。ブログでは、親交のあった人々や番組を見て応援した視聴者、長年仲間として活動してきた野球チーム「マドワーズ」の面々にも「この場を借りて御礼申し上げます」と感謝を伝えている。
半世紀続く『俺たちの旅』と秋のツアー
田中はいまも『俺たちの旅』とともに歩む。2026年1月9日には、中村雅俊が初監督と主演を務めた映画『五十年目の俺たちの旅』が公開され、田中もオメダ役で出演した。
中村、秋野太作、岡田奈々と4人がそろう「俺たちの旅 スペシャルコンサート」の秋ツアーは、10月29日の東京国際フォーラム ホールAから始まる。義父をしのぶ投稿の終わり近く、田中はこのコンサートに触れて「僕も頑張ります」と前を向いた。
[文/構成 by エンタメライター 和泉ユウスケ]








































































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