福永壮志とは何者か、経歴を深掘り!英語嫌いからハリウッド監督へ!「日本の普通」から逃れた異色キャリア。

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
映画監督の福永壮志氏は、北海道出身で「英語嫌い」を公言しながらも渡米し、ニューヨークで映画制作を学んだ異色の経歴を持つ。デビュー作から国際的な評価を受け、近年ではドラマ『SHOGUN 将軍』の監督を務めエミー賞受賞に貢献。アイヌや移民などマイノリティの視点を描き続け、ハリウッドの第一線で活躍する注目の監督である。
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ハリウッドを席巻する日本人監督、その原点とは
2024年、エミー賞で史上最多18部門を受賞したドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』。この歴史的快挙を成し遂げた制作陣の中に、一人の日本人監督がいる。福永壮志(ふくなが たけし)、43歳。北海道伊達市に生まれ、かつては「英語が嫌い」だったという彼が、いかにしてハリウッドの頂点に立つ作品を手がけるに至ったのか。その道のりは、日本の画一的な教育システムへの疑問から始まった、型破りな挑戦の連続であった。
「日本の普通」からの脱却、映画への道
英語嫌いだった高校生、アメリカへ
福永監督のキャリアの原点は、高校時代の進路選択にある。「日本の大学は入る前に受験する学部を決めなきゃいけない」「自分が何をやりたいかなんてわからない」。この日本の大学受験システムへの疑問が、彼を海外へと向かわせた。入学後に専攻を決められるアメリカの大学システムに合理性を見出し、2003年に渡米を決意する。
驚くべきことに、当時の彼は「なんで日本人が英語を勉強しなきゃいけないんだ」と公言するほどの英語嫌いであった。しかし、留学という目標のため、高校卒業後にミネソタ州立大学秋田校(当時)で約1年間英語を猛勉強。その後、ミネソタ州の大学へ編入した。
そこで彼が目の当たりにしたのは、アートの授業で自らの作品を自信満々に発表するアメリカ人学生の姿だった。「こんな風にアートって思いきりやっていいんだ」と感銘を受け、幼い頃から好きだった映画の道を志すことを決意する。2005年、インディペンデント映画の聖地ニューヨークへ移り、ニューヨーク市立大学ブルックリン校の映画学部に入学。2007年に同校を卒業した。
下積みから長編デビュー、そして悲劇
大学在学中に制作した短編映画が米国の映画批評会議から学生賞を授与され、大きな自信を得る。卒業後は現地の制作会社で働きながら、OPTビザ(学生が専攻分野に関連した実務経験を積むための就労許可)からアーティストビザへと切り替え、米国での活動基盤を築いた。
2009年からは自身の作品制作に専念するためフリーランスに転身。しかし、生活は安定せず、編集の仕事で生計を立てる日々が続いた。「映画を作るためにニューヨークに来たはずなのに、長編映画を撮るということから離れている」。2011年末、この危機感が彼を突き動かし、初の長編映画『リベリアの白い血』の制作に着手する。
このデビュー作は、義弟でもあった撮影監督・村上涼氏がリベリアで撮影したドキュメンタリー映像に心を打たれたことがきっかけだった。しかし、2013年のリベリアでの撮影後、村上氏はマラリアに感染し、この世を去るという悲劇に見舞われる。福永監督自身もマラリアに罹患。罪悪感から一時は制作続行を断念しかけたが、「この映画を途中でやめれば、村上は僕のことを叱るだろう」と奮起し、クラウドファンディングで資金を集め、映画を完成させた。





























































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