青木瑠郁とは何者か “補欠から区間新”ランナーに称賛「4年間の集大成」【箱根駅伝】進路や出身高校も解説

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2026年1月2日の第102回箱根駅伝で、國學院大學4年の青木瑠郁が「花の1区」を1時間0分28秒の区間新記録で走破した。補欠登録から当日変更で起用されると、チームを史上初の首位中継に導く快挙を達成。最終学年での覚醒は、過去の挫折や監督の言葉を乗り越えた「4年間の集大成」として、多くの称賛を集めている。
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箱根駅伝に刻んだ新たな歴史 國學院大・青木瑠郁、”花の1区”で衝撃の区間新
2026年1月2日、新春の東京・大手町をスタートした第102回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)。レースの行方を占う重要な1区(21.3km)で、歴史的な記録が生まれた。國學院大學の副主将、青木瑠郁(4年)が、1時間0分28秒という驚異的なタイムで区間賞を獲得。2022年に中央大学の吉居大和(現・トヨタ自動車)が樹立した1時間0分40秒の記録を12秒も更新する区間新記録であった。
この快走により、國學院大學は箱根駅伝史上初めて1区で区間賞を獲得し、鶴見中継所をトップで通過する快挙を成し遂げた。補欠登録から当日エントリー変更で大役を任された男が、チームの悲願である総合優勝に向け、最高の形で襷をつないだのである。
“補欠”からの逆襲劇 ― 当日変更と超高速レースの舞台裏
青木の1区起用は、前田康弘監督が仕掛けた「勝負手」だった。12月29日の区間エントリー発表時点では、青木は補欠に登録されていた。前田監督が今季「5人のジョーカー」と呼ぶ主力の一人でありながらの補欠登録は、他校への揺さぶりと、最適な配置を見極めるための戦略であったと見られる 。そしてレース当日、満を持して「花の1区」に投入された。
レースは序盤からハイペースで展開。青木は冷静に集団後方で機をうかがい、7km過ぎに先頭集団に合流。その後も集団前方でレースを進めると、勝負所の17km手前でスパート。一気に後続を突き放した。運営管理車から前田監督が「歴史に名を刻むぞ!」と檄を飛ばす中、青木は沿道にガッツポーズを見せる余裕すら漂わせ、鶴見中継所へ一番乗りを果たした。
今大会の1区は、青木だけでなく、区間2位の中央大・藤田大智(1時間0分37秒)、オープン参加の関東学生連合・川﨑颯(筑波大、1時間0分38秒)も従来の区間記録を上回るなど、空前の「超高速レース」となった。有力選手たちが牽制しあう展開も多い1区において、高いレベルでの競り合いが歴史的な好記録の連発を生んだと言えるだろう。
挫折と覚醒の4年間 ― 副主将・青木瑠郁の軌跡
今回の快挙は、決して偶然の産物ではない。群馬県伊勢崎市出身、高崎健康福祉大学高崎高等学校(健大高崎)から國學院大學人間開発学部に進んだ青木の4年間は、栄光と挫折の繰り返しであった。
高校時代から見せた片鱗
健大高崎高校時代、女子陸上界のスターである不破聖衣来(拓大卒)の1学年後輩にあたる青木は、当時から世代トップクラスのランナーとして知られていた。高校3年時の5000m自己ベストは14分12秒27。大学入学後、練習量が月間300km程度から倍以上の600km、合宿期には1000km以上に増えたことで、その才能は一気に開花していく。
栄光と苦悩の大学駅伝
大学1年時の第54回全日本大学駅伝で5区区間賞を獲得し、鮮烈なデビューを飾る。しかし、その後の駅伝では安定感を欠くレースが続いた。特に箱根駅伝では、1年時に1区12位と苦杯をなめ、その後も区間上位には食い込むものの、区間賞には手が届かなかった。
最終学年となった2025年度シーズンも、出雲駅伝では1区5位、そして連覇を狙った11月の全日本大学駅伝ではエース区間の7区で区間9位と失速。チームも4位に終わり、青木は「チームに迷惑をかける走りをしてしまった」と悔しさを滲ませていた。
| 学年 (年度) | 大会 | 区間 | 区間順位 | 記録 |
|---|---|---|---|---|
| 1年生 (2022) | 第99回 | 1区 | 12位 | 1時間03分16秒 |
| 2年生 (2023) | 第100回 | 3区 | 4位 | 1時間01分56秒 |
| 3年生 (2024) | 第101回 | 4区 | 2位 | 1時間01分09秒 |
| 4年生 (2025) | 第102回 | 1区 | 1位 (区間新) | 1時間00分28秒 |
最終学年での覚醒と監督の言葉
転機となったのは、全日本大学駅伝から約2週間後に行われた第38回上尾シティハーフマラソンだった。ここで青木は1時間0分45秒の自己ベストをマークし優勝。この勝利が、失いかけていた自信を取り戻す大きなきっかけとなった 。
この復活の裏には、前田監督からの厳しい言葉があったという。「一度、プライドを捨てろ。勝つためのレースをしろ」。この助言を受け、青木は個人の記録へのこだわりだけでなく、チームを勝利に導くための走りに徹する覚悟を決めた。全日本での悔しさをバネに、副主将としての責任感を走りで示す。その集大成が、今回の歴史的な区間新記録だったのである。



















































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