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鈴木良雄さん死去、ジャズベーシストのチンさん 骨折入院の検査で悪性腫瘍が判明、治療中だった

鈴木良雄さん死去、ジャズベーシストのチンさん 骨折入院の検査で悪性腫瘍が判明、治療中だった

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「チンさん」の愛称で親しまれたジャズベーシストで作曲家の鈴木良雄さんが、2026年9月23日に亡くなった。80歳だった。公式サイトで9月28日にFRIENDS MUSICの名義で発表され、8月に上腕部を骨折して入院した際の検査で悪性腫瘍が見つかり、治療を続けていたと説明している。葬儀は近親者のみで済ませ、後日お別れの会(追悼LIVE)を開く予定だ。

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8月に上腕部を骨折、入院先の検査で悪性腫瘍が見つかった

発表は9月28日付で、鈴木さんの公式サイトに「鈴木良雄 逝去のお知らせ」として掲載された。「ジャズベーシスト、コンポーザーの鈴木良雄が、2026年9月23日、病気のため永眠いたしました」との書き出しで、享年80と伝えている。

経緯についての記述は短い。「鈴木良雄は8月に上腕部骨折し入院。その検査で悪性腫瘍が発見され、治療中でしたが、9月23日、ご家族に見守られる中、安らかに永眠いたしました」。公式発表が病名として挙げたのは「悪性腫瘍」までだった。

一方、共同通信は同じ9月28日、鈴木さんが23日午後11時45分に肺腺がんのため亡くなったと報じた。長野県出身で、喪主は妻の由紀さん。公式サイトの発表文には「肺腺がん」の記載はなく、具体的な病名は共同通信の報道で伝わっている。

骨折が公になったのは8月だった。公式サイトは8月10日付の「大切なお知らせ」で、腕の骨折のため8月の予定を変更し、9月から10月半ばまでのライブもキャンセルすると告知している。鈴木さん本人の名前で「頑張って早く復帰したいと思っておりますのでよろしくお願いいたします」と結ばれた文面だった。9月12日の横浜ドルフィー、9月19日の新宿ピットインのステージは、鈴木さん抜きのTHE BLENDで演奏すると案内されていた。

復帰はかなわなかった。

葬儀は近親者のみ、THE BLENDは4人で年内公演へ

葬儀と告別式は遺族の意向で、近親者のみですでに行った。後日、お別れの会として追悼LIVEを開く予定で、詳細は改めて知らせるとしている。

最後まで率いたバンド、THE BLENDの予定も発表で示された。11月21日に出演予定だった英国のEFG London Jazz Festival 2026を含む年内の公演は、鈴木さん以外の4人、峰厚介(サックス)、中村恵介(トランペット)、ハクエイ・キム(ピアノ)、本田珠也(ドラム)で出演する。

発表文には、骨折の治療中だった鈴木さんがメンバーに託した言葉も添えられた。「リーダー抜きでもThe Blendの音楽と心を奏でることができる素晴らしいミュージシャン達だ、4人でよろしくお願いします!」。4人への信頼をそのまま書き残した一文だった。

ピアノから転向、渡辺貞夫のバンドで世に出る

鈴木さんは1946年3月21日、長野県木曽福島(現在の木曽町)で生まれた。公式プロフィールによると音楽家の両親の下で育ち、幼いころからバイオリンとピアノに親しんだ。スズキ・メソードで知られる鈴木ヴァイオリンの一族の出で、スズキ・メソードを創始した鈴木鎮一は伯父にあたる。

一家で東京へ移り、東京都立杉並高校を経て早稲田大学へ進む。在学中はモダンジャズ研究会でピアノを担当していた。ジャズ専門サイトARBANの連載インタビューでは、高校3年のときに喫茶店で聴いたデイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」がジャズとの出会いだったと語っている。

転機はベースへの転向だった。公式プロフィールは、卒業後に渡辺貞夫に師事し、彼のバンドへの誘いもあってベースに持ち替えたと記す。1969年から73年にかけて渡辺貞夫、菊地雅章のグループで演奏し、73年には初のリーダー作「FRIENDS」を発表している。2024年1月に出した自伝「死ぬまでジャズ〜鈴木良雄・自伝」の紹介文には「ベース歴0年でいきなり国内トップのジャズ・グループに参加」という一節がある。

ニューヨークでスタン・ゲッツ、アート・ブレイキーのレギュラーに

1973年に渡米すると、活動の場はニューヨークに移る。74年にスタン・ゲッツのグループに加わり、続いてアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレギュラーベーシストを76年まで務めた。ジャズの歴史に名を残す2人のバンドで、日本人ベーシストが定位置を得ていたことになる。

演奏と並行して、クラシックの作曲法も学んだ。公式プロフィールは、ジャズのフィーリング、クラシックの素養、日本人としての感性を混ぜ合わせた独自の世界を築いたと紹介している。ニューヨークでの生活は約12年に及び、1985年に帰国した。

MATSURI、EAST BOUNCE、BASS TALK、THE BLENDと続いた自作曲の歩み

帰国後は自己のグループMATSURIを結成し、日本での活動を再開した。1993年に結成したEAST BOUNCEでは、初アルバム「Kisses on the Wind」に収めた「Somewhere I Never Travelled」がニューヨークのラジオ局で繰り返し流れ、編集盤「BEST OF EAST BOUNCE」が全米で発売されている。

2000年代はBASS TALKが軸になる。フルートの井上信平、ピアノの野力奏一、パーカッションの岡部洋一らと組んだアコースティック編成で、鈴木さんのオリジナル曲を野力のアレンジで聴かせるグループだった。2004年に「MOON AND BREEZE」、2012年に「Dancing Luna」、2019年に「Beyond the Forest」を出し、2005年にはエストニアのジャズフェスティバルを含む欧州ツアーも行った。19年続いたBASS TALKは2019年いっぱいで解散している。

節目の作品も多い。2009年のベーシストデビュー40周年には、ケイ赤城、秋吉敏子、小曽根真、イサオ・ササキ、野力奏一、山本剛の6人のピアニストとデュオで録音した「My Dear Pianists」を発表した。2011年にはギタリスト増尾好秋とのデュオ作「Around the World」を出し、全国70か所を回るツアーに出る。2020年には長年組んできた山本剛とのデュオ作「Loving Touch」がリリースされた。

最後のバンドとなったTHE BLENDは2019年に結成した。峰厚介、中村恵介、ハクエイ・キム、本田珠也と組んだ5人編成で、2022年に「Five Dance」、2025年6月に2作目の「EXPECTATION」を発表している。「EXPECTATION」には、旧友のトロンボーン奏者、今井尚が鈴木さんの愛称を題名にして書いた「CHIN SAN」や、1973年のデビュー作に収めた「BURNING POINT」の再演も入っていた。

南里文雄賞、ジャズ大賞 80歳の誕生日にもステージへ

評価は賞にも表れた。2010年1月に南里文雄賞を受賞し、2022年度には日本ジャズ音楽協会のジャズ大賞を受けている。2007年には伊藤潔、タモリ、五野洋とともに「ONE」レーベルを立ち上げ、制作にも関わった。

伝える側の仕事も続けた。2016年に竹書房から出したジャズ入門書「人生が変わる55のジャズ名盤入門」はジャズ本のベストセラーになり、公式サイトでは「鈴木良雄のジャズ塾」として個人レッスンの受講者も募っていた。

80歳の誕生日にあたる2026年3月21日には、ビルボードライブ横浜でTHE BLENDとの傘寿記念公演に立った。骨折で入院したのは、その約5か月後の8月だった。

渡辺貞夫のバンドでベースを手にしてから半世紀余り。THE BLENDは峰厚介ら4人で、11月21日のロンドンのステージに立つ予定だ。

[文/構成 by エンタメライター 真柴 ことね]

寄稿者

真柴 ことね
芸能ニュースや音楽、テレビ番組の話題を中心に書いているWebライター。ライター歴は11年。朝は情報番組をはしごするのが日課で、気になった話題はその日のうちに調べ始める。心がけているのは「公式発表を最初に読む」こと。所属事務所やレーベルの発表、番組の公式サイトまで確かめてから書く。ドラマは録画して週末にまとめて観る派。

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