鈴木泰成、野球の原点は“祖父とのキャッチボール” 両親がスタンドで見守る中155キロ ドラ1候補の家族の物語

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10月22日のプロ野球ドラフト会議で1位候補に挙がる青山学院大学4年の右腕、鈴木泰成(すずき・たいせい)。野球を始めたきっかけは「祖父とのキャッチボール」だった。高校では右ひじの故障で回り道をしたが、大学4年の夏、両親がスタンドで見守る中で自己最速の155キロを出した。茨城県ひたちなか市の少年団から大学日本代表のエースになるまでを、本人の言葉でたどる。
鈴木泰成のプロフィール|読み方・出身・最速は?
名前は「すずき・たいせい」と読む。2004年5月28日生まれの22歳で、茨城県ひたちなか市の出身。西東京の東海大菅生高校から青山学院大学へ進み、2026年は大学日本代表の主力投手として国際大会の優勝に貢献した。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 鈴木泰成(すずき・たいせい) |
| 生年月日 | 2004年5月28日 |
| 出身 | 茨城県ひたちなか市 |
| 投打 | 右投げ右打ち |
| 体格 | 身長187cm・体重92kg(2026年) |
| 経歴 | 勝田野球スポーツ少年団(田彦小)→友部リトルシニア(田彦中)→東海大菅生高→青山学院大 |
| 最速 | 155キロ(2026年7月) |
| 主な実績 | 2021年春のセンバツで8強、2026年春の東都大学リーグで最優秀投手・ベストナイン、2026年大学日本代表 |
侍ジャパン公式プロフィールでは、2025年の体重が79キロ、2026年が92キロと記されている。1年で13キロ増え、体つきはひと回り大きくなった。
野球の原点は“祖父とのキャッチボール” ひたちなか市の少年団からスワローズジュニアへ
侍ジャパン公式サイトのプロフィールには、2025年の日米大学野球選手権に出場したときのQ&Aが残っている。野球を始めた年齢は「7歳ごろ」。きっかけの欄には、ひと言「祖父とのキャッチボール」とあった。
祖父の名前や、キャッチボールをした場所などは明かされていない。それでも、祖父とのキャッチボールが、ドラフト1位候補の投手の最初の一歩になった。
その後、小学1年で地元の勝田野球スポーツ少年団に入る。通っていたのはひたちなか市の田彦小学校だ。小学6年のときには東京ヤクルトスワローズのジュニアチームに選ばれ、12球団ジュニアトーナメントの舞台も踏んでいる。
同じQ&Aで、本人は自分のアピールポイントを「強気のピッチング」と答えている。
鈴木泰成の中学・高校時代|友部シニアから東海大菅生、センバツで先発
先輩の助言で西東京の東海大菅生へ
中学は地元の田彦中学校に通いながら、硬式の友部リトルシニアでプレーした。進路を決めるうえで背中を押したのは、同じ友部リトルシニアの先輩で、東海大菅生から八戸学院大を経て巨人に入った高橋優貴の言葉だった。
高橋から「ピッチャーなら菅生に行ったほうがいい」と勧められ、茨城を離れて西東京の東海大菅生高校へ進んだ。1年秋からベンチに入り、その秋の試合後には目標をこう話している。
「高校3年生で155キロを投げて、高卒にしろ大卒にしろ、プロになって日本を代表するピッチャーになりたいです」
当時は身長185cm、体重72キロで、球速は140キロに届いていなかった。
2年春のセンバツで先発、そのあと右ひじの故障
転機は2021年春のセンバツ。故障した本田峻也の代わりに先発を任され、2試合に先発してチームの8強入りを支えた。下級生のころから、若林弘泰監督は「将来は本当に日本を代表するピッチャーになってくれるかなと感じるくらいです」と期待を口にしていた。
だが、順調には進まなかった。2年夏の大会を前に右ひじに痛みが出て、夏は登板を回避する。本人は原因を「下半身をうまく使えずに手投げになっていた」と分析した。その後、2年秋の大会を終えた12月に右ひじの疲労骨折で手術を受け、3年の5月にようやく実戦へ戻った。
3年夏は西東京大会決勝で敗退、プロ志望届は出さず
復帰した3年夏、本人は「まだまだ背番号1にふさわしくない」と話し、最速148キロの右腕として登板を重ねた。東海大菅生は勝ち上がったが、2022年7月31日の西東京大会決勝で日大三に敗れ、甲子園を逃した。
侍ジャパンのQ&Aで、これまでで一番悔しかったことに挙げたのが、この「西東京大会決勝敗退」だ。1年秋に掲げた「高校3年で155キロ」には届かず、プロ志望届は出さないまま大学進学を選んだ。
青学大で救援から開幕投手へ|「もし投げられなくなっても」と誘った監督
進学先に青山学院大学を選んだ背景には、安藤寧則監督の言葉があった。右ひじの手術で高卒でのプロ入りから進路を切り替えた3年の春、安藤監督は鈴木のもとを訪ね「ドラフト1位指名を一緒に目指そう」と誘った。そのとき、監督は鈴木にこう声をかけている。
「もし大学で投げられなくなっても、一緒に野球をしたい」
安藤監督は、高校の若林監督が「一度も叱ったことがない」と話していた人柄を重く見ていた。投げられるかどうかより、人柄を見ての誘いだった。鈴木は東海大菅生から青学大へ進む最初の選手になった。
大学では1年春からリーグ戦に登板し、3年までは救援が中心だった。2年だった2024年にはチームが春秋のリーグ戦、全日本大学選手権、明治神宮大会をすべて制し、本人はQ&Aで一番うれしかったことに「大学四冠」を挙げている。3年の2025年夏には大学日本代表に選ばれ、抑えを任された。
バッテリーを組むのは、同じく1位候補の捕手・渡部海だ。デイリースポーツの取材に、鈴木は相棒への信頼をこう語っている。
「投球が悪い時とかマウンド上で気持ちの変化があった時に、すごい良いタイミングで来てくれたり、本当に全信頼を置いている」
4年になった2026年春は開幕投手を任され、エースとして投げた。4勝2敗、防御率1.87でリーグの最優秀投手とベストナインに選ばれ、どちらも初めての受賞となった。
関連記事:渡部海の父・達人さん「僕の役割は野球を嫌いにならないようにするだけでした」 大学まで野球の父が見守ったドラ1候補の原点
両親がスタンドで見守る中155キロ|大学日本代表での快投
家族の前で、目標の数字に届いた日がある。2026年7月4日、神奈川県平塚市で行われた大学日本代表の直前合宿。ENEOSとの練習試合に先発した鈴木は、自己最速を1キロ更新する155キロを記録した。
スタンドでは、両親が見守っていた。予定の3回を投げて1安打無失点、4奪三振。この快投で、国際大会の開幕投手の座を確実にした。本人は「ここ最近で一番よかった」と手応えを口にしている。
刺激になったのは、青学大の先輩で阪神に入った下村海翔の、7月2日の中日戦での1軍初登板だった。
「エースとして青学の品を下げられない。負けないように頑張りたい」
1年秋に「高校3年で155キロ」と語ってから、6年近くがたっていた。故障で遠回りした分、届いたのは大学4年の夏。その投球を、両親がスタンドから見届けた。
7月に台湾・台中で開かれた国際大会ワールド・カレッジ・ベースボール・チャンピオンシップ(WCBC)で、大学日本代表は優勝する。鈴木は米国との決勝で先発し、6回2失点でマウンドを降りた。
鈴木泰成の球種とドラフト評価|中日も1位候補にリストアップ
武器は150キロ台のストレートだ。時事通信の取材に、本人はこの直球を「生命線」と呼び、「球に強さがあれば、ファウルや空振りを取れる」と話している。長い腕をしならせて投げ込む直球に、カーブやスライダー、切れのあるフォークを交えて三振を奪う。
なかでもカーブへの思い入れは強い。春の開幕戦で8回2失点と好投したあと、こう語っている。
「カーブでフォームをリセットできる。自分の中で一番キーになるボール」
高校時代の投球については「行き当たりばったりの投球だったが、(大学では)自分のスタイルを確立できた」と振り返る。プロのスカウトからは、渡部とのコンビについて「バッテリーの実績は(今年のドラフト候補で)一番」との評価も出ている。
9月14日、鈴木は渡部と同じ日にプロ志望届を出した。10月9日には中日がスカウト会議を開き、1位候補としてリストアップした4人の中に鈴木の名前があったと報じられている。相棒の渡部とともに、鈴木は今年のドラフト1位候補の一人に数えられている。
本人の願いははっきりしている。
「まずはチームの勝利を優先し、いい評価をいただいてドラフト1位でいけたら」
祖父とのキャッチボールで始まった野球は、22日の会議で次の舞台へ移る。両親の前で155キロを投げた右腕が、どの球団から名前を呼ばれるのか。
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[文/構成 by さとう つづり]













































































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