矢田みくに、アジア大会女子マラソンで銅メダル 22キロ過ぎに転倒に巻き込まれるも2時間27分56秒、同種目の日本勢は2018年の野上恵子以来のメダル

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
アジア大会の女子マラソンが9月26日に名古屋であり、矢田みくに(26)=エディオン=が2時間27分56秒で銅メダルを手にした。22キロ過ぎに他選手の転倒に巻き込まれたが、すぐに先頭争いへ戻った。この種目の日本勢のメダルは、2018年の野上恵子(銀)以来、2大会ぶりとなった。
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優勝はバーレーンのハブテ、矢田は25秒差の3位
レースはパロマ瑞穂スタジアム発着の42.195キロで、雨の中で行われた。矢田にとっては、1月の大阪国際女子マラソンに続く2度目のマラソンだった。
金メダルはシタイエ・ハブテ(バーレーン)で2時間27分31秒、銀は次仁措姆(中国)で2時間27分43秒。矢田はトップから25秒遅れの3位でゴールし、同じ日本代表の佐藤早也伽(32)=積水化学=が2時間28分14秒の4位で続いた。
日本女子がこの大会で最後に金を取ったのは、1998年バンコク大会の高橋尚子だ。28年ぶりの頂点には届かなかったが、表彰台の一角は日本が守った。
前回の杭州大会では、日本女子はメダルに届かなかった。2018年ジャカルタ大会で野上恵子が銀を手にして以来の表彰台で、矢田は8年間空いていた枠を埋めたことになる。佐藤も30キロで一度は集団から離れながら、最後まで粘って4位に入り、ゴール後には矢田を祝福した。
関連記事:山下一貴、アジア大会男子マラソンで金メダル 2時間10分49秒、日本勢は2018年の井上大仁以来8年ぶり、三菱重工所属の経歴を整理
同じ日の男子マラソンでは、山下一貴=三菱重工=が2時間10分49秒で優勝。2018年ジャカルタ大会の井上大仁以来となる日本男子の金で、男女そろってメダルを持ち帰る一日となった。
17キロで先頭へ、22キロ過ぎにアクシデント
序盤は落ち着いていた。5キロを18分18秒、10キロを36分42秒で通過し、7キロ付近では次仁措姆がペースを動かす場面もあったが、矢田は集団の中で様子を見ていた。
動いたのは17キロ。矢田がペースを上げて先頭に立ち、20キロを1時間12分50秒、中間点を1時間16分39秒で通過する。レースの主導権は、日本の26歳が握りつつあった。
そこで起きたのが22キロ過ぎの転倒だ。前を走っていたバーレーンの選手が先に転び、そこに接触した矢田も路面に倒れた。
それでも、矢田はすぐに起き上がった。
先頭集団に追いつくと、27キロ過ぎには再び先頭へ。30キロで集団は4人に絞られ、ここで佐藤が後退する。35キロ過ぎの給水では帽子を投げ捨て、ハブテ、次仁措姆との3人による優勝争いに持ち込んだ。だが37キロ過ぎ、ハブテのスパートに対応できず、4位以下を振り切って3番手でゴールへ向かった。
「またか」と思いながら切り替えた転倒
転倒について聞かれた矢田は、トラックでの苦い経験を持ち出した。6月の日本選手権の5000メートルでも転倒していたからだ。サンケイスポーツによると、矢田はこう話している。
「日本選手権でも転倒したので『またか』と思いながらも、(その時とは)逆側で転倒したのでバランスが取れたと思ってポジティブに走りました」
転んだ瞬間を笑いに変えるような受け止め方だ。ゴール後はけがもなく笑顔を見せ、日の丸を掲げて喜びを表した。
一方で、結果への満足はなかった。「最低限銅メダルを取れたことはほっとしているが、金メダルを目標にしていたので、そこは少し悔やまれる」と口にし、「後先考えずに走れたので、展開的には悔いのないレースができたかなと思います」とも続けた。
前半の走りには手本がいた。24日の1万メートルで銀メダルを取った田中希実=豊田自動織機=だ。東京スポーツの取材に、矢田は「田中選手の冷静さを勉強して、前半は走った」と明かしている。
初マラソン日本最高からわずか8か月
熊本市出身の矢田は、エディオンに所属する。もともとは1万メートルが主戦場で、2025年9月の世界選手権東京大会にも1万メートルで出場したが、結果は20位と悔しさが残った。
流れが変わったのは2026年1月25日の大阪国際女子マラソンだ。初マラソンで2時間19分57秒の4位に入り、初マラソンの日本最高記録を塗り替えた。この走りで、2028年ロサンゼルス五輪の代表選考会となるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権もつかんでいる。
アジア大会の前には右ひざを痛めていた。万全とは言えない中で迎えた2度目のマラソンで、しかも途中で転倒。それでも優勝争いに最後まで加わった。
来年10月のMGCも同じ名古屋が舞台
次の大きな目標は、来年10月に予定されるMGCだ。ロス五輪の代表をかけた選考会は、再び名古屋で開かれる。
矢田は「名古屋で走って風の感じや、アップダウンの感じを体に染み込ませることができました」と話した。本番と同じ土地で、雨の中の42.195キロを最後まで先頭争いで走り切った経験は、約1年後の選考会にそのまま生きる。
レース後、「オリンピックの第一歩と思って挑めました」と語った矢田。2度目のマラソンで持ち帰った銅メダルは、ロサンゼルスへ向かう道の最初の手応えになった。
[文/構成 by スポーツライター 南條楓]








































































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