山下一貴、アジア大会男子マラソンで金メダル 2時間10分49秒、日本勢は2018年の井上大仁以来8年ぶり、三菱重工所属の経歴を整理

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
愛知・名古屋アジア大会の陸上男子マラソンが9月26日に行われ、山下一貴(29)=三菱重工=が2時間10分49秒で金メダルに輝いた。日本勢の優勝は2018年ジャカルタ大会の井上大仁以来、2大会8年ぶり。33キロ手前で一度は先頭から離されたが、すぐに追いつき、35キロ過ぎに抜け出した。
35キロ過ぎに抜け出し、2位に48秒差をつける
第20回アジア競技大会の男子マラソンは9月26日午前7時30分、名古屋市瑞穂区の瑞穂公園陸上競技場(パロマ瑞穂スタジアム)を発着点にスタートした。瑞穂運動場西交差点と名城公園交差点を結ぶ約20キロの周回を2周するコースで、スタート時の気温は22度。19人が出走した。
序盤は中国の豊配友が集団を引き、5キロは15分27秒で通過する。山下は9キロ付近で先頭に立ち、10キロを31分28秒で通った。15キロ過ぎの給水付近から豊配友が再びペースを上げると集団はばらけ、20キロでは先頭が6人に絞られる。日本陸連が公表した山下の通過記録では、15キロ地点で11番手まで下がりながら、20キロで再びトップに並んでいた。中間点は1時間5分54秒だった。
30キロを先頭の1時間34分39秒で通過した山下は、直後の上り坂でスピードを上げる。優勝争いは、前回杭州大会で銀メダルのハン・イルリョン(北朝鮮)、サワン・バルワル(インド)との3人になった。
だが、33キロ手前でハン・イルリョンが仕掛けた。バルワルがこれに続き、山下は少し離れた3番手に後退する。
それでも山下は崩れなかった。34.7キロで2人に追いつき、再び先頭へ。ハン・イルリョンが遅れ、バルワルとの一騎打ちになると、35.5キロで振り切った。35キロから40キロの5キロは14分48秒と、この日の山下で最も速いラップ。40キロを2時間4分17秒で通過し、2位のバルワルに48秒差をつけてフィニッシュした。前半の1時間5分54秒に対し、後半は1時間4分55秒と59秒速く、後半に上げるレース運びが実った。
| 順位 | 選手(国・地域) | 記録 |
|---|---|---|
| 1位・金 | 山下一貴(日本) | 2時間10分49秒 |
| 2位・銀 | サワン・バルワル(インド) | 2時間11分37秒 |
| 3位・銅 | 豊配友(中国) | 2時間12分13秒 |
| 11位 | 吉田祐也(日本) | 2時間18分33秒 |
もう一人の日本代表、吉田祐也(29)=GMOインターネットグループ=は15キロ過ぎのペースアップで先頭集団から離され、2時間18分33秒の11位だった。吉田と山下は1997年生まれの同学年で、2人ともアジア大会は初出場だった。
同じ9月26日には午前7時50分から女子マラソンもあり、矢田みくに=エディオン=が2時間27分56秒で銅メダル、佐藤早也伽=積水化学=が4位に入った。
関連記事:矢田みくに、アジア大会女子マラソンで銅メダル 22キロ過ぎに転倒に巻き込まれるも2時間27分56秒、同種目の日本勢は2018年の野上恵子以来のメダル
日本男子7度目の金、前回杭州大会はメダルなし
アジア大会の男子マラソンで日本勢が金メダルを手にするのは7度目で、人数では6人目となる。これまでの顔ぶれは次のとおりだ。
| 大会(開催地) | 金メダリスト(当時の所属) |
|---|---|
| 1962年(ジャカルタ) | 長田正幸(八幡製鉄) |
| 1966年(バンコク) | 君原健二(八幡製鉄) |
| 1970年(バンコク) | 君原健二(新日鉄八幡) |
| 1978年(バンコク) | 阪本峰照(日立造船) |
| 1986年(ソウル) | 中山竹通(ダイエー) |
| 2018年(ジャカルタ) | 井上大仁(MHPS、現・三菱重工) |
| 2026年(愛知・名古屋) | 山下一貴(三菱重工) |
井上は2018年8月のジャカルタ大会で、終盤にバーレーンのエルハサン・エラバッシと競り合い、2時間18分22秒で制した。中山以来32年ぶりの優勝で、山下にとってはチームの先輩にあたる。
2023年秋に開かれた前回の杭州大会(新型コロナウイルスの影響で1年延期)は、中国の何傑が2時間13分02秒で優勝した。日本勢は定方俊樹=三菱重工=が2時間13分51秒の4位、池田耀平=花王=が6位で、表彰台に届かなかった。日本勢にとっては、前回逃したメダルを取り返す金メダルとなった。
大会記録は、中山が1986年ソウル大会で出した2時間8分21秒。山下の2時間10分49秒はこれに及ばず、40年前の記録は今も残る。
三菱重工はアジア大会の男子マラソンに、2014年仁川大会の松村康平、18年の井上、23年の定方に続き、4大会連続で代表を送り出した。黒木純総監督は山下の代表決定を受けた3月の発表で「皆様とともに金メダルを目指して戦い抜きます」とコメントしていた。
「解放されてめちゃくちゃうれしい」と笑顔
レース直後のインタビューで、山下はまず「ホッとしてます」とひと言。続けて「先輩方がメダルを取ってきているので、周りからの期待も大きかったので、金メダルを取ることができて心底ホッとしています」と明かした。
「今回は金メダル、優勝を目指していたので、すごくプレッシャーがきつかったので、解放されてめちゃくちゃうれしいです」
笑顔でそう話し、沿道の応援には「日本の声援が多くて多くて、とても力になりました」と感謝した。
重圧には理由があった。三菱重工マラソン部の選手紹介ページで、山下は今シーズンの目標の一つ目に「アジア大会優勝」を掲げている。3月の代表決定時には「暑さや展開の読みにくさなど厳しい状況が予想されますが、自分らしい走りを大切に、最後まで粘り強く挑みます」とコメントした。
終盤の脚のけいれんも抱えていた。大会前に長崎新聞の取材で「最近のマラソンは4回全部つっている。練習中は大丈夫なのに、本番だけというのが困ったところ」と語っていた。2月の大阪マラソンも35キロ付近から左の足底がつっていたという。この日は39キロ付近で苦しそうな表情を見せながら、ペースを落とさずに走り切った。レース後は「10キロ過ぎぐらいから、つらないといいなと思いながら走っていた」と笑って振り返っている。
長崎・瓊浦高から駒大へ、三菱重工で主将に
山下は1997年7月29日生まれ、長崎市出身。滑石中で陸上を始め、瓊浦高から駒澤大に進んだ。箱根駅伝では2年時から3年連続で、各校のエースが集まる2区を任されている。
2020年に三菱重工へ入社し、現在はマラソン部の主将を務める。初マラソンは2021年2月28日のびわ湖毎日マラソン。鈴木健吾が当時の日本記録2時間4分56秒を出したこのレースで、山下も2時間8分10秒をマークし、当時の初マラソン日本最高記録を塗り替えた。
飛躍は2023年3月5日の東京マラソンだった。それまでの自己記録2時間7分42秒を大きく縮める2時間5分51秒で、日本人トップの7位。40キロ過ぎに大迫傑をかわしてのゴールで、当時の日本歴代3位の記録となった。この記録は今も自己ベストで、日本陸連によると2026年2月時点で日本歴代6位にあたる。
同じ2023年8月には、ブダペスト世界選手権のマラソン代表に選ばれた。一時は5位まで順位を上げながら、終盤に脚がけいれんして失速し、12位でゴールする。のちに9位の選手がドーピング違反で失格となり、順位は11位に繰り上がった。約1か月半後の10月、パリ五輪代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)では2時間14分11秒の32位に沈んだ。
そこから立て直すまでには時間がかかった。サブテン、つまり2時間10分切りを4戦続けて逃したあと、2026年2月22日の大阪マラソンで2時間6分18秒の6位(日本人2位)に入り、ロサンゼルス五輪の代表選考会となる次回MGCの出場権と、アジア大会の代表の座をつかんだ。トラックの自己記録は5000メートルが13分47秒83、1万メートルが28分31秒89。ハーフマラソンは1時間2分7秒だ。
次はロサンゼルス五輪の代表争いへ
山下はすでに、2027年10月3日に名古屋で開かれる次回MGCの出場権を持っている。大阪マラソン後には「前回のMGCは苦しいレースになってしまい、レース中盤から後半にかけての雰囲気を味わえなかったので、次はしっかりと戦って(オリンピックの日本代表を)勝ち取りたいと思います」と話していた。同じコメントでは「チーム(三菱重工)としてもオリンピックの日本代表を出したことがないので、そこを目標に頑張りたいです」とも語り、チーム初の五輪代表を目標に挙げた。
大会前には「金メダルを目標に走って、その勢いのまま(28年の)ロサンゼルス五輪に向かっていきたい」とも語っている。名古屋で一つ目の目標をかなえ、次は2028年のロサンゼルスへ向かう。
[文/構成 by スポーツライター 南條楓]








































































コメントはこちら