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工藤公康、中日監督就任会見で「自分のふるさとに帰って」 母校は愛知工業大学名電高等学校

工藤公康、中日監督就任会見で「自分のふるさとに帰って」 母校は愛知工業大学名電高等学校

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中日ドラゴンズの新監督に就任した工藤公康(63)が10月15日、名古屋市内のホテルで就任会見に臨んだ。名古屋市出身の工藤は「自分のふるさとに帰って」と地元球団を率いる思いを語り、背番号はソフトバンク監督時代と同じ「81」に決まった。母校は名古屋電気高校、現在の愛知工業大学名電高等学校。1981年夏の甲子園でノーヒットノーランを達成した左腕が、45年後に地元へ戻ってくる。

背番号81、名古屋への恩返しを胸に受諾

会見は10月15日午前に開かれた。金屏風の前に立った工藤は冒頭のあいさつで、自分が名古屋出身の人間だと切り出し、「自分のふるさとに帰って」監督という責任ある役目を任されたことへの思いと、自分を認めてくれた球団への感謝を口にした。

要請を受けた決め手を問われると、子どもの頃から野球をしていてドラゴンズという球団はもちろん知っていたと語る。パ・リーグでの生活が長かったなかでも、中日の戦いぶりを見て思うところはあったという。名古屋の人たちの話を聞くとドラゴンズを思う人が多いと感じ、「名古屋の人たちに少しでも恩返しがしたい」という気持ちで引き受けたと明かした。

目標ははっきりしている。名古屋のファンに喜んでもらえる野球をし、1勝でも多く勝つチームをつくること。そのうえで「最終的な目標は優勝」と言い切った。

背番号の81は、2015年から2021年までソフトバンクを率いた7年間に背負った番号だ。この間に3度のリーグ優勝と5度の日本一を成し遂げており、縁起のいい数字を名古屋へ持ち込む。中日の公式サイトは、工藤が2027年度から監督を務めると伝えている。契約年数は球団から公表されていない。

関連記事:工藤公康、中日新監督に就任へ 加藤球団社長「投手陣の立て直しがまず最優先」、監督成績はソフトバンク7年で日本一5度

母校・愛知工業大学名電高等学校と1981年夏の甲子園

工藤の母校は、当時の校名で名古屋電気高校。工藤が卒業した翌年の1983年3月に、愛知工業大学名電高等学校へ改称した。学校法人名古屋電気学園の沿革によると、学園の始まりは1912年に創立された名古屋電気学講習所までさかのぼる。現在の校舎は名古屋市千種区若水にある。

名前が全国に知れ渡ったのは、3年生だった1981年夏の全国高校野球選手権大会だった。名古屋電気のエースとして甲子園に出たのは、この夏の1度だけ。8月13日の2回戦で長崎西高を相手に16奪三振のノーヒットノーランを演じ、4対0で勝った。大会史上18人目の快挙で、金属バットが採用されてからは初めての記録となった。

勢いは止まらない。名古屋電気は準々決勝まで勝ち上がり、準決勝で報徳学園高に1対3で敗れたものの、ベスト4に入った。その秋のドラフトで西武から6位指名を受け、プロの世界へ進む。

地元の高校から甲子園を沸かせた左腕は、その後の29年間を中日以外の球団で過ごす。中日には選手としてもコーチとしても在籍したことがない。現役時代から数えても初めて、地元球団のユニフォームに袖を通す。

通算224勝、監督では日本一5度

プロ入り後は西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人、横浜(現DeNA)と4球団を渡り歩いた。実働29年で通算224勝142敗3セーブ、防御率3.45。1993年と1999年にはリーグMVPに選ばれ、選手として3球団で日本一を経験した。最優秀防御率と最高勝率をそれぞれ4度手にし、2016年には野球殿堂入りを果たしている。

指導者としての実績も重い。2015年にソフトバンクの監督に就くと、1年目から日本一。2017年から2020年にかけては4年連続で日本シリーズを制し、7年間で5度の日本一に導いた。2021年に退任してから6年ぶりの現場復帰となる。

中日にとっても異例の人事だ。選手としても指導者としても所属歴のない外部の人材を監督に招くのは、1984年から指揮を執った山内一弘氏以来43年ぶりとなる。加藤宏幸球団社長は、勝ち方を知っていて、経験や知識をドラゴンズに注ぎ込める外部の人が望ましいと判断したと説明した。会見では「正直、すぐにでも優勝争いをしてほしい」と本音ものぞかせた。就任を打診した際には、10年後の球団創設100周年に向けて力を貸してほしいと伝えていた。

会見後はナゴヤ球場へ直行、選手に「生意気でもいい」

会見を終えた工藤は、その足で秋季練習中のナゴヤ球場へ向かった。コーチ、選手、スタッフを集めて訓示し、手づくりの資料「選手への心得」を配った。選手には「自分の能力を信じてほしい。みんなで、強いチームをつくりましょう」と呼びかけ、「日本人の奥ゆかしさみたいな遠慮はマイナス。生意気でもいい。どんどんアピールしてください」と続けた。

大島洋平、涌井秀章、大野雄大らベテランと個別に面談し、スタッフの話にも耳を傾けた。会見から面談まで、初日だけで約6時間に及んだと報じられている。

指導方針の軸はコミュニケーションだ。会見では、強制的に「あーしろ、こーしろ」と言うのは今の時代の監督の仕事ではないと話した。そのうえで、足りないものはしっかり身につけてもらう、とも付け加えた。「失敗しない人間なんていないです」。そう言い切り、失敗を悔やむより、経験から次に何を学ぶかが大事だという考えも示している。

コーチ人事については、外部から全員を連れてくる考えはないと説明した。球団OBのようにドラゴンズをよく見てきた人のほうが、何が足りないのかを分かっている場合もあるという。

関連記事:吉見一起、中日投手コーチ就任で大筋合意 侍ジャパン投手コーチなどこれまでのコーチ歴

6年連続Bクラスからの立て直しへ

中日は2026年シーズンを60勝81敗2分けで終え、2年ぶりの最下位に沈んだ。6年連続のBクラスで、クライマックスシリーズからは2012年を最後に遠ざかる。成績不振を理由に井上一樹監督が辞任し、後任として白羽の矢が立ったのが工藤だった。

本格的な指導は来年からになる見通しだ。俳優の長男・工藤阿須加と取り組んできた農業は、監督在任中は周りの農家に管理を任せるという。「監督やっている時に農業やってたら、みんなたたくでしょ」と笑わせる場面もあった。会見の最後、工藤はファンに向けて、1つでも多くの勝利をつかみ、工藤が監督になって良かったと思ってもらえるよう日々精進すると語りかけた。選手と球団を含めて皆さんで支えてほしい、とも呼びかけている。

1981年夏、甲子園で名古屋電気の名を全国に広めた左腕が、63歳になって名古屋に戻る。母校のある街で、今度は監督として勝利を積み上げる日々が始まる。

[文/構成 by スポーツライター TAKU]

寄稿者

TAKU
ボールを使う競技なら何でも観ます、TAKUです。学生時代はずっとバスケ部、いまは週末にフットサル。スポーツを中心に書くWebライターになって5年です。Bリーグ、バレーボール、ラグビー、テニスを中心に、野球やサッカーも書きます。試合の流れが変わった瞬間を、スコアと一緒に伝えるのが得意です。

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