奈良美智、弘前市民会館で母校・青森県立弘前高等学校の開校記念講演 「答えは、続けていけば絶対出てくると思う」と語る

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美術家の奈良美智(66)が10月13日、母校の青森県立弘前高等学校の開校記念講演に登壇した。会場は弘前市民会館。在校生の質問に答え、「この年になっても本当にやりたいことは何なのか分からなくて、それを探すのがやりたいこと。答えは、続けていけば絶対出てくると思う」と語りかけた。1978年に同校を卒業した先輩からの言葉だった。
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演題は「ここ10年のことや昔のことをとりとめもなく」
講演があったのは10月13日の午後。同校の10月の行事予定表には、この日の午後に「開校記念講演」が組まれていた。演題は「ここ10年のことや昔のことをとりとめもなく」と、奈良らしく肩の力が抜けたものだった。
会場の弘前市民会館は1964年に完成した建物で、弘前城跡の一角に市立博物館と並んで立つ。設計したのは、ル・コルビュジエに学んだ建築家の前川國男。打ち放しコンクリートの外観で知られる。弘前高校も弘前城の南約1キロに校舎を構えており、学校からほど近い城跡のホールでの講演となった。
奈良は1959年に弘前市で生まれ、弘前高校を1978年に卒業して上京した。1981年に愛知県立芸術大学美術学部に入学し、同大学の大学院を修了したのち、1988年にドイツへ渡り、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーで学んでいる。大きな目の子どもや犬を描いた作品で世界に知られる美術家が、後輩たちの前に立った。
講演では、北海道洞爺湖町の子どもたちと取り組んだ2022年の共同制作プロジェクトや、ドイツで暮らした時代について語った。奈良はドイツ時代を、「自分の思う自分の絵」が完成した時期として紹介した。
自身の高校時代については、授業中は寝てばかりいたと打ち明け、「なして(記念講演に)呼ばれたんだろう」とぼやいた。津軽の言葉まじりの一言に、会場から笑いが起きる。
弘高ねぷたの見送り絵に会場から感嘆
講演の途中、奈良は「弘高ねぷた」のために描いた見送り絵の写真を披露した。会場からは感嘆の声が上がったという。
弘高ねぷたは、弘前高校が誇る夏の行事だ。各クラスが1台ずつねぷたを作り、テーマ選びから設計、制作まで生徒だけで手がけて市中を練り歩く。同校によると70年にも及ぶ伝統があり、2026年度は生徒が制作した18台の運行が7月21日に予定されていた。ぶつかり合いながら1台を仕上げる経験は、卒業生にとって忘れられない思い出になっている。見送り絵は、ねぷたの後ろ側を飾る絵のこと。母校の夏を彩るねぷたに、奈良も筆を執っていた。
質問コーナーでは、在校生から「楽しいと思うことを続けるこつは」「音楽を作り始めたが他の曲のまねになっている気がする」といった問いが寄せられた。奈良はひとつひとつに真剣に向き合い、答えていった。やりたいことはまだ探している途中で、続けていけば答えは出てくる。66歳になった先輩は、後輩たちにそう伝えた。
明治17年創立、約3万5千人を送り出した伝統校
青森県立弘前高等学校は、1884年(明治17年)8月20日に「青森県中学校」として創立された。1889年(明治22年)に弘前へ移り、これまでに約3万5千人の卒業生を世に送り出している。校舎は弘前城の南約1キロ、弘前市新寺町にあり、重要文化財の五重塔で知られる最勝院と、寺院が並ぶ寺院街に挟まれた静かな場所に立つ。
学校が目指す人間像は「持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人」だ。第22代校長の小田桐孫一が、高村光太郎の詩から引いて示したもので、今も教育の柱になっている。第一体育館には、明治の言論人・陸羯南の五言絶句「誰人天下賢」の揮毫が掲げられ、校章には大きな鳥の大鵬が描かれる。同校の年間行事予定表では、10月6日が開校記念日に当たる。同窓会の案内によると、2023年6月には「創立百四十年記念コンサート」が同じ弘前市民会館で開かれ、ヴァイオリンの矢部達哉やピアノの横山幸雄らが出演した。弘前高校にとって、市民会館は節目の行事を重ねてきた場所でもある。
卒業生には奈良のほか、ロックバンド「人間椅子」の和嶋慎治と鈴木研一らがいる。授業中は寝てばかりだったという奈良の高校時代には、音楽があった。在学中、音楽好きの先輩と弘前でロック喫茶「33 1/3」を立ち上げ、大工仕事から壁塗り、DJまでこなしたことを過去のインタビューで語っている。美術大学という進路があると知ったのは、弘前大学で美術教育を学ぶ学生から勧められたことがきっかけだったという。この店は2023年から2024年にかけて青森県立美術館で開かれた展覧会「奈良美智: The Beginning Place ここから」で再現された。
弘前の街と奈良美智、20年を超えるつながり
弘前と奈良の結びつきは、講演の場だけにとどまらない。2002年、全国を巡回した個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」の最後の会場になったのが、弘前市の吉井酒造煉瓦倉庫だった。倉庫の持ち主だった吉井酒造の社長が奈良の作品に強くひかれ、開催を打診したことから話が動き、多くのボランティアが運営を支えた。
煉瓦倉庫での展覧会は2005年の「From the Depth of My Drawer」、2006年の「YOSHITOMO NARA+graf A to Z」と続き、3度に及ぶ。美術館のなかった弘前で、多くの人が倉庫に足を運んだ経験は、建物を美術館として生まれ変わらせる動きにつながった。2020年7月11日、倉庫は弘前市吉野町の「弘前れんが倉庫美術館」としてグランドオープンを迎える。
2022年9月17日から2023年3月21日には、同館で「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」と題したドキュメント展が開かれ、3度の展覧会を資料や写真、映像でたどった。作品だけでなく、展覧会を支えた市民の動きそのものに光を当てた企画だった。
青森県にも奈良の作品は根づいている。青森県立美術館は1998年から作品の収集を始め、所蔵は170点を超える。敷地に立つ巨大な立体作品「あおもり犬」は、県外から訪れる人も多い。
世界の美術館に作品が並ぶようになっても、奈良は弘前の街との縁を保ち続けてきた。その先輩が母校の後輩たちに伝えたのは、正解をすぐに見つけることではなかった。
探し続けること。
「続けていけば絶対出てくる」。授業中に寝てばかりいたと笑わせた66歳の先輩は、今も答えを探す途中にいると明かし、後輩たちに続けることの大切さを手渡した。
[文/構成 by MediaDogs編集部]









































































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