黒井千次さん死去、94歳 内向の世代の代表的作家、代表作『群棲』で谷崎潤一郎賞・『時間』で芸術選奨新人賞

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「内向の世代」を代表する作家の黒井千次さんが12日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。94歳だった。会社員として働きながら書き続け、『時間』で芸術選奨新人賞、『群棲』で谷崎潤一郎賞を受けた。晩年は日本芸術院長も務めている。
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黒井千次さん、12日に肺炎で死去
作家の黒井千次(くろい・せんじ)さんが10月12日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。94歳。本名は長部舜二郎(おさべ・しゅんじろう)で、東京都の出身。訃報はきのう14日に伝えられた。
通夜は19日午後6時から、葬儀は20日午前11時から、いずれも東京都墨田区両国2の8の10の回向院で営まれる。喪主は長男の長部聡介(おさべ・そうすけ)さんが務める。
1932年に東京で生まれた黒井さんは、戦後の日本文学を70年近くにわたって支えてきた。文化功労者でもあり、文壇の内側から後進を見守る立場にも長く立った。
富士重工業に勤めながら書いた15年
出発点は会社員生活にある。1955年に東京大学経済学部を卒業すると、富士重工業(現SUBARU)に入社。勤めのかたわら執筆を続け、1958年には『青い工場』を発表した。
大きな組織の中で働く人間が、少しずつ自分を見失っていく。黒井さんの初期作品が描いたのは、そうした企業社会の中の人間の姿だった。会社勤めの経験が、創作の土台になっていく。
転機は1970年に訪れる。短編集『時間』で芸術選奨新人賞を受けると、同じ年に約15年勤めた会社を辞め、専業作家として歩み始めた。
古井由吉さんらと並んだ「内向の世代」
1970年代の初め、黒井さんは古井由吉さん、後藤明生さんらとともに「内向の世代」と呼ばれるようになる。政治的なイデオロギーから距離を置き、現代人の内面や家族、日常の手触りを細かく描いた作家たちを指す言葉だ。
黒井さんは何を書き続けたのか。
答えは、家族や企業を題材にした人間の内面だった。社会を大きく語るよりも、身近な職場や家庭で人が抱える揺らぎを、具体的な場面で書き留めていく。会社を離れてからもこの姿勢は変わらず、題材は企業から家族、そして郊外の暮らしへと広がった。
代表作『群棲』は、その到達点といえる作品だ。都市郊外に暮らす家族の日常を描いた連作短編集で、穏やかに見える暮らしの下に潜む不安をすくい上げた。1984年、この作品で谷崎潤一郎賞を受けている。
自伝的な青春小説『春の道標』や、エッセー『働くということ』も広く読まれた。小説と並んで、働く人の目線で書いた文章が多いのも黒井さんの特徴だ。
主な受賞・役職を一覧で見る
半世紀を超える作家生活で、数々の文学賞を受けてきた。おもな受賞と役職は次のとおり。
| 年 | 受賞・役職 | 作品など |
|---|---|---|
| 1970年 | 芸術選奨新人賞 | 『時間』 |
| 1984年 | 谷崎潤一郎賞 | 『群棲』 |
| 1987〜2012年 | 芥川賞選考委員 | 約25年にわたり務める |
| 1995年 | 読売文学賞 | 『カーテンコール』 |
| 2001年 | 毎日芸術賞 | 『羽根と翼』 |
| 2006年 | 野間文芸賞 | 『一日 夢の柵』 |
| 2014年 | 文化功労者 | ― |
| 2014〜2020年 | 日本芸術院長 | ― |
芥川賞の選考委員は1987年から2012年まで、四半世紀にわたって続けた。新人作家の作品を読み、次の世代を送り出す役目を長く担ったことになる。日本文芸家協会の理事長や、日中文化交流協会の会長も歴任している。
90歳を過ぎても書き続けた「老い」の日々
晩年の黒井さんは、自らの老いを題材にしたエッセーでも読者を得た。新聞での連載をまとめた『老いのかたち』『老いの味わい』『老いのゆくえ』『老いの深み』の中公新書のシリーズがそれだ。
転びやすくなる体、運転免許の返納、しゃがむことが難しくなる日常。80代、90代の暮らしで出会う小さな変化を、淡々とした筆で書き留めていく。会社員の日々を見つめた若い頃と同じく、身の回りの具体的な出来事から人間を描く姿勢は最後まで変わらなかった。
企業社会の中の個人から、郊外の家族、そして老いていく自分自身へ。対象を変えながらも、黒井さんの視線はいつも人の内側に向いていた。
19日の通夜と20日の葬儀は、墨田区両国の回向院で営まれる。
[文/構成 by MediaDogs編集部]








































































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