田中美紗樹・永松瀬羅組がアジア大会セーリング女子49erFX級で金メダル 豊田自動織機所属の2人とは何者?経歴と戦績を整理

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愛知・名古屋アジア大会第13日の10月1日、セーリング女子49erFX級で田中美紗樹(28)、永松瀬羅(32)組=豊田自動織機=が金メダルを手にした。前日までは香港と同点ながら2位。最終日の4レースを1-2-1-1でまとめて逆転し、2023年の杭州大会で銀に終わった雪辱を果たした。アジア大会のこの種目で日本勢が金を取るのは初めてとなった。
最終日の4レースで香港を逆転、4点差で頂点に
会場は愛知県蒲郡市の豊田自動織機 海陽ヨットハーバー沖。2人が所属する豊田自動織機のヨット部が拠点にしている海だ。風に恵まれずレースが進まない日が続いた大会だったが、セーリング競技6日目の10月1日は一転して10メートル近い風が吹き、予定されていたレースが順調に消化された。
女子49erFX級の参加は日本、香港、中国、インドの4艇。9月28日に2レース、30日に3レースを終えた時点で、日本と香港はともに6点で並んでいた。セーリングは着順がそのまま得点になり、合計点の少ない艇が上位になる。同点の場合は上位の着順を取った回数などで順位を決めるため、日本は2位につけていた。
最終日の第6レースで1位に入り、日本は総合首位に立つ。第7レースは2位だったが、第8、第9レースを続けて制した。香港はこの日2-3-2-2と崩れなかったものの、日本との差は最後まで縮まらなかった。
大会公式リザルトの通算成績(10月1日付)によると、全9レースを終えた日本の得点は合計14点、最も悪いレース1つを除いたネット得点は11点。2位の香港はネット15点で、4点差での優勝となった。9レース中5レースで1位を取り、2位を下回ったのは第1レースの3位だけだった。
3位はインド(ネット24点)だった。レース直後の成績では中国が3位、香港はネット16点だったが、その後中国が第6、第8レースで失格となって成績が改められ、インドが銅メダルに繰り上がった。
| レース | 日程 | 日本の着順 | 香港の着順 |
|---|---|---|---|
| 第1レース | 9月28日 | 3位(除外) | 1位 |
| 第2レース | 9月28日 | 2位 | 1位 |
| 第3レース | 9月30日 | 1位 | 3位(除外) |
| 第4レース | 9月30日 | 1位 | 3位 |
| 第5レース | 9月30日 | 2位 | 1位 |
| 第6レース | 10月1日 | 1位 | 2位 |
| 第7レース | 10月1日 | 2位 | 3位 |
| 第8レース | 10月1日 | 1位 | 2位 |
| 第9レース | 10月1日 | 1位 | 2位 |
| 総合 | - | 1位(金、ネット11点) | 2位(銀、ネット15点) |
※大会公式リザルトの通算成績(10月1日付)をもとに作成。(除外)は合計から除く最も悪いレース。
香港代表はヘルムのエミリー・ポルソン(17)とクルーの麥曉彤(マク・ヒウトン、19)。ともに今大会がアジア大会初出場の若いペアだった。
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「今日のレースはすべて香港をマーク」2人が明かした最終日
優勝を決めたこの日、スキッパーの田中は日本セーリング連盟を通じて「今日のレースはすべて香港をマークしました」と明かした。前回大会の銀に触れ、「前回のリベンジが果たせたというところで、すごくホッとしているという気持ちが一番大きいと思います」と続けている。
クルーの永松も「いろんなところで〝金メダルを取ります〟って言ってきたので、取れてホッとしています」と安堵をにじませた。レース中には危ない場面もあったといい、「香港もミスがあったので、前に出ることができました」と勝負どころを語った。
前日の9月30日、永松は「明日の最終日は優勝を取りにいくつもりです」と予告していた。力み過ぎると自分たちの走りができなくなるとして、「できるだけいつも通りという気持ちでやっていきたい」とも話していた。言葉どおり、2人は最終日の4レースすべてを2位以内でまとめている。
大阪出身の田中、大分出身の永松 早稲田の先輩後輩が組んだペア
2人の出発点は早稲田大学ヨット部にある。日本セーリング連盟がパリ五輪の代表内定時に出したプロフィールによると、田中は1997年11月23日生まれの大阪府出身。関西大学第一中学・高校を経て早稲田大学へ進んだ。セーリング経験者の家族に囲まれて育ち、兄が通うジュニアヨットクラブの練習に毎週末ついて行くうちに、小学1年生、6歳で競技を始めた。2015年には420級の世界選手権で3位に入っている。
永松は1994年6月3日生まれ、大分県出身だ。大分市立賀来小中学校、別府青山高校から早稲田大学へ進み、競技を始めたのは小学2年生の7歳。父親が見つけてきたジュニアクラブがきっかけだった。6歳から16歳まではクラシックバレエにも打ち込み、2024年5月の会見では、体を使って表現するバレエの感覚が船のバランスをとる場面で生きると話している。
2人は学年で3つ違う。大学では田中が1年生のとき、永松が4年生だった。2016年6月にはドイツ・キールで開かれた470級ジュニア世界選手権にペアで出場し、17位に終わっている。田中は後に、永松について「大学の先輩である瀬羅さんは、大学生になってから乗り始めた470級や、学生ならではの大会の戦い方など沢山のことを教えていただいた」と語った。永松が引退するまでの半年間、2人はインカレの総合優勝も一緒に経験した。
再びペアを組んだきっかけは、それぞれの五輪への挑戦だ。永松は東京五輪を目指す挑戦で代表を逃し、新しいペアを探していた。同じ頃、大学卒業後に470級で五輪を目指そうとしていた田中は、活動費の確保やペア探しを進めていた。永松を通じて豊田自動織機から声がかかり、田中は種目を変えて49erFX級に挑むことを決める。永松は会見で「田中選手とだったら上手くやっていけると思って、私から声をかけました」と明かしている。
杭州の銀からパリ五輪へ、積み上げた戦績
ペア結成後、最初の大きな結果がアジア大会だった。2023年9月の杭州大会では中国に届かず銀。田中は「目標にしていた金メダルには届かず、自分たちの力不足を感じ、今は悔しい気持ちでいっぱいです」と語り、永松は「この悔しさを糧にパリ五輪の出場国枠獲得に向けて精進します」と前を向いた。永松は後に、この大会を「ターニングポイント」と位置づけている。
同じ2023年にはアジア選手権でも2位、2024年のプリンセスソフィア杯(スペイン)では3位に入った。そして同年、五輪の出場枠を争う最後の大会、ラストチャンスレガッタで49erFX級の日本勢最上位となる6位に入り、パリ五輪代表に内定した。本番のパリ五輪では上位10艇によるメダルレースに進めず、17位だった。
それから約2年。拠点の海で迎えたアジア大会で、2人は杭州で届かなかった金をつかんだ。
49erFX級とはどんな船か
49erFX級は2人乗りのスキフと呼ばれる高速艇で、船体の長さ4.99メートルが名前の由来になっている。五輪では2016年のリオデジャネイロ大会から女子種目として採用された。男子の49er級は2000年のシドニー大会から行われている。
役割分担ははっきりしている。舵を握るヘルム(スキッパー)が戦術を決めて船を操り、クルーは帆の操作を中心に体を使う仕事を多く担う。日本のペアでは田中がヘルム、永松がクルーを務める。船が不安定で、五輪の中でも体力的に厳しい艇種として知られ、田中は2024年の会見で8キロ増量したと話していた。49erFX級は「私が今まで乗ってきた種目の中では一番スピードが出て、とても爽快感がある」と田中は語る一方、風の強さで速度が大きく変わる難しさも挙げていた。
アジア大会で49erFX級が採用されたのは2018年のジャカルタ・パレンバン大会から。採用から3大会目で、日本勢として初めての金メダリストが生まれた。
[文/構成 by スポーツライター 疾風(HAYATE)]








































































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