杉浦正則(日本生命)、侍ジャパン社会人日本代表監督に就任 五輪3大会出場・橋戸賞2度の経歴と2030年アジア競技大会までの任期

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日本野球連盟は10月1日、侍ジャパン社会人日本代表の新監督に杉浦正則(58)=日本生命=が同日付で就任したと発表した。任期は2030年11月にカタール・ドーハで開かれる第21回アジア競技大会の終了まで。五輪に3大会連続で出場し、都市対抗野球大会で橋戸賞を2度受けた「ミスター・アマ野球」が、代表の指揮を執る。
川口朋保監督の任期満了で交代、就任は10月1日付
発表によると、交代の理由は前任の川口朋保監督(55)の任期満了だ。川口監督は2023年に就任し、同年12月に台湾で開かれた第30回BFAアジア選手権では決勝でチャイニーズ・タイペイを1対0で下して優勝。最後の舞台は、9月21日から27日まで愛知県の岡崎市と豊橋市で行われた第20回アジア競技大会となった。
杉浦は日本生命のサステナビリティ経営推進部で調査役を務める現役の社員でもある。日本生命も同じ10月1日に「当社職員の社会人野球日本代表監督への就任について」と題したお知らせを出し、就任期間を2026年10月から2030年11月までと示した。この間の仕事として挙げたのは、2026年から2030年までの国際大会に加え、選考合宿や強化合宿、都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会、各地区予選の視察など。4年余りにわたって、社会人の有力選手を見て回る日々が始まる。
就任時点で、杉浦本人の抱負や談話は日本野球連盟、侍ジャパン公式サイト、日本生命のいずれの発表にも載っていない。
アジア大会は決勝で韓国に惜敗、32年ぶりの金に届かず
新監督が引き継ぐチームは、9月27日まで地元開催のアジア大会を戦っていた。社会人選手で編成した日本はオープニングラウンドで中国を11対3、パレスチナを15対0、フィリピンを7対0と下して3連勝。9月25日のスーパーラウンドでは韓国を5対0で完封し、26日もチャイニーズ・タイペイに7対3で勝って、5戦全勝で決勝へ進んだ。
決勝の相手は再び韓国。プロ選手で臨んだ相手に対し、日本は2回に先制を許すと、打線は4回まで無安打に抑えられた。7回、佐藤勇基(トヨタ自動車)の左前適時打で1対1の同点に追いつく。しかし8回、4番手の近藤壱来(JR四国)が2死から2本の適時打を浴びて勝ち越され、1対3で敗れた。
結果は銀メダル。日本がアジア大会の野球で金メダルを取ったのは、野球が初めて実施された1994年の広島大会の1度だけだ。その広島大会で優勝メンバーに名を連ねていたのが、ほかならぬ杉浦である。
試合後、川口監督は「誰一人責めるつもりもありません。本当に目いっぱいプレーしてくれたおかげで、ここまで来ることができました」と選手をねぎらった。大会後には課題として「強いボールを打つ力」を挙げ、社会人野球全体で高めたいと話している。150キロを超える速球への対応は、新体制にもそのまま持ち越される宿題だ。
五輪3大会出場、橋戸賞2度の「ミスター・アマ野球」
杉浦は1968年5月23日、和歌山県生まれ。県立橋本高から同志社大へ進み、1991年に卒業して日本生命に入社した。日本野球連盟と日本生命が公表した、投手としての主な球歴は次のとおり。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1992年 | 第63回都市対抗野球大会で優勝、橋戸賞を受賞 |
| 1992年 | バルセロナ五輪に出場、銅メダル |
| 1994年 | アジア競技大会(広島)で優勝 |
| 1996年 | アトランタ五輪に出場、銀メダル |
| 1997年 | 第68回都市対抗野球大会で優勝、橋戸賞を受賞 |
| 2000年 | シドニー五輪に出場、4位(日本選手団主将)。同年に現役引退 |
橋戸賞は都市対抗野球大会の最優秀選手に贈られる賞で、プロ野球でいえばMVPにあたる。入社2年目の1992年に1度目を受け、5年後の1997年に2度目。どちらの年も日本生命が頂点に立ち、優勝旗の黒獅子旗を手にしている。
五輪では、野球が正式競技となった最初の大会である1992年のバルセロナで銅、1996年のアトランタで銀を手にした。プロ選手の参加が認められた2000年のシドニーでは日本代表にもプロが加わったが、杉浦はアマチュアの立場のまま3大会連続で選ばれた。そのシドニーでは野球チームの一員としてだけでなく、日本選手団全体の主将も任されている。結果は4位でメダルには届かず、杉浦はこの年限りでユニホームを脱いだ。
プロ球団からの誘いを断り、最後までアマチュアの立場で日の丸を背負い続けた経歴が、「ミスター・アマ野球」の呼び名につながっている。
日本生命の監督、代表投手コーチ、アドバイザーを歴任
引退後は指導者として社会人野球に残った。2001年から2004年まで日本生命硬式野球部のコーチを務め、2006年に監督に就任する。2009年12月に退くまでの4年間で、都市対抗に4回、社会人野球日本選手権に4回、チームを導いた。
代表チームとの関わりも長い。2015年から2018年までは社会人日本代表の投手コーチを務め、2024年からは同じ社会人日本代表のアドバイザーとして川口体制に関わってきた。
投手コーチとして若い代表選手に接し、アドバイザーとして前体制を支え、ついに自らが監督になる。選手として3度の五輪を経験した人物が、指導者としても段階を一つずつ上がってきたことになる。
日本生命は監督就任について、選手と指導者として積み上げた経験を社会人野球日本代表の強化に生かすものだと説明。社会人野球の魅力を広く社会へ届ける「新たな挑戦」とも位置づけた。
ドーハまでの4年、社会人ジャパンが向かう先
侍ジャパンはトップチームのほか、社会人、U-23、大学、U-18、U-15、U-12、女子の各代表で構成される。プロ選手が中心のトップチームは11月12日から15日まで、東京ドームで開かれるアジアプロ野球チャンピオンシップ2026に臨む。
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社会人代表の大きな目標は、引き続きアジア大会での金メダルだ。2023年に中国の杭州で開かれた前回大会は3位、地元開催の今大会は銀メダル。順位は一つ上がったが、頂点にはあと1勝届かなかった。
杉浦の任期は、そのアジア大会の次回、2030年のドーハ大会までと定められた。現役時代に広島で手にしたアジアの金メダルを、今度は監督として取りにいく。最初の国際大会がどの舞台になるのか、選考合宿をいつ始めるのかといった具体的な日程は、10月2日時点でまだ発表されていない。
[文/構成 by スポーツライター 高瀬翔吾]








































































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