エヌビディア社長ジェンスン・フアンの経歴と生い立ち 9歳で渡米した皿洗い少年が資産17兆円になるまで

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半導体大手エヌビディア(NVIDIA)を創業したジェンスン・フアン社長。彼の資産は2026年2月時点で17兆円を超えた。9歳で台湾から渡米し、更生施設での生活やレストランでの皿洗いを経験。幾度の倒産危機を乗り越え、ゲーム用半導体からAI(人工知能)の基盤を築く世界的な企業へと育て上げた。
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9歳で渡米、勘違いで更生施設へ
半導体大手エヌビディアの創業者兼CEO、ジェンスン・フアン氏(63)は、1963年2月17日に台湾で生まれた。出生地については台北とする資料と台南とする資料があるが、子供の頃に台南へ移り住んだ。父は化学技術者、母は教師という家庭だった。5歳の時に父の仕事の都合でタイへ移住。その後、両親は息子たちにより良い教育を受けさせるため、アメリカへ送ることを決断した。
1973年、フアン氏は9歳で兄と共にアメリカへ渡った。ワシントン州タコマに住む叔父夫婦に預けられたが、彼らはアメリカに来て間もなく、現地の事情に詳しかったわけではない。叔父夫婦は、ケンタッキー州にある「オナイダ・バプテスト・インスティテュート」を名門寄宿学校と勘違いし、フアン氏らを入学させた。しかし、その実態は素行に問題のある青少年向けの宗教的な更生施設だった。
フアン氏はそこで、いじめや暴力に日常的に直面した。毎日トイレ掃除を割り当てられた経験は、後に彼が語る「謙虚さ」や「勤勉さ」の原点となった。この厳しい環境で、彼は卓球の腕を磨き、14歳の時にはスポーツ専門誌『スポーツ・イラストレイテッド』に掲載されるほどの実力者になる。また、読み書きができなかった17歳のルームメイトに勉強を教える代わりに、筋力トレーニングのベンチプレスを教わるという交換条件で生き抜く術を学んだ。
皿洗いからスタンフォード大学院へ
フアン氏が渡米して2年後、両親もオレゴン州ビーバートンに移住。兄弟はケンタッキーの学校を離れ、再び家族と暮らすことになった。地元の高校では学業に秀で、2学年を飛び級して16歳で卒業した。
この頃、彼の人生を支える労働倫理が育まれる。15歳だった1978年から、地元のレストラン「デニーズ」で皿洗いとして働き始めた。後に本人が「私は最高の皿洗いだった」と語るほど、仕事の段取りを考え、効率を追求した。バスボーイ、ウェイターと昇進し、大学在学中の1983年まで約5年間勤務した経験は、彼に「謙虚さと勤勉さ」を教えたという。
高校卒業後は、学費の手頃さと工学プログラムを理由にオレゴン州立大学へ進学。電気工学を専攻し、1984年に最優等で学士号を取得した。大学の実験室で、後の妻となるロリ・ミルズ氏と出会ったのもこの時期だった。卒業後はシリコンバレーの半導体メーカーAMDに就職し、マイクロプロセッサの設計者としてキャリアを開始。働きながらスタンフォード大学の夜間大学院に通い、1992年に電気工学の修士号を取得した。
デニーズで創業、倒産危機からの逆転劇
AMDを離れた後、LSIロジック社に移ったフアン氏は、同社がサン・マイクロシステムズとの契約で開発を行う中で、サン・マイクロシステムズのエンジニアだったクリス・マラコウスキー氏、カーティス・プリエム氏と出会う。3人は1993年にエヌビディアを設立した。フアン氏の30歳の誕生日(2月17日)に事実上の事業活動を開始し、同年4月5日に法人として正式に設立された。社名はラテン語で「羨望・嫉み(envy)」を意味する「invidia」に由来する。会社の構想を練った場所はサンノゼ東部のデニーズだった。フアン氏はかつてオレゴン州ポートランド近郊のデニーズで働いた経験があり、その馴染みから打ち合わせ場所に選んだという。
しかし、船出は順風満帆ではなかった。最初の製品「NV1」は、当時としては先進的だった四角形ポリゴン描画技術を採用したが、業界標準が三角形ポリゴンへと移行したことで商業的に大失敗となった。マイクロソフトが発表した新規格「DirectX」が三角形ポリゴンのみをサポートしたことが決定打だった。
会社は倒産の危機に瀕した。当時、ゲーム会社セガと次世代機のチップ開発契約を結んでいたが、フアン氏はこの技術が将来性のないことを正直にセガのCEOに伝えた。彼は契約の打ち切りを申し出ると同時に、会社の存続資金として契約金の全額支払いを要求。この異例の正直さが相手に評価され、エヌビディアは約500万ドルの資金を得て、命脈を保つことになった。
それでも資金は尽きかけ、1997年には給料の支払いが残り1ヶ月分という状況に追い込まれた。フアン氏は従業員の半数を解雇する苦渋の決断を下す。そして、会社の存亡を賭け、業界標準の三角形ポリゴンに対応した新チップ「RIVA 128」の開発に全てを注ぎ込んだ。「ワンショット(一発勝負)」と銘打ち、失敗すれば後がない状況で開発を進めた。
このチップは市場で大成功を収めた。発売からわずか4ヶ月で100万個を売り上げ、会社を倒産の淵から救い出した。この経験から「我々の会社は倒産30日前」という言葉が、フアン氏が長年使い続ける社内の合言葉となった。エヌビディアは1999年1月にナスダック市場へ上場を果たした。
AI時代を予見した先行投資
エヌビディアは1999年に「GeForce 256」を発売し、これを世界初の「GPU(Graphics Processing Unit)」と名付けた。当初はPCゲームのグラフィックスを高速化するための半導体だったが、フアン氏はその並列処理能力がグラフィックス以外の計算にも応用できる可能性を見抜いていた。
2006年、同社はGPUを汎用的な計算に利用するための並列コンピューティングプラットフォーム『CUDA』を発表。これは、AI時代の到来を10年以上先取りする先行投資だった。当初、この投資はウォール街からほとんど評価されず、会社のコストを押し上げる要因と見なされていた。
転機は2012年に訪れる。ある画像認識技術のコンテストで、研究者チームがエヌビディアのGPUとCUDAを用いて開発したAIモデル「AlexNet」が他を圧倒する性能を示した。これにより、ディープラーニング(深層学習)の分野でGPUが不可欠な存在であることが証明された。この出来事を境に、エヌビディアはAIコンピューティング企業へと大きく舵を切る。
2016年にはAI開発専用のスーパーコンピュータ「DGX-1」を発表し、最初の1台を当時まだ小規模な研究団体だったOpenAIに寄贈した。このOpenAIが後に「ChatGPT」を開発し、世界的な生成AIブームを引き起こすことになる。
資産17兆円超へ、驚異的な成長
生成AIブームの到来で、エヌビディアのGPUはAIモデルの学習と推論に不可欠なインフラとなった。需要は爆発的に増加し、同社の業績と株価は急騰。それに伴い、同社株の約3.5%を保有するフアン氏の個人資産も驚異的なペースで膨れ上がった。
米経済誌フォーブスによると、彼の資産額は2019年時点では約30億ドルだった。それがAIブームを背景に急増し、2024年6月には1000億ドルを突破。2026年2月時点では1600億ドル台に達し、日本円で約17兆円を超える世界有数の富豪となった。
| 時期 | 資産額(推定) | 情報源 |
|---|---|---|
| 2019年 | 30億ドル | CNBC |
| 2022年9月 | 206億ドル | Forbes |
| 2024年5月 | 900億ドル | CNBC |
| 2024年6月 | 1000億ドル | Bloomberg |
| 2025年7月 | 1400億ドル | Bloomberg |
| 2026年2月9日 | 1658億ドル | Forbes |
フアン氏は妻のロリ氏と共に、母校のオレゴン州立大学に5000万ドル、スタンフォード大学に3000万ドルを寄付するなど、教育機関への多額の寄付でも知られる。また、かつて自身が過ごしたオナイダ・バプテスト・インスティテュートにも学生寮建設のために200万ドルを寄付した。
次なる戦場を見据える
エヌビディアはAIチップ市場で圧倒的なシェアを握るが、フアン氏は決して楽観していない。「会社は倒産30日前」という危機感は、今も彼の経営哲学の根幹をなす。彼は自らを「要求の厳しい」上司だと認め、常に失敗の可能性を想定することで会社を動かしてきた。
AIの進化はとどまることを知らない。エヌビディアは「Blackwell」に続く次世代アーキテクチャ「Vera Rubin」を2026年に投入する計画を発表するなど、1年ごとに新製品を投入する開発サイクルを続ける。AIが社会のあらゆる産業を変える「産業革命」の黎明期にあるとフアン氏は語る。
皿洗いの少年が築き上げた半導体帝国。その歩みは、逆境から学び、未来を予見し、大胆な賭けに挑み続けた結果だった。AIの進化が加速する中で、フアン氏とエヌビディアは次なる戦場を見据えている。
[文/構成 by さとう つづり]




























































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