中村鶴松の輝かしい歌舞伎経歴 父はサラリーマン・母は共働き家族。 一般家庭出身の部屋子で初代舞鶴襲名予定の才色兼備
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一般家庭出身の歌舞伎役者、二代目中村鶴松の経歴と人物像。故・十八代目中村勘三郎に見出され10歳で部屋子となり、厳しい修行と学業を両立させた。早稲田大学を卒業後、異例の抜擢で歌舞伎座の主役も経験。2026年2月には初代中村舞鶴を襲名する予定であり、幹部俳優への昇進を控えるなど、次代の歌舞伎界を担う存在として注目されている。
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歌舞伎界の異色のホープ、初代中村舞鶴へ
2026年2月1日から26日まで、東京・歌舞伎座で上演される『猿若祭二月大歌舞伎』において、二代目中村鶴松(本名・清水大希、30歳)が初代中村舞鶴を襲名し、幹部俳優に昇進することが発表された。歌舞伎役者の家系に生まれるのが一般的なこの世界で、サラリーマン家庭出身という異色の経歴を持つ中村鶴松。その輝かしいキャリアは、まさに現代の「努力の人」の物語である。
歌舞伎座の発表によれば、今回の襲名は中村屋一門にとって大きな節目となる。十八代目中村勘三郎が2012年に逝去して以来、六代目中村勘九郎、二代目中村七之助の兄弟とともに中村屋を支えてきた鶴松が、ついに幹部の仲間入りを果たす予定だ。
サラリーマン家庭から歌舞伎界へ、異例の門出
中村鶴松は1995年3月15日、愛媛県松山市で誕生した。父はサラリーマン、母も働く共働き家庭。平日は保育園に通い、週末は児童劇団でレッスンを受けるという、ごく普通の幼少期を過ごしていた。
転機は5歳のとき。所属していた児童劇団からの推薦で、2000年5月の歌舞伎座『源氏物語』のオーディションを受けた。本名の清水大希として竹麿役で初舞台を踏むと、その演技は関係者の目に留まる。特に2003年8月、野田秀樹演出『野田版 鼠小僧』で演じた孫さん太役での演技が、十八代目中村勘三郎の心を捉えた。
「親が共働きで、平日は保育園、土日は児童劇団のレッスンに行っていました。歌舞伎公演のオーディションを受け、初舞台を踏んだのは5歳のとき。よく覚えてないですし、言葉でうまく説明できないのですが、すっかり歌舞伎に”はまってしまって”」本人はこう振り返る。子どもながらに、歌舞伎の美しさや異世界観に魅了されたという。
勘三郎の「3人目のせがれ」として
2005年5月、10歳の清水少年は十八代目中村勘三郎の部屋子となり、二代目中村鶴松を襲名。「部屋子」とは、歌舞伎役者の家に預けられ、芸や行儀作法を学ぶ弟子のこと。勘九郎、七之助の実子2人に加え、「3人目のせがれ」として迎え入れられた。
勘三郎は当時、こう語っている。「役者の家の出身じゃないが、芸の好きな子で、自分の子供同然に仕込むつもりです」
部屋子となってからの修行は厳しかった。子役時代は褒められることが多かったが、部屋子になってからは別人のように厳格な指導が始まる。何度も繰り返し言われたのは「心で芝居をしろ」という言葉。技術だけでなく、役の心情を深く理解し、観客に伝える力を求められた。
「勘三郎さんは、子役のときは褒めるばかりでしたが、部屋子になってからは厳しかったですね。怖かったです」鶴松はこう回想する。しかし、その厳しさの裏には深い愛情があった。
文武両道、早稲田大学への進学
歌舞伎の稽古と並行して、学業でも類まれな才能を発揮した。東京都立白鴎高等学校を卒業後、2013年に早稲田大学文学部文学科演劇映像コースに進学。大学受験では、センター試験英語で全国1位を獲得。早稲田大学と慶應義塾大学の計4学部すべてに合格するという快挙を成し遂げた。
大学では、歌舞伎だけでなくギリシャ喜劇やシェイクスピア、京劇など、幅広い演劇を学んだ。卒業論文では、自身が将来演じてみたいと考える演目を研究。舞台活動を続けながらの学生生活は多忙を極めたが、2017年9月に無事卒業を果たした。
「大学で学んだことは、歌舞伎の理解を深める上でも役立っています」本人は後にこう語っている。演劇の歴史や理論を学んだことで、歌舞伎という伝統芸能をより広い視野から捉えられるようになったという。
歌舞伎座の主役、異例の抜擢
2017年の大学卒業後、鶴松は歌舞伎一本の道を選ぶ。そして2021年8月、大きな転機が訪れた。歌舞伎座『八月花形歌舞伎』の第二部『真景累ヶ淵 豊志賀の死』で、主役・弟子新吉を演じることになったのだ。
一般家庭出身の俳優が歌舞伎座の主役を務めるのは極めて異例。この大役について、鶴松はこう語った。「『豊志賀の死』の新吉という、身に余る大役を勤めさせていただける事、心から有難く、嬉しい気持ちでいっぱいです」
この役は、富本節の師匠・豊志賀の内弟子という設定。一般家庭から勘三郎の部屋子となった自身の境遇とも重なる。勘九郎と七之助が、勘三郎の誕生日にこの役を鶴松に提案したというエピソードも、師への恩返しという意味合いを強く感じさせる。
公演は成功を収め、鶴松の演技力は高く評価された。
重要無形文化財認定、そして襲名へ
2023年10月、文化審議会の答申により、鶴松は重要無形文化財(総合認定/第十六次)に認定され、伝統歌舞伎保存会の会員となった。これは歌舞伎役者として公的に認められたことを意味する。
そして2025年12月、初代中村舞鶴の襲名が正式に発表された。鶴松は自身のInstagramでこう綴っている。
「この度、二十年間名乗って参りました中村鶴松という名を改め、初代中村舞鶴として披露させて頂く運びと相成りました。鶴松という名は、師匠である勘三郎さんから賜った大切な名前。その名を手放すことは寂しくもありますが、新しい名前とともに精進してまいります」
「舞鶴」という名には、京都府舞鶴市との縁もある。舞鶴市長は襲名を祝福し、「舞鶴の名を共有する同志として応援させていただきます」とコメントを寄せた。
勘九郎・七之助が語る「弟」の成長
襲名発表の記者会見で、勘九郎と七之助は「弟」の成長を喜んだ。
勘九郎は「鶴松が初代舞鶴の名前を襲名することは本当にうれしい。父も喜んでいると思います。いいスタートが切れるんじゃないか」と期待を込めた。
七之助も「華やかに輝けるように全力でサポートしていきたい」と語り、中村屋一門の結束の強さを見せた。
3人は師・勘三郎亡き後も、その遺志を継いで歌舞伎の伝統を守り続けてきた。今回の襲名は、中村屋の新しい時代の幕開けを象徴する出来事だ。
自主公演「鶴明会」で見せた挑戦心
鶴松は伝統的な歌舞伎公演だけでなく、自ら企画・運営する自主公演にも挑戦してきた。2022年6月に開催した『鶴明会』では、運営から主演、出演者のギャラ交渉まで、すべてを一人で担当。1日の単独公演で2000人を動員するという成功を収めた。
この公演について、鶴松は「自分で企画することで、歌舞伎をより深く理解できました。お客様に喜んでいただける舞台を作る難しさと喜びを実感しました」と語っている。
伝統を守りながらも、新しいことに挑戦する姿勢。それが若い世代から支持される理由の一つだろう。
家族の支え、感謝の言葉
一般家庭出身という背景は、鶴松にとって常に意識せざるを得ないものだった。歌舞伎界では「家」が重視される。名門の御曹司たちと肩を並べるためには、人一倍の努力が必要だった。
しかし、その努力を支えたのは家族の存在だ。「家族の支えが必要な仕事ですし、感謝しています。役者はいつでも家族に支えられているんです」
共働きの両親は、息子の夢を全力で応援した。保育園と児童劇団に通わせ、歌舞伎の道に進むことを後押しした。その支えがなければ、今の鶴松はなかっただろう。
「才色兼備」の評価、その理由
中村鶴松は「才色兼備」と評されることが多い。清潔感漂う美しい顔立ちで、立役(男役)と女方(女役)の両方をこなす。また、異形や人外の役まで演じ分ける演技の幅広さも持つ。
さらに、学業でも優秀な成績を収め、センター試験英語で全国1位という実績を持つ。歌舞伎の稽古と学業を両立させる努力家でもある。外見の美しさ、演技力、知性、努力——これらすべてを兼ね備えているからこそ、「才色兼備」という言葉がふさわしい。
2026年、新たなスタート
2026年2月、初代中村舞鶴としての新たな人生が始まる。鶴松はこう抱負を語った。「歌舞伎座が壊れるくらいのパワーで、精一杯演じたいと思います。少しでも大きい名前にできるよう精進したい」
一般家庭から歌舞伎界の幹部へ。その道のりは決して平坦ではなかった。しかし、努力と才能、そして周囲の支えによって、鶴松は夢を実現してきた。初代中村舞鶴としての活躍に、歌舞伎ファンだけでなく、多くの人が期待を寄せている。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]











































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