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間原寛氏の異色キャリアとその経歴。「保険屋になるつもりはない」と言っていた人物が、プルデンシャル生命社長に至った経緯

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2023年1月、プルデンシャル生命保険の代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)に就任した間原寛氏。そのキャリアは不動産デベロッパーから始まった。当初、生命保険に「人の生死で勝負する博打のような商売」と懐疑的だった同氏が、ある出会いを機にその使命に目覚める。1995年にライフプランナーとして現場からキャリアを積み、入社時から抱いていた「仲間と業界を変える」という志を胸に、約28年を経て同社のトップに就任した。不動産業界から生命保険業界へという異色の経歴を持つリーダーの軌跡と、就任時に語った哲学を振り返る。

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不動産業界から生命保険へ、異色の転身

2023年1月、プルデンシャル生命保険株式会社の代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)に間原寛氏が就任した。同氏は1995年にライフプランナー(営業社員)として同社に入社して以来、一貫してキャリアを築き上げてきた生え抜きである。しかし、そのキャリアの出発点は生命保険業界ではなかった。1988年に明治学院大学法学部を卒業後、新卒で入社したのは不動産デベロッパーの長谷工コーポレーションであった。

何億円もの案件を扱う不動産業界から、なぜ生命保険の世界へ足を踏み入れたのか。その背景には、同氏の価値観を根底から覆す劇的な出会いと、生命保険という仕事に対する認識の転換があった。

「保険屋になるつもりはない」- 価値観を覆した出会い

当初抱いていた生命保険への不信感

前職時代、間原氏は生命保険に対して良いイメージを持っていなかったという。あるインタビューで同氏は、「人の生死で勝負する博打のような商売だと思っていました」と率直に語っている。さらに、「ちまちまと、月1万円や2万円の保険を売るような保険屋になるつもりはないです」とまで考えていた。

この考えを覆すきっかけとなったのが、プルデンシャル生命の一人のライフプランナー、K氏との出会いであった。当時、他社の保険に加入していたものの、内容に納得していなかった間原氏。その不満をK氏に話したところ、次に会った際にはまさに自身が求めていたオーダーメイドの保険プランが提案された。パッケージ商品が主流だった当時、この提案は大きな驚きだった。

「神がかりだった」会社説明

K氏が相続を専門としていることを知り、自身の業務との連携の可能性を感じた間原氏は、協業の提案目的でK氏の支社長に会うことにした。しかし、そこで待っていたのは予想外の言葉だった。「間原さん、あなたの人生を考えてみませんか?」。それは、協業の相談ではなく、転職のスカウトであった。

当初は「ちょっと待ってくれ」と拒否したものの、支社長の「ふざけるな。保険屋をなめるな」という気迫に押され、渋々会社説明を聞くことになる。この会社説明が、間原氏の運命を決定づけた。「それがもう、神がかりでした」と同氏は振り返る。

そこで語られたのは、生命保険が単なる商品ではなく、顧客の人生に必要な保障を提案し、「経済的な心の平和を提供する」という使命を持つ仕事であること。そして、「職業の選択というより、生き方の選択である」「自分の評価を決めるのは上司ではなく、お客さまだ」という言葉だった。これらの言葉は、間原氏の心に深く突き刺さり、「完全に落ちました」と語るほど、同氏の価値観を180度転換させた。

ライフプランナーから経営の道へ – 入社時から抱いた野心

「一人では業界を変えられない」という問題意識

「生命保険を通じ、社会に貢献する」という使命感と、「日本の生命保険事業の在り方に変革をもたらす」というビジョンに心を動かされ、1995年3月、間原氏はプルデンシャル生命への転職を決意する。

しかし、同氏は入社時から他の多くのライフプランナーとは異なる視点を持っていた。入社式の決意表明で、いきなり「営業管理職を目指したい」と宣言したのである。同社ではまず営業のプロフェッショナルである「エグゼクティブ・ライフプランナー」を目指すのが一般的であり、管理職志望を公言するのは極めて珍しいことであった。

その背景には、冷静な分析があった。当時、エグゼクティブ・ライフプランナーの認定基準の一つが「600件の契約を保有すること」だった。これを聞いた間原氏は、「たった600?」「一人で生涯に600人くらいしか担当できないのか。それでは業界を変えられないじゃないか」と感じたという。業界全体に変革をもたらすという大きな目標に対し、個人の力だけでは限界がある。その解が、「仲間と業界を変えていけば良いのだ」という、管理職への道だった。

現場起点のキャリアパス

その宣言通り、間原氏はライフプランナーとして現場経験を積んだ後、営業所長、そして大阪南、大阪西、札幌、仙台など複数の支社長を歴任し、着実にマネジメントのキャリアを歩んでいった。その後、営業本部長、執行役員、取締役とステップアップを重ね、2023年1月、ライフプランナー出身者として同社のトップである社長兼CEOに就任した。

この現場からの叩き上げという経歴は、同氏の経営哲学の根幹を成している。

社長就任時に語った理念と「ライフプランナーの価値」

「お客様の方を向いて仕事をする」

社長就任後、間原氏の視線は常に顧客と現場に向けられていた。同氏は入社したばかりのライフプランナーに対し、「会社のことは考えなくていい。とにかくお客様の方を向いて仕事をしてください」と語りかけている。会社の利益や上司の評価ではなく、顧客からの信頼こそが最も重要であるという考えは、転職を決意した日から一貫している。

その上で、唯一の縛りとして掲げたのが、同社の「コアバリュー」(信頼に値すること、顧客に焦点を合わせること、お互いに尊敬し合うこと、勝つこと)である。「この価値観に共感できないのであれば、入社しないほうがいい」と断言するほど、理念の共有を重視していた。

「ライフプランナーこそが、最高の商品」

DX化が叫ばれる現代においても、間原氏は「人」の価値を強く信じている。同氏は「ライフプランナーは販売チャネルではないのです。ライフプランナーこそが、最高の商品なのです」と語る。これは、単に保険商品を売るのではなく、顧客一人ひとりに寄り添い、生涯にわたる安心を提供するライフプランナーという存在そのものが、同社の提供する最大の価値であるという信念の表れである。

また、「ライフプランナーの仕事は、ご契約から始まります」とも述べている。契約時よりも、むしろ保険金支払いなど、顧客が本当に助けを必要とするときにこそ保険会社の真価が問われるとし、その際に専門家であるライフプランナーが介在することの重要性を強調していた。

現場起点のリーダーシップで描く未来

不動産デベロッパーから、当初は懐疑的だった生命保険の世界へ。そして現場のライフプランナーから社長へ。間原寛氏のキャリアは、異色でありながらも、顧客と現場を起点とする一貫した哲学に貫かれている。

「仕事とは人生の大半の時間を費やすもので、時間を費やすこととは命を使うこと。すなわち『使命』です」。社長就任時、自らがそうであったように、社員一人ひとりが仕事に使命感を見出せる会社作りを目指すと語っていた。入社時に抱いた「業界を変える」という青写真は、約28年を経て数千人の仲間を率いるリーダーとして実現した。ライフプランナー出身者として、現場を知り尽くした経営者が描いた理念と哲学。その軌跡は、異色のキャリアパスの一つのモデルケースとして記録に値するものである。

※本記事は2023年1月の社長就任時点までの公開情報に基づき、同氏のキャリア形成を振り返ったものです。

[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]

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