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大串章さん死去、88歳 俳人協会名誉会長、俳誌「百鳥」を創刊した俳人の経歴と代表的な俳句

大串章さん死去、88歳 俳人協会名誉会長、俳誌「百鳥」を創刊した俳人の経歴と代表的な俳句

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俳人協会名誉会長で俳人の大串章さんが1日、心不全のため88歳で亡くなった。俳誌「百鳥」を創刊して主宰を務め、1978年には第1句集「朝の舟」で俳人協会新人賞を受けた。代表句に「野遊びの終り太平洋に出づ」「耕人に傾き咲けり山ざくら」がある。葬儀は近親者で営む。

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1日午後11時41分、鎌ケ谷市の自宅で死去

俳人で俳人協会名誉会長の大串章(おおぐし・あきら)さんが1日午後11時41分、心不全のため千葉県鎌ケ谷市の自宅で亡くなった。88歳だった。時事通信と愛媛新聞が、亡くなった時刻まで伝えている。

訃報は2日、共同通信、朝日新聞、産経新聞、時事通信などが同日中に伝えた。共同通信は大串さんを「抒情性の高い作風で知られた俳人」と紹介し、朝日新聞は「現代俳句を代表する俳人のひとり」と書いた。

葬儀は近親者で営み、喪主は妻の照子(てるこ)さんが務める。

佐賀・嬉野に生まれ、中学生で新聞に投句

大串さんは1937年、佐賀県に生まれた。愛媛新聞と佐賀新聞は、嬉野市の出身と伝えている。

俳句との出会いは中学生のころだった。愛媛新聞によると、中学時代に病気療養の生活を送ったことがきっかけで、新聞に俳句や短歌を投稿し始めたという。

1958年に京都大学へ進み、「京大俳句」などに参加した。翌59年には大野林火が主宰する俳誌「濱(はま)」に入会し、以後は林火に師事する。林火は、1974年から82年まで愛媛新聞の「愛媛俳壇」選者を務めた俳人だ。大串さんが同じ欄の選者に就くのは、それから20年後の2002年になる。

94年に「百鳥」を創刊、俳人協会では会長を務めた

1994年には、俳誌「百鳥(ももとり)」を創刊して主宰に就いた。共同通信によると、同じ年に「現代俳句の山河」で俳人協会評論賞も受けている。

2017年には俳人協会の会長となり、25年まで務めた。朝日新聞は同協会を「日本最大の俳人団体」と紹介している。愛媛新聞によると、25年からは名誉会長の立場にあった。

主な歩みは次のとおりだ。

年できごと
1937年佐賀県に生まれる
1958年京都大学に進学し、「京大俳句」などに参加
1959年「濱」に入会し、大野林火に師事
1978年第1句集「朝の舟」で俳人協会新人賞
1994年俳誌「百鳥」を創刊、主宰に。「現代俳句の山河」で俳人協会評論賞
2002年4月から愛媛新聞「愛媛俳壇」選者
2005年句集「大地」で俳人協会賞
2007年1月に朝日俳壇選者へ就任
2017年俳人協会会長に就任(25年まで)
2021年第8句集「恒心」を刊行
2025年俳人協会名誉会長に

新人賞から俳人協会賞まで、受賞と句集

共同通信によると、大串さんは78年に句集「朝の舟」で俳人協会新人賞、94年に「現代俳句の山河」で俳人協会評論賞、2005年に「大地」で俳人協会賞を受けた。時事通信も、78年の第1句集「朝の舟」での新人賞と、05年の句集「大地」での俳人協会賞を伝えている。

朝日新聞は「現代俳句の山河」を評論集と紹介した。共同通信によると、句集はほかに「百鳥」「天風」「恒心」などがある。

句集と評論の両方で賞を受けた俳人だった。

代表句は「野遊びの終り太平洋に出づ」「耕人に傾き咲けり山ざくら」

共同通信は、代表句として2句を挙げた。

「野遊びの終り太平洋に出づ」

「耕人に傾き咲けり山ざくら」

朝日新聞も、代表句に「耕人に傾き咲けり山ざくら」を紹介している。野遊びも山ざくらも春の季語だ。言葉どおりに読むと、前者は野遊びの終わりに太平洋へ出る場面、後者は耕す人のほうへ傾いて咲く山桜を詠んだ句と受け取れる。

「抒情の俳人」と呼ばれた作風、林火と龍太の評

朝日新聞は、大串さんを「抒情の俳人」と称された人物と伝える。師の林火は、大串さんの句について純粋さ、透明さ、詩精神の高さを指摘した。俳人の飯田龍太は「常凡をおそれぬ恒心の確かさ」と評している。

龍太の言葉には経緯がある。朝日新聞の書籍紹介サイト「好書好日」によると、1969年、龍太は「濱」の俳誌に「章寸評」という一文を寄せた。そこには、こう書かれていた。

「非凡にあこがれるより、常凡をおそれぬ恒心の確かさ、これがこの作者に対する私の印象のすべてである」

大串さんは同サイトの記事で、この言葉への思いを語っている。

「自分の俳句を平凡すぎると思っていたので、この言葉に救われ、大きな勇気をもらった」

この言葉が、のちの句集名になった。21年に刊行した第8句集は「恒心」といい、最後の句集となった。

句集「恒心」に込めた思い、大切にした三本柱

「恒心」は角川文化振興財団から刊行された。前句集「海路」から6年ぶりで、2015年から20年までに詠んだ392句を収めた。好書好日によると、句集名の意味は「揺るがぬ心」。大串さんは「続けてきたことで人生の実感を得ることができた」と語っていた。

句作で最も大切にしてきたのは「写生・抒情・滑稽」の三本柱だった。滑稽を重んじる理由を、大串さんは句集の刊行当時、こう話していた。

「今は鬱屈した時代。だからこそ、思わず笑ってしまう、ほほえんでしまうというのが必要」

同じ句集には、老いを主題にした句も並ぶ。好書好日が紹介した句から、いくつか挙げる。

「春疾風高炉の錆の逞しき」

「風鈴に亡き人の句を吊しけり」

「玉子酒八十路大事に生き抜かむ」

「逝くときも空に舞ふ鷹見たきかな」

故郷の佐賀県嬉野で幼いころに見た風景を思い出す日々だと語り、「草笛を吹く目故郷を見つめをり」といった望郷の句も収められた。

朝日俳壇と愛媛俳壇の選者、4日が最後の掲載

選者としての顔も長かった。愛媛新聞によると、2002年4月から「愛媛俳壇」の選者を務め、愛媛の俳句愛好者に親しまれた。朝日新聞では2007年1月に朝日俳壇の選者へ就任している。

朝日俳壇は今月4日掲載の「大串章選」が最後になる。山梨日日新聞は、都留市俳句大会の元選者として訃報を伝えた。

佐賀の俳人が悼む「穏やかで優しい人」

佐賀新聞は3日、訃報が伝わった2日の佐賀県内の俳人の声を紹介した。

大串さんが創刊した「百鳥」の同人、大石ひろ女さん(77)=多久市=は、9月下旬に電話で話したばかりだったという。「心にぽかっと穴が開いた気持ち。もう一度会いたかった」としのんだ。

同じ同人の小浜史都女さん(88)=唐津市=は「俳句には厳しかったが、普段は穏やかで優しい人だった」と語る。「佐賀の百鳥を頼む」と言われたことが今も心に残るという。「多くの弟子を育てられ、有名な人も何人もいる」とも話した。

中学生のころに新聞へ投句を始めた少年は、88歳で亡くなるまで、俳句の世界に身を置き続けた。

[文/構成 by エンタメライター 和泉ユウスケ]

寄稿者

和泉ユウスケ
映画とアニメのことばかり書いているライターの和泉です。Webメディアで映画レビューを書き始めて9年になりました。深夜アニメは毎クール20本前後を追いかけ、映画館には月に数回、公開初日にもよく出没します。公開日・配信日・キャスト情報は正確に、ネタバレには慎重にお届けします。

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