PACさん死去、40歳とAEW発表 WWEではネヴィルとしてNXT王座、クルーザー級王座2度

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米プロレス団体AEW(オール・エリート・レスリング)は現地時間9月27日(日本時間28日)、PACのリングネームで戦ってきたベンジャミン・サッタリーさんが亡くなったと発表した。40歳だった。前夜の26日(日本時間27日)にはPPV「オールアウト」でAEWナショナル王座に挑んだばかり。WWEでは「ネヴィル」としてNXT王座とWWEクルーザー級王座2度を手にし、日本のドラゴンゲートでも長く活躍した。
AEWが公式サイトとXで発表、死因は明らかにされず
AEWが公式Xに訃報を載せたのは、米中部時間9月27日午後8時6分(日本時間28日午前10時6分)だった。公式サイトにも同じ文面を掲載し、英国ニューカッスル・アポン・タイン出身のサッタリーさんが2004年にキャリアを始め、世界各地の団体で新しい空中技と並外れたリング上の実力でファンを魅了したと紹介している。
声明は続けて、2019年にAEWと契約して複数のAEW王座に就き、団体の歴史に残る名勝負を数多く残したと記した。最後は、家族や友人、ファンへのお悔やみの言葉で結ばれている。
発表に死因は含まれていない。イリノイ州デスプレーンズの警察は現地時間28日、事件性をうかがわせる形跡は見当たらないと説明した。クック郡検視局は、死因と死亡の種類は追加の検査を待っている段階で、結果が出るまでに数週間かかる可能性があるとしている。9月29日時点で、死因は公表されていない。
最後の試合は亡くなる前夜のナショナル王座戦
PACさんが最後にリングに立ったのは、9月26日(日本時間27日)にシカゴ近郊のホフマンエステーツにあるNOWアリーナで開かれた「オールアウト」だった。王者アンドラデ・エル・イドロに挑んだナショナル王座戦の終盤、リバースフランケンシュタイナーからラリアットを決めると、得意の関節技ブルータライザーでギブアップを迫る。
だが、アンドラデは技を切り返し、そのまま丸め込んで3カウントを奪った。ベルトには届かなかった。
AEWの訃報が出たのは、その試合からおよそ1日後のことだった。
ドラゴンゲートで2つのシングル王座
1986年8月22日、英国北東部のニューカッスル・アポン・タインに生まれた。英国のインディー団体でキャリアを積み、2007年に日本のドラゴンゲートへ初参戦する。初来日のきっかけをつくったのは、当時団体の中心にいたCIMAだった。
日本では360度回転しながら飛ぶシューティングスター・プレスを武器に、スピードと空中技で人気を集めた。2010年8月29日、福岡・博多スターレーンでのトーナメント決勝で横須賀享(現・横須賀ススム)を破り、第20代オープン・ザ・ブレイブゲート王者に。翌2011年11月19日に大阪でリコシェに敗れるまで、11度の防衛を重ねた。
6人タッグのオープン・ザ・トライアングルゲート王座には吉野正人、土井成樹らと組んで3度就き、ドラゴン・キッドとのコンビではオープン・ザ・ツインゲート王座も手にしている。
WWEを離れたあとの2018年、PACさんはドラゴンゲートのリングに戻ってきた。12月4日の東京・後楽園ホールで吉野正人をブラックアローで沈め、団体最高峰のオープン・ザ・ドリームゲート王座を初めて奪取する。第28代王者で、外国人選手ではリコシェに続く2人目の戴冠だった。2度の防衛ののち、2019年7月21日の神戸ワールド記念ホール大会でBen-Kに敗れ、ベルトを明け渡した。
ネヴィルとしてNXTの新時代を支えた
WWEとの契約は2012年。育成ブランドのNXTで「エイドリアン・ネヴィル」を名乗り、2013年にはNXTタッグ王座を2度手にした。
転機は2014年2月27日(現地時間)だった。WWEネットワークで初めて生中継されたNXTの大会「アライバル」で、王者ボー・ダラスとのNXT史上初のラダーマッチを制し、NXT王座に就く。同年12月11日にサミ・ゼインに敗れるまで、約9カ月半にわたって王座を守り続けた。
2015年に1軍にあたるメインロースターへ昇格し、リングネームは「ネヴィル」となる。2017年1月29日のロイヤルランブルでリッチ・スワンを破り、WWEクルーザー級王者となった。8月14日のRAWで戸澤陽に敗れていったん王座を失うものの、6日後の8月20日、サマースラムで戸澤から奪い返して2度目の戴冠を果たす。9月24日のノー・マーシーでエンツォ・アモーレに敗れたのが、WWEでの最後の王座戦となった。
その後はWWEの番組から姿を消し、2018年に契約解除が認められて退団した。
AEWでは初代オールアトランティック王者、トリオ王座2度
2019年にAEWと契約し、PACの名に戻って戦った。2022年6月26日の新日本プロレスとの合同興行「フォービドゥン・ドア」では、ミロ、マラカイ・ブラック、新日本のクラーク・コナーズとの4WAY戦をブルータライザーで制し、初代オールアトランティック王者(現AEWインターナショナル王座)となる。AEWで初めてのタイトルだった。
同じ年の9月7日には、ペンタ・エル・セロ・ミエド、レイ・フェニックスとのユニット「デス・トライアングル」でAEW世界トリオ王座に就いた。2024年8月25日、英ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開かれた「オールイン」では、クラウディオ・カスタニョーリ、ウィーラー・ユウタと組んで4チームによるラダーマッチを制し、2度目のトリオ王座を手にする。つるされたベルトをつかみ取ったのは、はしごを登ったPACさん自身だった。王座はその後、PACさんも加わっていたジョン・モクスリー率いるユニット「デス・ライダーズ」の手で守られ、2025年4月16日、負傷で欠場したPACさんの代わりにモクスリーが出場した防衛戦で柴田勝頼らのジ・オップスに敗れるまで、234日間続いた。
主な王座の在位期間は次のとおり(日付は開催地の現地時間)。
| 団体 | 王座 | 在位期間 |
|---|---|---|
| ドラゴンゲート | オープン・ザ・ブレイブゲート王座(第20代) | 2010年8月29日〜2011年11月19日 |
| WWE | NXT王座 | 2014年2月27日〜2014年12月11日 |
| WWE | WWEクルーザー級王座(1度目) | 2017年1月29日〜2017年8月14日 |
| WWE | WWEクルーザー級王座(2度目) | 2017年8月20日〜2017年9月24日 |
| ドラゴンゲート | オープン・ザ・ドリームゲート王座(第28代) | 2018年12月4日〜2019年7月21日 |
| AEW | オールアトランティック王座(初代) | 2022年6月26日〜2022年10月12日 |
| AEW | AEW世界トリオ王座(デス・トライアングル) | 2022年9月7日〜2023年1月11日 |
| AEW | AEW世界トリオ王座(カスタニョーリ、ユウタと) | 2024年8月25日〜2025年4月16日 |
トリプルH、柴田勝頼、鷹木信悟らが悼む
AEWのトニー・カーン社長は、日本時間28日午前11時50分にXを更新した。「ベンジャミン・サッタリーは一流であることを体現していた」と書き出し、多くの大切な人にとって愛された夫であり友人だったこと、プロレスの知識や技術、類のない運動能力、プロ意識、安定感、そして世界を渡り歩いて追い求めた競技への献身をたたえ、「安らかに眠ってほしい」と結んだ。
WWEのトリプルH(ポール・レヴェック)最高コンテンツ責任者は、日本時間28日午後11時10分にXで追悼した。NXTの初期にともに仕事ができたことを「幸せだった」とし、アライバルでの一場面を添えて、この瞬間がブランドとそこで戦う選手たちにとって新しい時代の始まりで、ベンはその大きな原動力だったとつづる。「並外れた才能の持ち主で、それ以上に優しい人間だった」とも記した。
同じ英国出身のウィル・オスプレイは「わが国が生んだ最高の輸出品。そして最高の人間」と投稿し、何度もリングを共にしたことを光栄に思うと明かしている。
日本の選手からも追悼が続いた。AEWで戦う柴田勝頼は、日本時間28日午後1時48分にXを更新し、「突然の訃報であまりにもショックが大きいです」と書き出した。PACさんが運転するレンタカーで一緒に食料の買い出しやランドリーでの洗濯に出かけ、車内でプロレスの話をたくさんしたという。「お互いに“いつか試合したいね”と語り合っていました。本当に残念です」と、英語で友への別れの言葉を添えた。
ドラゴンゲート時代の仲間も言葉を寄せた。初来日に導いたCIMAは「何が起こっているのか理解の整理が追いつかない…」とXに投稿。ブレイブゲート王座決定戦で敗れた相手でもある横須賀ススムは「彼と同じリングで戦えたこと、僕のレスラー人生の中に残ってることを誇りに思います」とつづり、自身が手がけたコスチュームのデザイン画を載せた。
現在は新日本プロレスで戦う鷹木信悟は「6月に試合したばかりで、また近々闘えると思っていたよ」と書き、「昔から彼のプロ意識には、ずっと尊敬の念を持っていました」と悼んだ。
30日のダイナマイトを追悼大会に
トニー・カーン社長は現地時間28日、フロリダ州ジャクソンビルで行われたROHの収録で、米国時間9月30日(日本時間10月1日)に米ペンシルベニア州ピッツバーグで行う「ダイナマイト」をPACさんの追悼大会にすると発表した。カーン社長によると、ピッツバーグで初めて開かれたダイナマイトでメインイベントに立ち、ジョン・モクスリーと戦ったのがPACさんだった。
英国のインディーから日本、米国へと渡り、ドラゴンゲート、WWE、AEWでベルトを巻いた22年。その最後の試合は、亡くなる前夜のタイトルマッチだった。
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[文/構成 by スポーツライター 久遠(KUON)]









































































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