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佐藤寛之、光GENJI脱退を振り返る 大沢樹生と最初に脱退、7人が6人になるのは嫌だった

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金曜朝の対談で語った「脱退です」

元光GENJIの佐藤寛之(55)が10月16日、TBSラジオ「純烈・酒井一圭 BRAND-NEW MORNING」にゲスト出演し、1994年のグループ脱退について語った。大沢樹生と2人で最初に抜けた経緯を明かし、「7人が6人になって光GENJIやるの?」と感じたことなどを脱退の理由に挙げた。次の仕事を決めずに辞め、「辞めてからが大変」と打ち明けた。

佐藤が出演したのは、10月16日午前5時から6時30分まで放送された「純烈・酒井一圭 BRAND-NEW MORNING」。番組表には「対談 酒井一圭×佐藤寛之(元・光GENJI)」とあり、5時43分ごろに前編、6時10分ごろに後編が組まれていた。金曜日を担当する純烈のリーダー・酒井一圭が聞き手を務める。

話が脱退に及んだのは、酒井が「脱退という形になるんですか」と確かめた場面だった。佐藤の答えは短い。「そうですね。脱退です」と言い切った。

続けて「僕と大沢樹生さん、2人が最初に脱退したっていう」と明かした。光GENJIは1994年8月に大沢と佐藤が抜け、残る5人は「光GENJI SUPER 5」として活動を続ける。7人のうち最初にグループを離れたのが、この2人だった。

「もう彼だけは辞めるって決まっていた」

脱退の流れをつくったのは大沢だったと、佐藤はみている。当時の大沢について「大沢さんが当時はもう23、4(歳)、30代目前にするとアイドルって…。今はもう全然平気じゃないですか。でも当時は30代でアイドルっていうと、まずいなかったですよね」と語った。

いまでこそ30代、40代のアイドルは珍しくない。だが1990年代前半は事情が違った。

「そういうことをたぶんね、大沢くんは考えたんだと思いますよ」と推し量り、「俳優とかやっていたんで、ちょっと俳優の道に行きたいということで。もう彼だけは辞めるって決まっていたんですよ」と続けた。大沢は脱退後、俳優として活動していく。2人の脱退は同じ1994年8月だったが、先に辞める道が決まっていたのは大沢の方だった。

「7人が6人になって光GENJIやるの?」

では、佐藤はなぜ一緒に抜けたのか。

本人の説明では、最初から辞めるつもりだったわけではない。「俺、決めてなかったんですよ」と明かしたうえで、当時の気持ちを「“7人が6人になって光GENJIやるの?”みたいな。ちょうどこのグループの楽しさとかを覚えた時期だったので。それが6人になる。考えられないみたいに思って」と語った。

大沢が抜けても、グループは6人で続ける予定だったという。それでも佐藤は「だけれども俺は嫌だなと思って」「嫌だった」とはっきり口にした。

もう一つの理由は人気の先行きだった。「で、人気もどうなの?みたいになって。で“つまんないから辞める”って言って辞めて」と、当時の言葉をそのまま紹介し、「そういう理由なんですよ」と締めくくっている。

7人そろってこその光GENJIだという思いと、グループの勢いへの不安。2つが重なった末の決断だった。

ただ、その後の道は平らではない。「だから僕は次とか決めていなくて辞めたから大変でしたよ。辞めてからが大変」と、実感をにじませた。所属事務所も離れた佐藤は、その後ソロ歌手として歩み始める。

ローラースケートで駆け抜けた7年

光GENJIは1987年6月25日、内海光司と大沢樹生の「光」、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)の「GENJI」が合わさって結成された。同年8月19日、チャゲ&飛鳥が手がけた「STAR LIGHT」でデビューする。ローラースケートを履いたステージで一気に人気を集め、「ガラスの十代」「パラダイス銀河」と大ヒットが続いた。

1988年には「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。昭和の終わりから平成の初めにかけ、アイドルの頂点に立ったグループだった。1993年に出した「勇気100%」はNHKのアニメ「忍たま乱太郎」の主題歌に選ばれ、30年以上たった現在も番組のオープニングで歌い継がれている。佐藤が脱退するのは、この曲の発売から1年あまり後のことだ。

1994年8月に大沢と佐藤が脱退すると、5人体制の「光GENJI SUPER 5」に改名した。翌1995年9月3日、名古屋のレインボーホール(現・クロコくんホール)でのライブを最後に解散している。7人で活動したのは、デビューからおよそ7年だった。

2026年8月19日、デビュー39周年の当日に光GENJIの楽曲配信が始まった。第1弾はグループ最後のアルバム『See You Again』で、40周年となる2027年8月19日までに全作品を順次配信する計画が進む。

関連記事:光GENJI、8月19日にサブスク解禁 デビュー39周年当日にラストアルバム3枚組から配信

鎌ケ谷から電車通勤、いまは山本淳一と「ふたつの風」

同じ放送では、デビュー当時の暮らしにも話が広がった。佐藤は千葉県鎌ケ谷市の出身で、16歳でデビューした後も「『パラダイス銀河』、17歳ぐらいまで通ってましたよ」と、しばらく地元から仕事に通っていたことを明かした。通っていた中学校は鎌ケ谷市立第四中学校だという。

朝は東武野田線で船橋まで出て、総武線に乗り換える毎日。「船橋駅で例えば100人連れて、途中の錦糸町とかでまた100人ぐらい。だんだん増えてくるんですよ」と、乗り換え駅ごとにファンが待っていた当時の人気ぶりを笑いながら語った。

当時の山本淳一との関係を聞かれると、「まあグループあるあるで、仲がいいのか悪いのか、ちょっとよく分かんない状態でしたね」と答えたうえで、「まあ良くはないね、良くない!良くはない!」と言い直して苦笑した。多忙で一緒にいる時間が長すぎたのではと水を向けられると、「話さなくなるよね」としみじみ振り返った。

いまは違う。「今の方が逆に人間らしいお付き合いしているっていうか」と笑い、元メンバーとは「たまに会ったりとか、お話とかしてね」と明かした。

佐藤は2023年5月、光GENJIで一緒だった山本淳一とユニット「ふたつの風」を結成した。山本との仕事について「昔話さなかったようなことまで細かく話しながら仕事するから」と変化を語り、「まあ凄く楽しくお仕事させてもらえているかなっていう感じですよね」と穏やかに話した。

7人がそろわない光GENJIは考えられないと、グループを離れてから32年。かつて話さなくなっていた仲間と、いまは同じステージに立つ。

[文/構成 by エンタメライター 真柴 ことね]

寄稿者

真柴 ことね
芸能ニュースや音楽、テレビ番組の話題を中心に書いているWebライター。ライター歴は11年。朝は情報番組をはしごするのが日課で、気になった話題はその日のうちに調べ始める。心がけているのは「公式発表を最初に読む」こと。所属事務所やレーベルの発表、番組の公式サイトまで確かめてから書く。ドラマは録画して週末にまとめて観る派。

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