「不屈」船長・金井創さんの知られざる経歴 早稲田卒→銀行員→牧師→沖縄18年の平和活動を辿る

2026年3月16日午前10時10分ごろ、沖縄県名護市辺野古沖で抗議船「不屈」(1.9トン)と「平和丸」(5トン未満)の2隻が相次いで転覆した。
研修旅行の平和学習で乗船していた同志社国際高校2年生18人を含む計21人が海に投げ出され、「不屈」船長で牧師の金井創さん(71)と「平和丸」に乗っていた同校生徒の武石知華さん(17)が死亡。ほかの19人は全員救助された。
事故当時、気象庁は波浪注意報を発表していた。第11管区海上保安本部が業務上過失致死傷の疑いも視野に捜査を進めている。
早稲田大学を卒業後、銀行員を1年で辞めて牧師となり、2006年に沖縄に移り住んでからは辺野古の海に立ち続けた金井創さんとは、どのような人物だったのか。一次情報源をもとに、その異色の経歴をたどる。
目次
金井創さんの経歴──北海道から早稲田、そして神学の道へ
| 氏名 | 金井 創(かない・はじめ) |
|---|---|
| 生年 | 1954年9月、北海道岩内町生まれ |
| 学歴 | 北海道立札幌西高等学校卒 → 早稲田大学政治経済学部卒 → 東京神学大学大学院修士課程修了 |
| 職歴(東京時代) | 北海道銀行勤務(約1年)→ 日本基督教団富士見町教会副牧師 → 明治学院チャプレン |
| 職歴(沖縄時代) | 日本基督教団佐敷教会牧師(2006年〜)、沖縄キリスト教学院大学非常勤講師、沖縄キリスト教平和研究所コーディネーター(2022年〜) |
| 抗議船船長 | 2007年より辺野古海上行動に参加。2014年に「不屈」船長に就任 |
| 著書 | 『生き方としてのキリスト教』(日本基督教団出版局、1999年)、『沖縄・辺野古の抗議船「不屈」からの便り』(みなも書房)ほか |
| 享年 | 71歳(2026年3月16日没) |
岩内町からの出発──漁師町で過ごした幼少期と札幌への転居
金井創さんは1954年9月、北海道の日本海に面した後志管内岩内町に生まれた。岩内町は古くから漁業で栄えた小さな港町で、1954年3月には米国のビキニ環礁水爆実験の影響が岩内沖にまで及んだことでも知られる。金井さんは小学6年生のときに家族とともに札幌市へ転居し、北海道立札幌西高等学校に進学した。同校の同級生の回想によれば、背が高く成績優秀で、バスケットボールが得意な生徒だったという。
早稲田から北海道銀行へ──1年で退職、神学の道に転じる
札幌西高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に進学した金井さんは、卒業後に北海道銀行に入行した。同級生に対し「お金が一円合わなくても大変なんだよ」と銀行の厳しさを語っていたという。しかし銀行勤務はわずか約1年で退職し、東京神学大学に編入する。東京神学大学は日本基督教団と深い関係を持つ神学系の大学院大学であり、金井さんは同大学の大学院修士課程を修了し、聖職者としての歩みを始めた。
大学院修了後は、日本基督教団富士見町教会(東京都千代田区)の副牧師に就任した。富士見町教会は1887年の創立で、日本プロテスタント史においてもっとも歴史ある教会の一つである。その後、学校法人明治学院のチャプレン(学院付牧師)に転じ、礼拝やキリスト教教育を担当するとともに、学生を引率した研修旅行などを通じて国内外の社会問題の現場に足を運んでいた。
1987年──映画「ゆんたんざ沖縄」との出会い
金井さんの人生を決定的に変えたのが、1987年に鑑賞した記録映画「ゆんたんざ沖縄」(西山正啓監督、1987年)だった。この映画は、沖縄本島中部の読谷村を舞台に、沖縄戦のさなかチビチリガマで集団自決を強いられた人々の証言、鎮魂の像を制作する彫刻家・金城実の姿、そして読谷高校の卒業式で日の丸掲揚に抵抗する女子高生の涙を記録したドキュメンタリーである。「ゆんたんざ」とは読谷の古い呼び名だ。
金井さんはこの映画を見て「沖縄県民が犠牲になった戦争の歴史や米軍基地が集中する現状を知り、衝撃を受けた」という。以降、明治学院チャプレンとして大学生を引率して沖縄の現地研修を開始するとともに、毎年数回は個人でも沖縄を訪れるようになった。この時期から約20年をかけて、金井さんは「東京の聖職者」から「沖縄の海に立つ牧師」へと変貌していくことになる。
2006年──沖縄移住と佐敷教会への着任
2006年、金井さんは東京を離れ、沖縄県南城市にある日本基督教団佐敷教会の担任牧師として赴任した。佐敷教会は1948年に設立された教会で、沖縄本島南部に位置する。着任の経緯について、金井さんはこう語っている。
「基地建設抗議運動は牧師だけが突出して活動しているのではなく、当時すでに十数年前から続いていた教会の働きでした。着任して4日後には、信徒が辺野古基地建設現場に連れていってくださった。教会が祈りをもって送り出す働き、という大前提があります」
佐敷教会での牧会と並行して、近隣のキリスト教児童養護施設への支援活動にも携わっていた。戦災孤児のために始まったこの施設には、現在は親のネグレクトや虐待を背景とする子どもたちが暮らしており、金井さんは信徒とともに毎週日曜に礼拝を届けていたという。また、沖縄キリスト教学院大学の非常勤講師も務め、平和教育の実践的なプログラムに関わっていた。
辺野古の海で操船し続けた約19年──抗議船「不屈」と「木乃葉蝶」
2007年──海上抗議行動の始まり
佐敷教会に着任した翌年の2007年、金井さんは辺野古沖の米軍基地建設に抗議する海上行動に船長として参加し始めた。当初は週3日のペースで海に出ていたという。抗議行動は日曜以外のほぼ毎日行われており、金井さん自身も年間およそ100日は操船していた。
2014年──船名「不屈」に込められた思い
2014年、沖縄キリスト教平和研究所(沖縄キリスト教学院内)が全国から募金を呼びかけ、新たな抗議船を購入した。金井さんはこの船の名を「不屈」と命名し、船長に就任した。「不屈」という名前は、米軍統治下の沖縄で民衆の先頭に立ち続けた政治家・瀬長亀次郎(1907〜2001年)が生涯の信条とした言葉に由来する。
2014年9月の講演で金井さんは「不屈」の命名の由来をこう語っている。
「瀬長さんが生涯、生き方の根本にしてきたのが『不屈』なんですね。いま、瀬長さんの次女の方が責任者となって、瀬長さんの『不屈館』という資料館が那覇市内にできています。瀬長さんの『不屈』、これをやはり今私たちは掲げていきたいなって思っていて、それで今度買わせていただく船の名前を『不屈』にしようと思っています」
──クリスチャントゥデイ(2014年9月12日付)
さらに金井さんは、もう一隻の抗議船「木乃葉蝶」(このはちょう)の船長も兼ね、複数の船を使い分けて海上活動を続けていた。
「イエスは辺野古の現場にいる」──信仰に根ざした非暴力の活動
金井さんの辺野古での活動は、キリスト教信仰に深く根ざしたものだった。海上での抗議活動について、金井さんは佼成新聞デジタルの講演録(2021年9月11日付)で「基地建設はまさに『いのちの問題』」と述べ、沖縄が戦後に米軍の出撃基地となり、ベトナム戦争やイラク戦争で多くの命を奪う加害者の立場にも立たされた歴史を語った。
金井さんは非暴力による抵抗を一貫して掲げていた。沖縄の非暴力活動の象徴的存在である阿波根昌鴻(1901〜2002年)の「平和の武器は学習。平和の最大の敵は無関心」という言葉を活動の精神的支柱とし、講演でも繰り返し引用していた。北海道新聞のインタビュー(2024年5月11日付)では、自らの信仰と活動をこう結びつけている。
「イエスは非暴力で戦い、ユダヤの権力者やローマ帝国に負け続けた後、復活した。これは非暴力の勝利で、世論が動くまで活動を続ける」
──北海道新聞 2024年5月11日付(鈴木雅人記者)
同じインタビューで金井さんは「海を守る思いは、海上保安庁職員でも個人の立場なら理解されてきている。国は巨大だが諦めない」とも語っていた。また、2014年の講演では「辺野古に来て、聖書の読み方が変わった。イエスはこの辺野古の現場にいる」と述べ、現場で信仰を再発見する経験を語っている
平和教育への取り組みと草の根平和貢献賞
金井さんは操船だけでなく、平和教育にも力を注いでいた。沖縄キリスト教学院の内間清晴教授が代表を務めるプログラム「沖縄・長崎・広島から平和を考える学び合い」では、コーディネーターとして全国12大学から参加する学生の指導にあたっていた。このプログラムは2019年12月26日、沖縄県庁で第1回「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」を受賞した。表彰式には玉城デニー沖縄県知事とともに、金井さんもコーディネーターとして出席している。
辺野古の抗議船には、矢臼別演習場がある北海道根室管内別海町の住民団体から贈られた鐘が備え付けられていた。出航のたびにこの鐘を鳴らし、平和への思いを新たにしていたという。
転覆事故の経緯と安全管理の課題
研修旅行と「抗議船」への乗船
同志社国際高校の生徒18人は、研修旅行の平和学習プログラムの一環として辺野古沖を訪れていた。生徒たちは「平和丸」に10人、「不屈」に8人と分かれて乗船し、辺野古沿岸部の埋め立て工事を海上から見学する予定だった。乗組員を含めた合計乗船者数は、「平和丸」が12人、「不屈」が9人の計21人で、いずれも定員の範囲内だったとされる。引率の教員は乗船していなかった。
波浪注意報下の出航と転覆
事故当時、気象庁は沖縄本島地方に波浪注意報を発表しており、日本の東海上で発達した低気圧の影響でうねりを伴い「若干高い波」が予想されていた。2隻はほぼ同じ場所で相次いで転覆したとみられ、断続的に高い波が押し寄せていた可能性が指摘されている。
共同通信の報道によると、抗議活動の関係者の一人・清水子さん(77)は「(金井さんは)穏やかで操船技術の高いベテラン船長だった」と語り、金井さんの突然の死を悼んだ。
海上運送法と安全管理規程
「不屈」「平和丸」の2隻は、いずれも海上運送法に基づく事業登録を行っていなかった。朝日新聞の報道によると、海上運送法では第三者を乗せて運航する場合には事業登録が必要で、安全管理規程を策定し出航判断の基準を定めることが義務づけられている。一方で、直近の船舶安全法に基づく船舶検査では、救命胴衣など法定の装備品に問題はなかったとされる。
第11管区海上保安本部は、当日の海況と出航判断の妥当性、乗船者の安全管理体制などについて、業務上過失致死傷の疑いも視野に捜査を進めている。
識者の見解と今後の課題
専修大学の山田健太教授は、自身も辺野古の抗議船に乗船して視察した経験を持つ。朝日新聞の取材に対し、山田教授は現地で直接確認することの重要性に触れたうえで、「市民活動としての抗議行動と、修学旅行の平和学習が同じ船で行われていた構造的な問題を検証する必要がある」との見解を示した。
今回の事故は、辺野古の海上抗議活動と平和教育のあり方に多くの問いを投げかけている。抗議活動に使用される船舶の安全管理体制、波浪注意報下での出航判断、未成年者を乗せる際のリスク管理と法的要件──これらの課題は、事故の原因究明とともに、今後広く議論されることになるだろう。
[文/構成 by さとう つづり]

























































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