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永井一正さんの息子、永井一史氏の経歴とは デザイン界を継ぐ才能の軌跡と親子の絆

永井一正さんの息子、永井一史氏の経歴とは デザイン界を継ぐ才能の軌跡と親子の絆

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アートディレクターの永井一史氏は、日本のデザイン界を築いた故・永井一正氏の長男だ。2026年の「ヒロシマ・アピールズ」ポスター制作者に選ばれ、父子二代での大役となった。ブランディングを専門とし、サントリー「伊右衛門」などを手掛ける一方、大学で教鞭を執る。2024年には父と初の二人展を開催し、その絆が注目された。

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父から子へ、平和のバトン 「ヒロシマ・アピールズ」制作者に永井一史氏

アートディレクターの永井一史氏(64)が、2026年の「ヒロシマ・アピールズ」ポスターの制作者に決まった。日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)が2026年2月27日に発表した。このポスターは核兵器廃絶と平和を世界に訴えるもので、1983年から続く。(1990年~2004年は休止し、2005年から再開された)日本のデザイン界を牽引したグラフィックデザイナーの父・永井一正氏が、2026年2月23日に96歳で亡くなった直後の発表だった。

一正氏も1987年に同ポスターを制作しており、父子二代での選出は歴史的な継承となった。一史氏はJAGDAを通じ、「30作目という節目に、歴代のデザイナーたちが繋いできたバトンを引き継ぎ、改めて、今の時代にデザインができることは何かを考えたい」とコメントを出した。ポスターは2026年7月に公開される。

ブランディングの専門家として歩んだ道

永井一史氏は1961年、東京都に生まれた。父は戦後日本のグラフィックデザインの礎を築いた永井一正氏。しかし、一史氏がデザインの道を意識し始めたのは高校3年の時で、デザイナーの中では遅い方だったと本人が語る。

1985年に多摩美術大学美術学部デザイン学科を卒業し、株式会社博報堂に入社した。アートディレクターとして経験を積んだ後、2003年にデザインによるブランディングを専門とする株式会社HAKUHODO DESIGNを設立し、代表取締役社長に就任した。

彼の仕事は企業や商品の本質を捉え、社会との関係性を構築する「ブランディング」が中心だ。代表作には、緑茶飲料の市場を変えたサントリー「伊右衛門」のコミュニケーションデザインがある。また、外見からは分かりにくい援助や配慮を必要とする人々が周囲に知らせる東京都「ヘルプマーク」のグラフィックデザインも手掛けた。このマークは社会に広く浸透し、彼の仕事が社会課題の解決にも向いていることを示す。

墨田区の職人たちと立ち上げたブランド「IKIJI」や、東京ブランド「TokyoTokyo」の監修など、その活動は多岐にわたる。これらの実績で、クリエイター・オブ・ザ・イヤーやADC賞グランプリなど、国内外で数多くの賞を受けた。

父のライフワーク「LIFE」と向き合った初の親子展

一史氏と父・一正氏の関係を語る上で、2024年4月から5月にかけて開催された二人展「LIFEとlife」は欠かせない。同じデザインの分野で活動しながらも、これまで親子での展覧会はなかった。その背景には、一史氏の心に長年残っていた一つの記憶があった。

博報堂に入社して7、8年目の頃、デザイナーの田中一光氏から親子展の企画を打診されたことがあった。しかし、当時の自分には実績もないとして、その話を断ったという。「その時のことが僕の気持ちの中にずっと残っていて」。一史氏は後年のインタビューでそう語った。時を経て、父のライフワークである「LIFE」シリーズを自分ならどう表現するか、という思いから企画が実現した。

父・一正氏の「LIFE」シリーズは、1986年から約40年にわたり続く、手描きの動植物をモチーフとした作品群だ。幼少期に体が弱かった自身を鼓舞する思いと、生命の不思議さへの探求が込められている。一方、息子・一史氏は、父の「LIFE」を再解釈し、小文字の「life」と題した作品を制作。動物の形の一部を抽出し、無機的な構成で生命性を表現した。そこには、AIやロボット技術と人間が共存する現代の生命観が映る。

ブランディングの仕事にやりがいを感じる一史氏に対し、父・一正氏は「少ない人にでも深くささるような、自分の表現をつくることが大事である」と言い続けてきたという。この親子展は、異なる道を歩んできた父と子が、デザインという共通言語を通じて対話し、互いの本質をあぶり出す場となった。

デザインの領域を広げ、次代を育てる

永井一史氏の活動は、商業デザインの枠を越えて広がる。2014年からは母校である多摩美術大学で、新設された「統合デザイン学科」の教授を務める。この学科は、グラフィックやプロダクトといった従来の専門領域を横断し、社会の複雑な課題をデザインの力で解決する人材の育成を目指す。

彼自身、教育者を目指していたわけではなく、美大を目指したのも高校3年からと遅かったため、教員になることに悩みがあったと明かす。しかし、領域を横断する新しい教育のあり方に面白さを感じ、引き受けることを決断した。

学生とはLINEなどで直接やりとりし、同じ目線でコミュニケーションを取ることを意識しているという。「教育のデザイン」そのものに、新しい挑戦として取り組む姿勢がうかがえる。

2018年には経済産業省・特許庁の「産業競争力とデザインを考える研究会」委員に就任し、「デザイン経営」の普及にも尽力した。これは、デザインを企業経営の中核に据え、ブランド価値と競争力を高める考え方だ。彼の活動は、デザインの役割を社会や経済、教育へと広げ、その価値を問い直し続ける。父から受け継いだ創造性のDNAは、形を変えながらも、確かに次代へと繋がる。

[文/構成 by さとう つづり]

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