平野レミの家系図が豪華すぎる…上野樹里・和田明日香も家族の”華麗なる一族”のエピソードを紐解く

2026年2月5日、長寿トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、料理愛好家の平野レミ(78)が、長男でロックバンド「TRICERATOPS」のボーカル・和田唱(50)とともに出演した。
意外にも、これが親子としてのテレビ初共演。平野は自身のX(旧Twitter)で「だって唱に言っちゃダメだと言われ続けて数十年、ようやくお許しがでましたぁ笑」と、長年、公の場で親子関係を大々的に語ることを控えてきた背景をユーモアたっぷりに明かした。
番組では、司会の黒柳徹子が旧知の仲である故・和田誠さんとの思い出を交えながら、生まれた頃から知る唱の成長に目を細めた。
奇しくも平野は、番組が始まった1976年に父・平野威馬雄さんと親子共演を果たしており、約半世紀の時を経て、今度は息子との出演という感慨深い節目となった。
この放送を機に、改めて平野レミを取り巻く「華麗なる一族」に注目が集まっている。
そのルーツは明治時代に来日したアメリカ人の祖父にまで遡り、文学、芸術、音楽、そして料理と、各界で活躍する才能豊かなメンバーが名を連ねる。
本記事では、この驚くべき家系を紐解き、世代を超えて受け継がれる創造性と家族の絆の物語を追う。
華麗なる平野レミ一族。世代を超えて受け継がれる才能と愛情
平野レミを語る上で欠かせないのが、そのユニークで国際的な家族背景だ。
祖父は日米の架け橋となり、父は文学の世界で名を馳せた。そして自身が築いた家庭もまた、夫、息子、そして息子たちの妻に至るまで、クリエイティブな才能が集結する。
その関係性を可視化すると、まさに「華麗なる一族」という言葉がふさわしいことがわかる。
関係性が一目でわかる「平野・和田家」の家系図

国境と時代を超えたルーツ 祖父ヘンリー・パイク・ブイの足跡
平野レミの物語の源流は、祖父であるヘンリー・パイク・ブイ(Henry Pike Bowie)に遡る。彼はアメリカ・カリフォルニア州の弁護士だったが、妻との死別を機に来日。
日本の美術、特に書画に深く魅了された。単なる収集家にとどまらず、日本画の技法を紹介する本を英語とフランス語で出版するなど、日本文化の伝道師としての側面も持っていた。
彼の功績は文化交流だけに留まらない。当時、米国西海岸で高まっていた排日運動の最中、日系移民の権利擁護に努め、1905年にはサンフランシスコ日米協会(The Japan Society of San Francisco)を設立し、初代会長に就任。1909年には、実業家の渋沢栄一が率いる渡米実業団を自邸に招いたことも記録されている。
まさに、日米親善に尽力した米国人日本美術愛好家であった。日本で妻・駒と結ばれ、レミの父となる威馬雄が誕生。ブイは遺言で資産の半分を日本の家族に残すなど、遠く離れても家族への深い愛情を持ち続けたと伝えられる。
父・平野威馬雄から受け継いだもの
父・平野威馬雄は、フランス文学者、詩人として知られる。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた彼は、「あいの子」と呼ばれ、幼少期に偏見や差別に苦しんだ経験を持つ。
その経験から、戦後、同じような境遇の混血児を支援するための団体「レミの会」を立ち上げた。この会の名前は、父ヘンリーが威馬雄を呼んだ愛称「レミ」に由来する。
これは、逆境に負けず明るく生きる小説『家なき子』の主人公の名であり、息子が直面するであろう困難を乗り越えてほしいという父の願いが込められていた。
威馬雄はその名を愛娘に授け、同じ願いを託した。そして、娘が自らの道を見つけることを何よりも応援した。
レミが高校を辞めたいと打ち明けた時も、「いいよ、やめろやめろ。好きなことを徹底してやれ」と励まし、その後の人生を力強く後押ししたという。
この自由で愛情深い精神は、平野レミというキャラクターの根幹を形成している。
平野レミと和田誠、出会って10日の電撃婚と夫婦の絆
平野レミの人生を語る上で、2019年に亡くなった夫・和田誠さんの存在はあまりにも大きい。
イラストレーター、映画監督、エッセイストとしてマルチな才能を発揮した和田さんは、テレビで歌うレミを見て一目惚れ。共通の知人であった久米宏に紹介を頼むも断られ、別のルートでようやく対面を果たした。
そして1972年、二人は出会ってからわずか10日で結婚するという電撃的なスタートを切る。
結婚生活は、レミの自由奔放なキャラクターを和田さんが温かく包み込むような、愛情に満ちたものだった。「和田さんが機嫌が悪くなったり、私が叱られたことは一度もない」とレミは語る。
高級ワインのロマネ・コンティを大工へのお土産に渡してしまった時も、和田さんは怒るどころか「大工さんは幸せでレミも幸せ。俺だけが不幸」と笑って済ませたという逸話は、二人の関係性を象徴している。
和田さんは、レミの料理を誰よりも愛し、「おかあさんの料理の方が美味しいよ」と常に最高の賛辞を贈る最高のファンであり続けた。
次世代へ受け継がれる「和田家の味」と絆
平野レミと和田誠が築いた家庭の温かさと創造性は、二人の息子たち、そして彼らが築いた新しい家族へと確かに受け継がれている。
「キッチンから幸せ発信」を掲げるレミの哲学は、食卓を通じて次世代の心にも深く刻み込まれている。
長男・和田唱と上野樹里夫妻「半分、和田さんがいる」
長男の和田唱は、人気ロックバンド「TRICERATOPS」のボーカル兼ギターとして、日本の音楽シーンで確固たる地位を築いている。デビュー当初、彼は「有名人の子供」というレッテルを嫌い、両親の存在を伏せて活動していた。
母レミとのテレビ共演を「言っちゃダメ」としてきたのも、自らの力で道を切り拓きたいという強い意志の表れだったのだろう。内気な少年だった彼を変えたのはギターとの出会いであり、音楽への情熱が彼をプロの道へと導いた。
2016年、唱は女優の上野樹里と結婚。上野は元々TRICERATOPSのファンを公言しており、音楽が二人を結びつけた。姑となったレミと上野の関係は極めて良好で、そのせっかちでパワフルな性格が「そっくり」だと次男の妻・明日香は語る。
夫・誠さんを亡くし失意の中にいたレミが「思い出はつかめないから嫌だ」とこぼした際、上野は「唱さんと手を握って!ほら、つかむものがあるでしょ?」と促した。
レミは息子の大きな手に触れた時、「この手の半分に和田さんが入っているんだ」と感じ、心のつかえが取れたという。家族の絆が深い悲しみを癒した感動的なエピソードである。
次男・和田率と和田明日香夫妻 料理で繋がる新たな才能
次男の和田率は、母レミの公式サイト「remy」の運営に携わるなど、クリエイティブな分野で活躍している。その妻である和田明日香は、今や料理家、食育インストラクターとしてテレビや雑誌で引っ張りだこの存在だ。
しかし驚くべきことに、結婚当初は「キャベツとレタスの違いもわからない」ほど料理が苦手だったという。
そんな彼女を変えたのが、義母であるレミの存在だった。レミの料理を食べるうちに食への興味が芽生え、自ら研鑽を重ねてプロの料理家へと成長した。レミは明日香に手取り足取り教えることはせず、彼女の自主性を見守った。
今では二人はテレビ番組で共演し、嫁姑というよりは「料理仲間」として軽快なトークを繰り広げている。レミの「ベロシップ(味覚を通じた関係性)」という考えは、明日香を通じて3人の孫たちにもしっかりと受け継がれているようだ。
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キッチンから世界へ、愛と創造性の連鎖
平野レミの家系図は、単に著名人が並んでいるだけではない。そこには、国境を越えた国際性、逆境に屈しない精神力、芸術や音楽への情熱、そして何よりも「食」を中心とした家族への深い愛情という、一貫したテーマが流れている。
祖父ヘンリーが日米の架け橋となり、父・威馬雄が差別に苦しむ人々を支え、夫・誠がレミの才能を温かく見守り、そしてレミ自身が「キッチンから平和を」と料理を通じて愛を発信する。
そのバトンは今、和田唱と上野樹里、和田率と和田明日香という次世代のカップル、そして孫たちへと確かに手渡されている。
これからも和田家は、その創造性と愛情で、多くの人々に元気とインスピレーションを与え続けていくだろう。
[文/構成 by さとう つづり]
















































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