落合信彦さん84歳で死去 息子・落合陽一氏が報告「老衰のため永眠」 諜報分野の鋭い分析で知られる国際ジャーナリストの経歴を振り返る

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国際ジャーナリストで作家の落合信彦氏が2026年2月1日、老衰のため84歳で死去した。息子でメディアアーティストの落合陽一氏がSNSで報告。諜報分野の鋭い分析で知られ、著書累計は2000万部超。1980年代にはアサヒ「スーパードライ」のCMで一世を風靡し、時代の象徴的存在でもあった。
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国際ジャーナリスト落合信彦氏が死去、84歳 息子・陽一氏がSNSで報告
国際ジャーナリストで作家の落合信彦(おちあい・のぶひこ)氏が、2026年2月1日午前8時8分、老衰のため死去した。84歳だった。同日、小学館広報室が文書で発表し、長男でメディアアーティストの落合陽一氏(38)も自身のX(旧Twitter)で報告した。
陽一氏はXに「父で、国際ジャーナリスト・作家の落合信彦(おちあい・のぶひこ)が、2026年2月1日 午前8時8分、老衰のため永眠いたしました(享年84)。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます」と投稿。あわせて小学館広報室による発表文書を掲載した。
小学館の発表によると、通夜および葬儀・告別式は故人の遺志と遺族の意向により近親者のみで執り行う。後日、お別れの会を開く予定で、詳細は決まり次第改めて知らせるという。
渡米、石油ビジネス、そして作家へ 波乱に満ちた半生
落合氏は1942年1月8日、東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれた。東京都立両国高等学校の定時制を卒業後、1961年に単身渡米。ペンシルベニア州のオルブライト大学で学び、1965年に卒業した。その後、テンプル大学大学院で国際政治学を専攻する。
大学院を中退した後は石油ビジネスの世界に身を投じ、エクアドルで油田を掘り当てるなど成功を収めた。しかし、作家活動に専念するため1973年に日本へ帰国。異色の経歴を持つジャーナリストとしての道を歩み始める。
1977年に『週刊文春』で「二〇三九年の真実」の連載を開始。これが大きな反響を呼び、以後、国際政治や諜報の世界をテーマにしたノンフィクションや小説を数多く発表する人気作家となった。
諜報、ケネディ暗殺、若者への警鐘 2000万部超の骨太な言論
落合氏の著作は、CIA(米中央情報局)やモサド(イスラエル諜報特務庁)といった諜報機関への独自取材に基づくとされる、鋭い分析が特徴だ。特に、ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺事件の真相に迫った『二〇三九年の真実』(1977年)や『ケネディからの伝言』(1993年)は、氏の代表作として知られる。
また、1988年に出版された『狼たちへの伝言』は、当時の若者たちに「個の自立」と国際感覚の重要性を説き、熱狂的な支持を集めた。小学館によると、その活動は執筆にとどまらず、講演やメディア出演など多岐にわたり、著書の累計発行部数は2,000万部を超える。その骨太な言論は、多くの読者に勇気と影響を与えた。
「辛口」ビールの顔として一世風靡 スーパードライCMの衝撃
執筆活動と並行し、落合氏の名を世に知らしめたのが、1987年に発売されたアサヒビール「スーパードライ」の初代イメージキャラクターへの起用である。国際ジャーナリストという肩書で、ヘリコプターからビルに降り立つといった演出のCMは、大きなインパクトを与えた。
「飲むほどにドライ、辛口・生。」というキャッチコピーと共に、落合氏の持つ知的でタフなイメージは、商品の大ヒットに貢献。バブル景気という時代背景も相まって、氏は一躍「時代の顔」の一人となった。この成功は、その後のビール業界における「ドライ戦争」の火付け役ともなったのだ。
息子・陽一氏との共著も 葬儀は近親者のみ、後日お別れの会
私生活では、メディアアーティストとして世界的に活躍する落合陽一氏の父としても知られる。陽一氏は、筑波大学准教授や自身が設立した会社の代表取締役など、複数の顔を持つ「現代の魔法使い」の異名を取る人物だ。
2022年には、初の親子共著となる『予言された世界』(小学館)を出版。信彦氏が国際情勢の視点から、陽一氏がデジタル社会の視点から未来を論じ、大きな話題を呼んだ。世代を超えて知のバトンが渡された形だ。
小学館の発表文には、故人への感謝と共に「世界を舞台に挑戦し続けるその姿勢と骨太な言論は、当時の若者をはじめとする数多くの読者に勇気と多大なる影響を与えました」とその功績が記されている。一つの時代を築いたジャーナリストが、静かにその生涯の幕を下ろした。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]


















































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