末吉良丞の父・良次さんと母・伊織さんが語る素顔「強気なのは野球の時だけですよ」 野球未経験の両親が育てた甲子園V左腕

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沖縄尚学の左腕、末吉良丞(すえよし・りょうすけ)。2025年夏の甲子園で2年生エースとして全国制覇の原動力となり、10月22日のドラフト会議を前に上位候補として報じられている。マウンドでは強気な投球が持ち味だが、父・良次さんと母・伊織さんは毎日新聞の取材に「強気なのは野球の時だけですよ」と口をそろえた。野球経験のない両親のもとで、少年はどう育ったのか。
末吉良丞のプロフィール|読み方・出身・最速は?
名前の読み方は「すえよし・りょうすけ」。沖縄県浦添市の出身で、県内の沖縄尚学高校に進んだ左投げの投手だ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 末吉良丞(すえよし・りょうすけ) |
| 出身 | 沖縄県浦添市 |
| 所属 | 沖縄尚学高校3年 |
| 投打 | 左投げ左打ち |
| 最速 | 150キロ |
| 主な実績 | 2025年夏の甲子園優勝、U-18日本代表に2年連続で選出 |
武器は最速150キロの直球と、曲がり幅の大きいスライダーだ。2025年夏の甲子園では、ピンチでも動じずに強気で打者へ向かっていく投球ぶりから「大会屈指の好投手」と報じられた。打撃でも期待され、2026年夏の沖縄大会では指名打者として出場を重ねた。
父・良次さんと母・伊織さん|両親が口をそろえた「強気なのは野球の時だけ」
その強気な左腕について、両親の見方は一致していた。毎日新聞(2025年8月)は、夏の甲子園でチーム初の4強入りを引っ張っていた末吉の両親を取材している。記事によると、2人は口をそろえてこう話した。
「強気なのは野球の時だけですよ」
大会屈指の好投手を紹介する記事は、両親のこの一言を冒頭に置いている。息子を一番近くで見てきた2人ならではの言葉だ。
野球との出会いは小学2年、学童野球の体験に「勝手に」参加
毎日新聞によると、末吉が野球を始めたのは小学2年の頃だった。きっかけについて、母・伊織さんはこう明かしている。
「小学校のグラウンドで学童野球をやっているのを見て、楽しそうだなと思ったらしく、勝手に体験に参加していました」
親に勧められたのではなく、自分から輪に入っていったことになる。朝日新聞(2026年8月)も、小学校低学年のときに自宅近くのチームの練習を見たことが野球との出会いだったと伝えている。
母・伊織さんとのキャッチボールは小学3年で「お役ご免」
家で練習相手を務めたのは伊織さんだった。朝日新聞によると、末吉は当時から球が速く、小学3年になると、受ける伊織さんの手が悲鳴を上げるようになった。
ある日、末吉は母にこう告げたという。
「お母さんだと思いっきり投げられないから、もうキャッチボールしなくていいよ」
こうして伊織さんは、キャッチボールの相手から「お役ご免」となった。小学3年にして、母が受けきれないほどの球を投げていたのだ。
野球経験のない両親、技術は教えられなかった
球は速い。だが、コントロールは定まらなかった。朝日新聞は、両親とも野球の経験がなく、技術的なアドバイスはできなかったと伝えている。父・良次さんも毎日新聞の取材に「自分は野球はやっていなかった」と話した。
技術を教えられない両親のもとで、息子は自分で選んだ野球を続けていく。その少年が、のちに沖縄へ深紅の優勝旗を持ち帰ることになる。
2年夏に甲子園優勝 2年生で唯一のU-18代表に
2025年夏の第107回全国高校野球選手権で、2年生エースの末吉は全6試合に登板した。準決勝では山梨学院に先発し、6回途中4失点(自責点1)で同学年の新垣有絃につなぎ、チームは5-4で逆転勝ちを収めた。
8月23日の決勝は日大三が相手だった。先発の新垣が8回途中まで1失点で投げ、末吉が後を継ぐ。最後の打者を併殺打に打ち取り、3-1で沖縄尚学の夏の甲子園初優勝が決まった。沖縄県勢の夏の優勝は、2010年の興南以来15年ぶり。末吉は、沖縄に深紅の優勝旗をもたらした立役者の一人となった。
甲子園のあと、9月に沖縄で開かれたU-18ワールドカップの日本代表にも選ばれた。メンバーの中で2年生は末吉ただ一人。地元開催の国際大会で日本は決勝まで勝ち進み、準優勝となった。
末吉良丞の怪我|左肘の不調で背番号10から再出発した最後の夏
3年生になった2026年、末吉は春の選抜大会にも出場した。ところが4月ごろから左肘の状態が思わしくなく、投球を止めて回復を待つ日々が続く。比嘉公也監督は「4月以降、ちょっと肘のコンディション不良が続いた」と説明している。
最後の夏の沖縄大会で、エース番号の1は投げ続けてきた新垣に渡り、末吉は背番号10でベンチ入りした。序盤は指名打者として打線に加わる。マウンドに戻ったのは7月18日の準決勝で、選抜大会以来121日ぶりの登板だった。
2日後の7月20日、エナジックスポーツとの決勝。2点リードの九回1死から末吉の名前がコールされると、スタンドから「おおー!」と歓声が上がった。最初の打者への投球で球場のスピードガンは147キロを計測し、最後の打者を空振り三振に打ち取った。沖縄尚学は4-3で逃げ切り、2年連続の夏の甲子園出場を決めている。
連覇をかけた甲子園では背番号1に戻り、1回戦で横浜と対戦した。先発した末吉は3回6安打3失点で降板し、チームは2-7で敗戦。前年の優勝校が初戦で姿を消した。
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両親と話し合って決めたプロ志望 ドラフト評価と進路
横浜に敗れた直後、末吉は進路を「未定」としていた。報道によると、沖縄に戻ってから両親と話し合い、卒業後の進路をプロに絞ったという。本人は理由をこう語っている。
「大学を経由したからって、指名されるかは確実ではないんで。このタイミングを逃したら、いつ掛かるか分からない。今このタイミングがベストだと思いました」
8月22日には、9月に台湾・台北で開かれたU18アジア選手権の日本代表にも選ばれ、前年のワールドカップに続いて2年連続のU-18日本代表となった。沖縄尚学からの選出は末吉一人だった。プロ野球志望届も、この時期に提出している。
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2026年のドラフト会議は10月22日(木)に開かれる。故障明けの今年は本来の状態に戻りきっていないとの見方もあるが、甲子園優勝の実績と最速150キロの左腕という素材から、上位候補として報じられている。
小学2年で自分から学童野球の輪に入り、小学3年で母とのキャッチボールを卒業した少年。技術を教えられなかった両親が見守ってきたのは、野球の時だけ強気になる左腕だった。プロへの道を決めるときも、末吉は沖縄に戻り、両親と向き合っている。
[文/構成 by さとう つづり]













































































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