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菰田陽生を育てた家族の素顔 元高校球児で看護師の父、元バレー部の母、上武大の兄が支えた”194cm二刀流”の原点

菰田陽生を育てた家族の素顔 元高校球児で看護師の父、元バレー部の母、上武大の兄が支えた”194cm二刀流”の原点

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン

10月22日のプロ野球ドラフト会議で1位候補に名前が挙がる山梨学院高校の菰田陽生(こもだ・はるき)は、千葉県御宿町で育った。父の英典さんは愛知・星城高校で野球をした元高校球児で、看護師として働く。母の理恵さんは高校時代にバレーボールの強豪校でプレーし、兄の朝陽さんは上武大学で野球を続ける。投球練習ができる自宅の庭、早朝の送迎、そして本人が「初めて自分で決めた」という進路まで、家族の歩みをたどる。

菰田陽生のプロフィール|読み方・出身・身長は?

名前の読みは「こもだ・はるき」。山梨学院高校の3年生で、主将を務めた右投げ右打ちの二刀流だ。投げては最速152キロ、打っては高校通算39本塁打を記録している。

項目内容
名前菰田陽生(こもだ・はるき)
出身千葉県御宿町
所属山梨学院高校3年(主将)
投打右投げ右打ち
身長194cm(195cmと伝える報道もある)
最速152キロ
高校通算本塁打39本
球歴御宿少年野球クラブ→九十九里リトルリーグ→千葉西リトルシニア→山梨学院高校

身長はデイリースポーツが194cm、日刊スポーツやドラフト会議ホームページは195cmと伝えており、媒体によって1cmの差がある。2年生だった2025年夏の時点では、Full-Countが194cm・100kgと報じていた。

菰田陽生の家族構成|父・母・兄はどんな人?

報道で紹介されてきた家族は、父の英典さん、母の理恵さん、兄の朝陽さんだ。3人とも、本人が野球を続けるうえで欠かせない役割を担ってきた。

続柄名前報道で伝えられた経歴
父英典さん愛知・星城高校の元野球部(投手・外野手・一塁手)。看護師。身長175cm
母理恵さん高校時代にバレーボールの強豪校でプレー。介護福祉士。身長167cm
兄朝陽さん拓大紅陵高校から上武大学へ進み、野球を続ける(2026年10月時点で3年)

父・英典さんは看護師で元高校球児

英典さんは愛知県の星城高校で、投手、外野手、一塁手としてプレーした。高校を卒業したあと、趣味のサーフィンを楽しむために千葉県御宿町へ移り住み、そこで看護師の職に就いたという。外房の海に面した御宿町は、サーフィンの盛んな町として知られる。

息子たちが野球を始めると、英典さんの週末は送迎が中心になった。兄弟が相次いで千葉西リトルシニアに所属すると、毎週末の朝5時前に軽バンで御宿を出て、千葉県佐倉市の練習場まで送り届け、練習の間は自分も仮眠を取った。土日の送迎に備えて職場まで替えたと、2025年8月のFull-Countは伝えている。

自宅には、投手板から本塁までと同じ18.44メートルの距離が取れる庭も作った。ピッチング練習ができるように、という理由だった。打撃も英典さんが日頃から教えてきた。本人はFull-Countの取材にこう語っている。

「お父さんには普段からバッティングを教えてもらっているので、打つことで感謝の気持ちを伝えたいです」

母・理恵さんは元バレーボール部の介護福祉士

母の理恵さんも競技経験者だ。高校時代はバレーボールの強豪校でプレーし、介護福祉士として働いている。

スポーツナビに掲載された大利実さんのコラムによると、理恵さんは息子がいきなりメジャーに行ってもうまくいかないと考えていた。普段から「謙虚にやりなさい」「調子に乗ったらダメだよ」と声をかけることが多く、本人もその言葉が良かったと受け止めている。

デイリースポーツの取材で、菰田は自分の性格を「謙虚」と答えた。194cmの体で力強いプレーを見せる選手が挙げたのは、母の言葉と重なる一語だった。

兄・朝陽さんも野球選手(拓大紅陵高→上武大)

菰田が野球を始めたのは、兄の朝陽さんの影響だった。朝陽さんは拓大紅陵高校から上武大学へ進み、2026年10月時点で3年生として野球を続ける。

地元の少年野球も、中学時代のシニアも、菰田は兄の後を追う形で入った。

両親の身長は?父は息子を「突然変異」と表現

ネット検索で多く調べられているのが、両親の身長だ。Full-Countによると、父の英典さんは175cm、母の理恵さんは167cm。194cmの息子とは、父と約20cm、母とは27cmの差がある。

「陽生は“突然変異”です。生まれた時から手足が長くて“投手向き”だなと思っていました」

英典さんはFull-Countの取材にそう明かした。小学校を卒業する頃には180cm近くまで伸び、2年生の夏には194cm・100kgに達していた。体のバランスが崩れないよう、小・中学生の間はラダー(はしご状の器具)を使った体幹トレーニングを続けさせたという。

菰田陽生の幼少期|小学1年で御宿少年野球クラブ、4年の夏に九十九里リトルリーグへ

小学1年生のとき、兄に続いて地元の御宿少年野球クラブに入った。4年生の夏には同クラブを離れ、硬式球を使う九十九里リトルリーグへ移っている。スポーツナビのコラムで、本人は移籍のきっかけを「お父さんの勧めです」と語った。

最初は知らない人ばかりで不安だったが、早くから硬式球に慣れることができたと振り返る。週末は兄弟そろって5時に起き、5時半に家を出た。父がまず兄を千葉西リトルシニアへ送り、そのあと九十九里へ向かったためだ。大変だったのは朝早く起きることだけだったといい、「もうちょっと寝たかったです」と本音ものぞかせた。

プロ野球との出会いも父と一緒だった。小学生の頃、英典さんと千葉マリンスタジアムでロッテの試合を観戦した日、選手が投げ入れたボールを取ろうと三塁側から一塁側へ走り、見事にキャッチしたエピソードもスポーツナビで紹介されている。

中学は千葉西リトルシニア、週末は朝5時前に出発

中学1年の夏にリトルリーグを卒団すると、兄が在籍していた千葉西リトルシニアに進んだ。御宿町から練習場までは車で1時間以上かかり、週末は父の運転で朝5時前に家を出た。

進む先は、親が決めていた。本人の言葉は率直だ。

「正直、中学までは親の言う通りにやっていました。初めて、自分でちゃんと決めたのは高校進学です。そこが結構大きかったと思います」

菰田陽生はなぜ山梨学院へ?「初めて自分で決めた」進路

転機は中学2年の12月ごろに訪れる。山梨学院の吉田洸二監督が千葉西リトルシニアを訪れた。当時の菰田はすでに身長190cmを超え、130キロ近い球を投げていた。

吉田監督の第一印象は「大きいのに動けて、バランスがいい」「コントロールがいい」。磨けば光る原石と映ったという。

翌年1月、菰田は両親と一緒に山梨学院の練習を見学した。充実した施設、練習の雰囲気、吉田監督と吉田健人部長の指導法、そして先輩たちの姿を見て、心が決まる。

「この学校なら絶対に成長できる、プロ野球選手になれると思いました」

帰りの車の中で、菰田は両親に山梨学院でやりたいと伝えた。中学まで親の決めた道を歩いてきた少年が、自分の口で行き先を告げた瞬間だった。スポーツナビは、吉田監督が交わした約束も伝えている。「高校3年間で完成させるようなことはしない。次のステージにいい形で送ることを約束します」。

入学後の道は平坦ではなかった。入寮時の体重は108キロで、1年の春はほとんど練習に加われず、まず体重を落とすところから始めた。それでも1年秋から公式戦に出場し、2年春、2年夏、3年春と甲子園の土を踏む。

菰田陽生の怪我|センバツで左手首を骨折

最後の春に、思わぬ試練が待っていた。2026年3月22日、センバツ(選抜高校野球大会)の1回戦・長崎日大戦。2番・一塁手で先発した菰田は、5回裏の守備で逸れた送球に飛びつき、打者走者と交錯した。6回の守備から交代し、試合後に西宮市内の病院で「左手首付近の骨折」と診断された。

本人はデイリースポーツの取材に「今までにない痛み」と明かしている。菰田はこの大会を途中で離れ、その後手術を受けた。

復帰は夏の山梨大会初戦。7月6日の韮崎戦に「3番・DH」で先発し、3回に左中間へ2ランを放った。高校通算39号で、チームは13-0の5回コールドで勝った。けがの期間に積んだトレーニングで打球の質が変わったと語り、「ケガをして良かったところもあるのかな」と前を向いた。

ただ、甲子園には届かなかった。7月20日の準決勝で帝京三に敗れ、高校最後の夏が終わった。

菰田陽生のドラフト評価は?実家で1週間ほど考えて決めたプロ志望

敗戦のあと、菰田はすぐに進路を口にしなかった。7月29日まで御宿町の実家に戻り、家族とも進路について話し合ったとみられる。ドラフト会議ホームページによると、31日に練習を再開すると「プロ志望届を出したいと思います」と明言し、実家に戻って1週間ほどで決めたと語った。

目指すのは日本のプロ野球だけだ。米大リーグのスカウトも関心を示したが、本人は「小さい頃から日本のプロ野球で活躍することに憧れがあった」と話している。母の理恵さんがいきなりのメジャー挑戦に慎重だったように、父の英典さんも日本のプロ野球を目指す考えだった。

二刀流への思いを強くしたのは、もう一つの悔しさだった。8月22日に発表されたU-18日本代表に選ばれず、代表で活躍する同世代を見て、プロでも投打両方で勝負したいと決めた。10月9日の日刊スポーツは、その意向を約1カ月前に吉田監督へ伝えたと報じている。目標は大谷翔平だ。スポーツナビのコラムで、本人はこう振り返っている。

「選ばれなかったことが、本当に悔しくて。U-18でほかの選手が活躍しているのを見て、プロでも二刀流に挑戦したいと思うようになりました」

スポーツナビのコラムによると、12球団から調査書が届き、約9球団と面談した。どの球団にも二刀流での希望を伝えたという。吉田監督は「ピッチャーとしてもドラフト1位、野手としてもドラフト1位の可能性を持った選手です」と評価し、デイリースポーツも菰田を1位候補の一人として紹介した。

高校時代の練習量は野手8に対して投手2。プロでは5対5か6対4に近づけ、5年ほどかけて二刀流で戦える体を作りたいと話している。「すぐに一軍で活躍できるとは思っていません。地道な努力が絶対に必要」。その言葉に、母が繰り返してきた「謙虚に」が重なる。

2026年のプロ野球ドラフト会議は、10月22日(木)16時50分から東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪 国際館パミールで開かれる。

Full-Countの取材で、英典さんは「将来プロになって、それを見に行けたら嬉しいですね」と語っていた。デイリースポーツの取材で、正月に家族と過ごした時間を「おばあちゃん、おじいちゃんと過ごしたのが一番楽しかった」と話した高校3年生は、御宿町の庭で始まった挑戦の次の一歩を待っている。

[文/構成 by さとう つづり]

寄稿者

さとう つづり
つづり|ライター・編集者 2018年より個人ブログの運営を開始。アフィリエイトライターとして活動後、Webメディアの運営、記事入稿、編集業務に携わる。7年にわたり「読まれる記事」を追求してきた経験を活かし、現在は日常での気になるニュースに対してコラムを執筆中。トレンドから日常の機微まで、幅広いテーマを独自の視点で言語化します。

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