神沢利子さん死去、102歳 代表作『くまの子ウーフ』は教科書にも掲載・100刷超のロングセラー

時間がない人向けの30秒で理解ゾーン
『くまの子ウーフ』などで知られる児童文学作家の神沢利子さんが、2026年10月11日に老衰のため東京都三鷹市内で亡くなった。102歳だった。出版元のポプラ社が10月15日に公表した。300冊を超える作品を残し、ウーフの物語は小学校の教科書でも長く読まれてきた。
↓ 詳細が気になる方は、このまま下へ ↓
10月11日に老衰で死去、ポプラ社が公表
ポプラ社は10月15日、公式サイトと公式Xで神沢利子さんの逝去を知らせた。発表によると、神沢さんは10月11日、老衰のため三鷹市内で亡くなった。享年102歳。本名は古河トシ(ふるかわ・とし)。
葬儀は本人と遺族の意向により、近親者のみで済ませた。後日、あらためて「お別れの会」を開く予定で、日程は発表されていない。
ポプラ社は発表の中で、神沢さんが300冊を超える作品を世に送り出し、長年にわたって日本の児童文学界を引っ張ってきたと紹介した。代表作として『くまの子ウーフ』『ふらいぱんじいさん』『ちびっこカムのぼうけん』『流れのほとり』『鹿よ おれの兄弟よ』の5作を挙げ、功績への感謝と哀悼の意を表している。
神沢さんは1924年1月29日生まれ。誕生日を迎えた2026年1月に102歳となり、その年の10月に亡くなった。
福岡に生まれ、北海道と樺太で過ごした幼少期
神沢さんは福岡県の出身で、幼い頃を北海道と樺太(現在のロシア・サハリン)で過ごした。文化学院の文学部を卒業後、詩、童謡、絵本、童話、長編と、ジャンルを問わず書き続ける。
1961年には『ちびっこカムのぼうけん』を刊行。その8年後の1969年、井上洋介の絵で『くまの子ウーフ』を世に出した。くまの子ウーフが身の回りのことに次々と「どうして?」と疑問を持ち、家族や友だちと過ごす中で答えを見つけていく物語だ。
ウーフのほかにも、『うさぎのモコ』『はけたよ はけたよ』など、親から子へ受け継がれてきた本は多い。自伝的長編『流れのほとり』、エッセイ集『おばあさんになるなんて』、句集『冬銀河』と、大人向けの作品も手がけた。
ポプラ社の沿革では、1969年刊行の『くまの子ウーフ』が100刷を超えるロングセラーとして紹介されている。童話集、幼年童話、絵本と形を変えながら刊行が続き、誕生50年を過ぎた2020年11月には、低学年から読める『くまの子ウーフのおはなし』と、中学年以上向けの『新装版 くまの子ウーフの童話集』という2つの新シリーズが始まった。
受賞歴も多い。『いないいないばあや』で日本児童文学者協会賞、『タランの白鳥』で産経児童出版文化賞大賞、『鹿よ おれの兄弟よ』で小学館児童出版文化賞と講談社出版文化賞絵本賞を受けた。童話選集『神沢利子コレクション』では路傍の石文学賞、『おめでとうがいっぱい』では日本童謡賞を受賞し、これまでの業績に対して巖谷小波文芸賞なども贈られている。
教科書で出会ったウーフ、作者が語っていた思い
ウーフの物語は、長く小学校の国語の教科書に掲載されてきた。ポプラ社は訃報の中でも、『くまの子ウーフの童話集』のお話が長年教科書で親しまれてきたと記している。家で絵本として読んだ人だけでなく、教室で初めてウーフに出会った人も多い。
『くまの子ウーフ』が2019年に刊行50周年を迎えるのに合わせて、神沢さんはポプラ社のインタビューに応じている。作品が世代を超えて読まれる理由を問われると、「子供は好奇心のかたまりだと思うんですよね」と答えた。ウーフがいつも「どうして」と考えているから、子どもたちも一緒になって面白がって読んでくれるのだろう、という見方だった。
ウーフの疑問は、子どもへの取材から生まれたものではなかったという。神沢さんは自分の子どものほかには子どもと付き合う機会がほとんどなかったと明かし、自身が子どもの頃から抱き続けてきた疑問を大事にしていると話した。読者からの手紙で反応が多かったお話として挙げたのは、「ウーフは おしっこでできてるか??」だった。
ウーフという名前は、誰の本だったかは忘れてしまったという翻訳本で、くまが「ウーフー」と鳴く場面を見て気に入り、そこから付けた。のんびりしたウーフと、少しお利口で兄貴分ぶる友だちのきつね・ツネタ。神沢さんはこの2匹の対比が物語を面白くしていると語っている。
同じインタビューでは、『ふらいぱんじいさん』にも話が及んだ。一本足で真っ黒、油だらけの顔で火に焼かれ、自分はごちそうを食べずに人のために料理を作る。フライパンは年を重ねた女性にとって切っても切れない相棒で、主婦としての思いも込めたと明かした。
2世代、3世代で『くまの子ウーフ』を読んでいるファンに伝えたいことを問われると、こう答えている。
「たくさんの人の心の中に、ウーフがずっと生き続けてくれているとうれしいなと思っています」
晩年も続いた創作と三鷹市との縁
神沢さんが三鷹市に住み始めたのは、『くまの子ウーフ』が出た1969年だった。三鷹市立図書館によると、神沢さんは2017年6月に図書や原稿など約700点の資料を同館へ寄贈した。2019年12月には、本館1階に「くまの子ウーフコーナー」が設けられている。
2020年1月には「みたか・子どもと絵本プロジェクト」の名誉顧問に就き、「わたしたちのひいおばあちゃん」という愛称を贈られた。2024年1月から2月にかけて三鷹市芸術文化センターで開かれた「神沢利子さんおめでとう100歳展」には、本人がサプライズで会場を訪れている。
90代を過ぎても新しい本は出続けた。2022年10月には、1968年に雑誌に載ったまま本になっていなかったウーフの話をもとにした絵本『くまの子ウーフのたからもの』が出る。作者本人も忘れていたこの作品は、三鷹市の神沢利子研究会のメンバーが2019年に見つけたもので、長く絵を担当した井上洋介に代わり、広瀬弦が絵を描いた。神沢さんは「もうすぐ99歳になる私へ贈られたたからもの」と喜びを寄せた。
2026年7月21日には、理論社から『こぶたのブウタ 新版』が発売された。1971年に刊行された童話で、神沢さん自身が50点以上の絵を描いた唯一の単行本だ。新版には、神沢さんの話を長女がまとめた新しいあとがきが加わった。
三鷹市美術ギャラリーでは9月30日から、三鷹市教育委員会の主催で『こぶたのブウタ』の原画展が開かれていた。会期は10月12日まで。神沢さんが亡くなったのは、その会期中の10月11日だった。
[文/構成 by MediaDogs編集部]













































































コメントはこちら