佐藤輝明の母校・西宮市の仁川学院高校、三冠王に辻元伸一監督「本当に取ったのかという驚き」

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阪神の佐藤輝明内野手(27)が、セ・リーグの全日程が終わった10月8日に打率.306、39本塁打、106打点で三冠王を確定させた。プロ野球では史上9人目。地元・兵庫県西宮市にある母校、仁川学院高等学校の野球部を率いる辻元伸一監督は、教え子の大記録に「本当に取ったのかという驚きはありました」と喜びを語った。
恩師の辻元伸一監督「称号を本当に取ったのか」
佐藤の母校は、阪急今津線の仁川駅と甲東園駅のあいだ、西宮市甲東園2丁目にある仁川学院高等学校だ。10月10日に報じられた取材で、野球部の辻元伸一監督が三冠王への思いを明かした。
「史上何人もいるわけじゃないので、そんな大記録、称号を本当に取ったのかという驚きはありました」。辻元監督はまず率直な実感を口にし、続けて高校時代の姿を思い出した。「入学当初はあそこまで体も大きくなかったので、入学した頃から思うとその面影はなかったと思います」。
これからの佐藤に望むことも聞かれた。「目標は本人が決めることだと思うんですけど、もう一度三冠王を取るとか、もっとチャンスで強くなるとか」と話したうえで、辻元監督は子どもたちが「野球が楽しくなる」と感じる活躍をしてほしいと、ずっと抱いてきた願いを付け加えた。
辻元監督は、佐藤を2年生の秋から指導した恩師だ。2026年7月の時点で51歳。グラウンドで汗を流す後輩たちにとっても、佐藤は身近な目標になっている。
打率.306・39本・106打点、史上9人目の三冠王
NPBが発表した10月8日時点の最終成績で、佐藤は143試合に出場して打率.306、39本塁打、106打点を記録した。3部門すべてでセ・リーグのトップに立ち、165安打で最多安打のタイトルも手に入れている。
三冠王は2022年に当時ヤクルトの村上宗隆が達成して以来、4年ぶり。史上9人目となった。阪神では1985年と86年に2年連続で達成したランディ・バース以来40年ぶりで、球団の日本人選手としては初めての記録だ。
前年の2025年はホームランと打点の二冠に輝き、セ・リーグMVPも初めて受賞した。2026年は打率でも頂点に届き、佐藤本人は「三冠王は最初は全く考えてなかったですけど、積み重ねでここまで来れたので誇りに思います」と語り、「確実に去年より成長できたと思うし、練習してきてよかった」と手応えを口にした。
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入部時は177センチ65キロ、校舎の窓ガラスを割った3年間
辻元監督が「面影はなかった」と話した入学当初の姿は、佐藤自身も認めている。2020年10月のドラフト会議で阪神から1位指名を受け、その後母校を訪ねた際の取材に、高校1年の入部時は177センチ、65キロだったと明かし、「ひょろっひょろのガキでした」と振り返った。
転機は高校2年の秋に訪れる。学校の進路相談で将来を考えたとき、プロを目指すと決めた。練習が午後8時ごろに終わると週3、4日はジムへ通い、1日5、6食をとってプロテインも欠かさなかった。体が大きくなるにつれて打球の飛距離が変わり、打撃練習では木製バットの打球で校舎の4、5階の窓ガラスを何回か割り、ロングティーで防球ネットを越えたこともあったという。
それでもチームは甲子園に届かなかった。最高成績は2年夏の兵庫大会4回戦で、3年夏は1回戦で敗れた。「最後はガチで泣きました」と振り返った佐藤は、「仁川高は第2の家。プロを目指そうと思ったのはこのグラウンドなので」と母校への思いを語っている。高校通算本塁打は20本だった。
長く仁川学院の野球部を率いた前監督の馬場弘行さんも、佐藤がMVPを受賞した2025年11月に、高校時代の姿を語っている。「どこか真剣味が感じられなかった」と評する一方、目を見張ったのは2年の冬から筋力トレーニングで培ったパワーだったという。進学先が決まっていなかった佐藤に、自身の母校でもある近畿大学を勧めたのも馬場さんだった。
近畿大学から阪神へ、母校に残る打撃マシン
佐藤は西宮市立甲陵中学校の軟式野球部から仁川学院へ進み、近畿大学では1年秋から4番に座った。関西学生野球の新リーグで通算14本塁打の最多記録を打ち立て、2020年のドラフト会議では4球団が1位で指名し、抽選で阪神が交渉権を引き当てた。子どもの頃からファンクラブに入り、甲子園球場に通った地元球団への入団となった。
近畿大学時代の恩師、田中秀昌元監督も三冠王を祝福している。「本人の努力以外の何ものでもないと思います」と話し、入団時に「子どもに夢を与える選手になりや」と声をかけて送り出したことを明かした。
母校とのつながりは今も続く。2021年に佐藤が寄贈した打撃マシンは、仁川学院の練習に欠かせない道具になっている。2026年夏の兵庫大会では、20年ぶりに第1シードとして臨み、7月10日の2回戦で三木に4対2で逆転勝ちして3年ぶりに夏の初戦を突破した。試合後、辻元監督は選手たちが佐藤を意識していると話し、選手からは「佐藤先輩の名に恥じないようにプレーしたい」との言葉が出た。チームはその後も3回戦、4回戦と勝ち進み、7月20日の5回戦で須磨学園に敗れた。
仁川学院は、カトリック・コンベンツアル聖フランシスコ修道会が1950年に西宮市で開いた幼稚園を起点とする学校法人で、中学校と高等学校は1962年に開校した。創立記念日は10月4日、アッシジの聖フランシスコの祝日だ。その記念日から4日後、卒業生が三冠王の称号を手にした。
次の舞台はCSファイナルステージ、10月14日から甲子園
阪神は球団史上初めてセ・リーグを連覇した。佐藤は打線の中心として、その優勝を支えた。
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クライマックスシリーズは10月10日に開幕した。東京ドームでのファーストステージ第1戦は、DeNAが巨人に2対1で勝っている。阪神はファーストステージを勝ち上がったチームを迎え、10月14日から本拠地の甲子園でファイナルステージを戦う。
CS開幕を前に、藤川球児監督は「ベイスターズとジャイアンツの激しい争いがあって、その勢いが甲子園にやってきます。それを跳ね返すだけの力を蓄えて、甲子園で待ちたいと思います」と意気込んだ。
高校時代は甲子園に届かなかった少年が、今は甲子園を本拠地に戦う。三冠王として迎える短期決戦で、西宮の母校のグラウンドにどんな知らせが届くのか。
[文/構成 by スポーツライター 高瀬翔吾]









































































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