宮城大弥を支えた父・享さんの人生と経歴がすごい 交通事故で左手に障がい、電気も水道も止まる生活から息子をプロ野球選手に育てた話

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オリックス・バファローズの宮城大弥投手の父、宮城享さんは、中学時代の交通事故で左手に障がいを負った。その影響で一家は極貧生活を強いられたが、家族の支えで大弥はプロ野球選手になる夢を叶えた。現在は親子で基金を設立し、同じ境遇の子どもたちを支援する。
2026年2月26日、Sportiva(集英社)が宮城大弥投手の父・享さんへの独占インタビューを公開した。本記事では、同インタビューやドラフト当日のTBS特番での発言などをもとに、宮城親子の歩みを振り返る。
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オリックス宮城大弥、壮絶な貧困を乗り越えプロへ 父・享さんが語る家族の物語
オリックス・バファローズの左腕エースとして活躍する宮城大弥投手。その輝かしいキャリアの裏には、父・享さんと家族が歩んだ壮絶な道のりがあった。享さんが中学3年の時に遭った交通事故で左手に障がいが残り、一家は沖縄県宜野湾市の6畳一間のアパートで、電気や水道が止まるほどの極貧生活を送った。 それでも野球への情熱を失わなかった大弥を家族一丸で支え、2019年のドラフト会議で「外れ外れ1位」指名を勝ち取るまでの物語は、多くの人々の心を打つ。
父を襲った不運の事故、野球推薦も断念 6畳一間で始まった家族の挑戦
父の享氏は学生時代、110mハードルで当時の沖縄県記録を持つほどの優れたスポーツ選手だった。野球でも才能を発揮し、中学3年時にはその実力が認められ、九州の高校への進学が決まっていた。しかし、その矢先に交通事故に巻き込まれ左手を負傷。「左手を思うように動かせなくなり、スポーツをするどころではなくなった」と本人が語るほどの大怪我で、野球選手の夢を断念せざるを得なくなった。
高校卒業後、映画関係の仕事に就く夢を抱いて渡米し、メイクの技術を学んだが、帰国後の現実は厳しかった。左手の障がいに対する偏見もあり、安定した職に就くことは困難だった。 大弥の幼少期、一家は宜野湾市にあるエアコンのない6畳一間のアパートで生活を送る。冷蔵庫は部屋に置けず、ベランダに出していた。 電気や水道、ガスが止まることも日常茶飯事で、月末には水を飲んで空腹をしのぐこともあったという。役場の職員が自宅を訪れ、子どもを施設に預ける選択肢を問われたことさえあった。
700円のグローブと父の言葉 逆境を力に変えた少年時代
家計が苦しい中でも、大弥は4歳で野球を始めた。しかし、野球道具を十分に買う余裕はなかった。父が700円で買ってきたビニール製のグローブを大切に使い、小学5年生の時に父がアメリカ出張で買ってきた3000円ほどのグローブは中学3年まで使い続けた。ユニフォームは破れるたびにつぎはぎを重ね、穴の開いたスパイクはガムテープで補修して試合に出場したこともあった。
経済的な事情は、時として少年を苦しめた。少年野球チームの遠征費の支払いが遅れると、周囲から心ない言葉を浴びせられた。「ぼろっちいユニホームのやつがいると恥ずかしい」。そう言われ、大弥は「もう学校行きたくない」と両親に告げた。
その時、父・享さんは息子をこう励ました。「野球やめるのか。学校行かないと野球できないだろ。お前は野球が上手だ。他の子はお金を持ってるかもしれないが、お前には野球のセンスがある」。この言葉で大弥は前を向き、大好きな野球を続ける決意を固めた。
名門・興南高校に進学し、2019年のプロ野球ドラフト会議でオリックスから1位指名された。指名後に出演したTBSの特番「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」で、大弥は家族への感謝の手紙を読み上げた。「お金がなくとっても苦しい時期があったけど、文句ひとつ言わず自分が好きな野球をさせてくれてありがとう。今からが野球人としてスタートなので、プロに入ってたくさん恩返しをしたいと思ってます」。父・享さんはその姿を涙ながらに見守った。
「涙が止まらない」「応援したくなる」 ファンに広がる感動の声
宮城親子の物語がメディアで報じられると、多くの野球ファンが心を動かされた。SNS上では「壮絶な過去を知って涙が止まらない」「こんな苦労があったなんて。ますます応援したくなった」といった投稿が相次いだ。特に、父・享さんの「お前には野球のセンスがある」という励ましの言葉や、ドラフト会議で大弥が読み上げた感謝の手紙のエピソードは、多くの人々の共感を呼んだ。
ファンからは「家族の絆が素晴らしい」「苦労を乗り越えたからこその強さがある」といった声が上がり、宮城投手の人間性や背景を知ることで、より一層応援に熱が入るという反応が広がった。彼のプレーの一つひとつに、家族で乗り越えてきた物語を重ね合わせるファンも少なくない。
「夢を諦めないで」親子で設立した基金 次の世代へつなぐ恩返しの輪
プロ野球選手になる夢を叶えた大弥の「恩返し」は、すぐに始まった。推定8000万円の契約金のうち約2000万円を、出身の小中学校や少年野球チーム、宜野湾市などに寄付。そして2022年2月、父・享さんと共に一般社団法人「宮城大弥基金」を設立した。これは、経済的な理由でスポーツを続けることが困難な沖縄県在住の子どもたちを対象に、用具の提供や遠征費の支援を行うものだ。
「家庭の事情で野球をやめてしまう少年・少女たちもたくさん見てきた」と語る享氏。自身と息子が経験した苦しさを、次の世代に味わわせたくないという強い思いがそこにはある。基金の設立と並行し、享氏は宜野湾市でスポーツ用品店を開業した。かつて息子に満足な道具も買ってやれなかった父が、今、子どもたちの夢を支える側に立つ。宮城親子の恩返しの物語は、まだ始まったばかりだ。
[文/構成 by さとう つづり]
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