ジャンボ尾崎こと、尾崎将司さん78歳が逝去。ステージ4がん闘病も若手育成貫く 関係者が明かす晩年現在の姿と華麗なる経歴振り返る

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日本ゴルフ界の伝説、尾崎将司(おざき・まさし)氏が2025年12月23日、S状結腸がんのため78歳で死去した。プロ野球選手から転身し、世界プロツアー最多の通算113勝、国内ツアー賞金王12回など数々の金字塔を樹立。晩年は「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を設立し、原英莉花、西郷真央、笹生優花らトップ選手を育成。約1年前からステージ4のがんと闘いながらも、最後まで後進の指導に情熱を注ぎ続けた。
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ジャンボ尾崎、伝説に幕。78歳、がん闘病の末に
日本プロゴルフ界を長年にわたり牽引し、「ジャンボ」の愛称で親しまれた尾崎将司氏が、2025年12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため死去した。78歳だった。長男の智春氏が24日に発表した。尾崎氏は約1年前にステージ4のがんと診断された後も、本人の強い意志で自宅療養を続け、最後までゴルフ界への情熱を燃やし続けた。葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行われ、後日お別れの会が予定されている。
異色の経歴、球界からゴルフ界の頂点へ
尾崎氏のキャリアは、他の誰とも比較できない異色のものだった。その原点は野球にある。
甲子園優勝投手からプロ野球選手へ
1947年、徳島県生まれ。本名は尾崎正司(まさし)。徳島海南高校時代はエース投手として活躍し、1964年の選抜高校野球大会でチームを初出場初優勝に導いた。この活躍が認められ、翌1965年にプロ野球の西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。投手としてプロのキャリアをスタートさせた。
「池永には勝てない」ゴルフへの道
しかし、プロの壁は厚かった。特に同期入団した池永正明投手の圧倒的な才能を目の当たりにし、「こんなピッチャーがいたんじゃ、俺なんかピッチャーで飯が食える訳が無い」と痛感。1967年には外野手に転向するも、結果を残せずにいた。一方で、プロ入り後に始めたゴルフにのめり込み、練習を抜け出してゴルフ場に通うほどだったという逸話も残る。野球では池永に勝てないが、「違う世界ではあいつを追い抜く」という強い思いを胸に、1967年限りでわずか3年のプロ野球生活に自ら終止符を打ち、プロゴルファーへの転身を決意した。
「ジャンボ」が築いた不滅の金字塔
1970年にプロテストに合格し、登録名を「将司」に変更。ここから伝説が始まった。180cmを超える長身と、当時就航したばかりの大型旅客機「ジャンボジェット」に由来する「ジャンボ」の愛称で、ゴルフ界に新風を吹き込んだ
豪打で時代を席巻、AON黄金期
プロ転向翌年の1971年「日本プロ」で早々に初優勝を飾ると、その勢いは止まらなかった。1973年にツアー制度が施行されると初代賞金王に輝く。青木功、中嶋常幸とともに「AON(エーオーエヌ)」時代を築き、男子ゴルフの人気を絶頂期へと導いた。豪快なドライバーショットとアグレッシブなプレースタイルは多くのギャラリーを魅了し、石川遼が幼少期に「とんでもない人の数で、砂ぼこりとか、ドタドタっていう足音」に衝撃を受けたというエピソードが、その熱狂ぶりを物語っている。
世界プロツアー最多113勝と数々の記録
尾崎氏が残した記録は、まさに圧巻の一言である。
- プロ通算113勝:世界プロツアー最多記録。
- 国内ツアー94勝:歴代最多。
- 賞金王12回:歴代最多。1994年からは5年連続で戴冠。
- レギュラーツアー最年長優勝:2002年「全日空オープン」にて55歳7カ月29日で達成。
- エージシュート達成:2013年「つるやオープン」でレギュラーツアー史上初のエージシュート(66歳でスコア62)を達成。2017年にも再び達成している。
海外メジャーでもその実力を示し、1973年のマスターズでは日本選手初のトップ10入りとなる8位に入賞。1989年の全米オープンでも6位に入るなど、世界を舞台に戦った。これらの功績が認められ、2010年には世界ゴルフ殿堂入りを果たした。
「体・技・心」— 革命的トレーニングと用具開発
尾崎氏の功績は、勝利数だけにとどまらない。彼は日本のゴルフ界に「アスリート」という概念を持ち込んだ革命児でもあった。プロ野球出身者らしく、早くからトレーニングの重要性に着目。「心・技・体」ではなく「強靭な体がなければ技術は高められず、高度な技術がなければ強い精神は生まれない」とする「体・技・心」の哲学を提唱した。
弟の健夫、直道らと結成した「ジャンボ軍団」では、団体でのトレーニングを導入。重いバットを振る練習や、独自に考案した器具を用いたフィジカルトレーニングで、ゴルフ界の常識を覆した。また、用具開発にも熱心で、現在では当たり前となった「アプローチウェッジ(AW)」は、ピッチングウェッジとサンドウェッジの間の距離を埋めるクラブを求めた尾崎氏の発想から生まれたものである。
















































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