【経歴解説】仙台育英サッカー部、部長笹原義巳氏とは。選手・指導者としての歩みと辞任の背景

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仙台育英高校サッカー部の「構造的いじめ」問題を受け辞任した笹原義巳氏は、元JリーグのGK。選手引退後はJクラブでGKコーチを歴任し、2017年から同校で指導。豊富な経験を持つ指導者の下で起きた問題は、部活動のあり方に大きな問いを投げかけている。
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名門を揺るがす事態、監督・部長が辞任
全国高校サッカーの強豪、仙台育英学園高校(宮城県)の男子サッカー部で発覚した「構造的いじめ」問題。同校が全国大会への出場辞退という異例の決断を下す中、2025年11月19日、チームを率いてきた笹原義巳部長(51)と城福敬監督(68)が辞任したことが明らかになった3, 。学校側は辞任の理由を明らかにしていないが、一連の問題の責任を取ったものとみられている。元Jリーガーであり、Jクラブで豊富な指導経験を持つ笹原氏とは、どのような人物だったのか。その経歴をたどる。
選手としての軌跡―Jリーグでプレーした元GK
笹原義巳氏は1974年4月2日、鹿児島県に生まれた。高校サッカーの名門・鹿児島実業高等学校から鹿屋体育大学へ進学。大学卒業後、1997年に本田技研(現・Honda FC)に加入し、社会人選手としてのキャリアをスタートさせた。
1999年には、当時Jリーグに加盟したばかりの川崎フロンターレに移籍。ゴールキーパー(GK)として2001年まで在籍した。その後、2004年にはサガン鳥栖で現役復帰を果たしている。Jリーグでの通算出場試合数は35試合であった。
指導者への転身―Jクラブから高校サッカーへ
現役引退後、笹原氏は指導者の道へ進む。2002年から地球環境高等学校のGKコーチを務めたのを皮切りに、Jリーグのクラブで専門的な指導経験を積んでいった。主な経歴は以下の通りである。
- 2004年 – 2008年: サガン鳥栖 GKコーチ
- 2010年 – 2012年: 愛媛FC GKコーチ
- 2013年 – 2015年: モンテディオ山形 GKコーチ
J2の複数クラブでゴールキーパーの育成と強化に携わり、チームのJ1昇格にも貢献した。そして2017年、新たな挑戦の場として選んだのが、高校サッカー界の名門・仙台育英学園高等学校だった。当初はGKコーチとして着任したが、後にサッカー部長を兼任し、チーム運営の中核を担う存在となっていた。
仙台育英での役割と「構造的いじめ」問題
全国屈指の強豪校を指導
仙台育英サッカー部は、全国高等学校サッカー選手権大会に過去37回出場し、ベスト4に2度(1956年度、1964年度)進出した実績を持つ全国的な強豪校である。笹原氏が指導に加わって以降も、2019年度(第98回大会)でベスト8に進出するなど、安定した強さを見せていた。
2025年度シーズンも、11月2日に行われた第104回全国高校サッカー選手権宮城県大会決勝で聖和学園を2-1で下し、2年ぶり38回目の全国大会出場を決めたばかりだった。城福監督が「過去最高のチーム」と評するほどの戦力を擁し、全国での活躍が期待されていた。
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