元バレー日本代表・宇佐美大輔氏、父から受け継いだ情熱。バレーボール一家の絆と栄光の軌跡

「コート上の司令塔」として日本バレー界を牽引した宇佐美大輔氏。その輝かしいキャリアは、同じく指導者であった父・義和氏から受け継いだ情熱に支えられていた。選手として、そして指導者として、父から子へと渡されたバトン。バレーボール一家の栄光の軌跡と、その背景にある家族の絆を追った。
栄光のキャリア:日本を背負ったセッター
宇佐美大輔氏の名前は、日本のバレーボールファンにとって特別な響きを持つ。1979年、秋田県横手市に生まれた彼は、東海大学時代にセッターへ転向するとその才能を開花させ、2001年には全日本代表に初選出された。抜群の身体能力から繰り出される変幻自在のトスワークは、多くのエーススパイカーを輝かせた。
キャリアのハイライトは数知れない。2008年には、男子バレーボール界にとって16年ぶりとなる北京オリンピック出場を果たした。翌2009年のワールドグランドチャンピオンズカップでは主将としてチームを牽引し、32年ぶりとなる銅メダル獲得の立役者となった。国内のVリーグでもパナソニックパンサーズの中心選手として数々の優勝に貢献し、ベスト6に何度も選出されるなど、まさに「レジェンド」と呼ぶにふさわしい選手であった。
動画:2010年アジア大会でのプレー(YouTubeより)
指導者一家の背景:父・宇佐美義和氏という存在
宇佐美氏のバレーボール人生を語る上で、父親である宇佐美義和氏の存在は欠かせない。彼が指導者の道を選んだのは、ある意味で自然な流れだったのかもしれない。
父が築いた「雄物川」ブランド
父・義和氏は、大輔氏の母校でもある秋田県立雄物川高校で長年男子バレーボール部の監督を務めた人物だ。その指導期間は21年にも及び、全国的には無名に近かったチームを「春の高校バレー」連続出場の常連校へと育て上げた。 全国3位が最高成績だったが、その手腕は高く評価され、秋田県内では知らぬ者のいない名指導者であった。義和氏は同校の校長も務めており、教育者としても地域に貢献してきた。
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