豊田裕大、厳格な父と歩んだバスケ。3人兄弟の末っ子俳優が育った家族構成とは?そして芸能界への道へ

ドラマ『コスメティック・プレイラバー』や『御上先生』など、話題作への出演が相次ぐ若手俳優、豊田裕大(とよだ ゆうだい、26)。その端正な顔立ちと179cmの長身で人気を集める彼のキャリアの原点には、バスケットボールに捧げた青春と、厳格な父親との知られざる物語があった。本記事では、2025年10月現在の情報に基づき、彼の人間性を形作った家族との関係性に迫る。
3人兄弟の末っ子、キャリアの原点は家族
豊田は1999年4月10日、神奈川県小田原市に生まれた。家族は両親と5歳上の兄、そして姉のいる5人家族である。彼が3歳でバスケットボールを始めたのは、兄と姉がプレーしていた影響が大きかったという。後のインタビューで「ごく自然な流れで、3歳のときにバスケを始めました」と語っているように、彼の人生の最初の情熱は家族と共にあった。
小学生の頃にはプロ選手を志し、中学時代には神奈川県の優秀選手に選ばれるほどの実力を持つ。家族、特にスポーツを後押しする父親の存在が、彼のバスケットボール人生を支えていたことは想像に難くない。
厳格な父との対峙「高級寿司屋」での覚悟
人生の岐路と父への報告
バスケットボール一筋だった豊田に転機が訪れたのは大学時代。プロへの道を断念し、俳優という新たな目標を見出した彼は、人生の大きな決断を家族、特に厳格な父親に伝えなければならなかった。その舞台として彼が選んだのは、高級寿司屋だった。
「殴られないシチュエーションを考えて、高いお寿司屋さんを予約(笑)。報告だけでなく、二十歳まで育ててくれた感謝の気持ちも伝えたかったので……ありったけの現金を持参して、これで出せる限りの料理をお願いします!と予約しました」 (出典:MEN’S NON-NO WEB)
このエピソードは、彼が父親をどれほど畏怖し、同時に深く敬愛していたかを物語っている。それは単なる反抗ではなく、一人の大人として自らの道を示すための、彼なりの儀式だったのである。
父の言葉と家族の絆
父親は当初、芸能界入りに反対していた。しかし、息子の覚悟を受け止め、「まあ、どうせ落ちるだろう」と嫌味を言いつつも、最終的には彼の挑戦を黙認した。そして、豊田が「メンズノンノ」専属モデルオーディションのファイナリストに選ばれたことを報告すると、厳格な父は「がんばれよ」と一言、彼に喝を入れたという。俳優デビュー後には、家族のLINEグループで祝福のメッセージが送られるなど、今では彼の活動を温かく見守っているようだ。
バスケからの転身、挫折が拓いた新たな道
3歳から大学まで約20年間続けたバスケットボール。高校は静岡県の強豪・藤枝明誠高校にバスケ推薦で進学し、寮生活を送った。しかし、全国から集まった才能の中で自身の限界を感じ、「燃え尽きちゃったんです」と彼は振り返る。この挫折が、彼に「自分で人生の選択をしていない」という事実に気づかせた。
バスケを辞めるという決断は、彼にとって初めて自らの意志で人生の舵を切る経験だった。その先にあったのが「表現者」への道、俳優という選択肢だったのである。この大きな方向転換を後押ししたのは、皮肉にもバスケ一筋の人生で味わった挫折経験だったと言えるだろう。
SNSでの反響と現在の活躍
2021年の俳優デビュー以降、彼の知名度は着実に上昇している。特にドラマ『コスメティック・プレイラバー』での演技は大きな話題を呼び、SNS上では「コスラバきっかけでファンになった」「スタイルが良くて顔が本当に綺麗」といった声が多数見受けられる。彼の人気は、モデルとしてのビジュアルだけでなく、俳優として見せる繊細な表現力にも支えられていることがわかる。
Xでのファンの声:
「豊田裕大さんってなんで最近になってあんなに人気が出たのでしょうか!私はコスラバきっかけなので、やっぱりコスラバでしょうか」
「豊田くんてスタイルが良くて顔がめちゃくちゃ良くて本当に本当にかっこいい!!!毎回言ってるけど再認識した…!!」
家族の物語が紡ぐ「俳優・豊田裕大」
兄と姉を追いかけて始めたバスケットボール、厳格な父との葛藤と和解、そして挫折を経て掴んだ俳優への道。豊田裕大という一人の表現者の背景には、ありふれていながらも、彼自身の血肉となった濃密な家族の物語が存在する。父が彼に贈った「不動心」という言葉のように、何事にも動じず、自らの信じる道を歩み続ける彼の今後の活躍から目が離せない。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]

































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