【笠岡市】マルナカ閉店?公式発表がないため地元民に不安の声!
シーサイドモールの「今」と「未来図」
変遷の歴史と現在の姿
笠岡シーサイドモールは1979年、敷島紡績の工場跡地に「ニチイ笠岡店」を核として開業したのが始まりです。その後「笠岡サティ」へと転換しましたが、2002年に閉店。同年、マルナカやザ・ダイソーなどを新たな核テナントに迎え、再出発を果たしました。まさに、時代の変化と共に姿を変えてきた笠岡の「顔」ともいえる存在です。近年はテナントの撤退が散見される一方で、ホームセンター「コーナン」が出店するなど、新たな動きも見られます。
現実味を帯びる「跡地利用」の噂
マルナカ閉店の噂と同時に囁かれているのが、跡地の再開発計画です。地元では「マンションになる」「いや、ホテルらしい」といった様々な憶測が飛び交っています。このうちマンション化については、すでに現実のものとなっています。シーサイドモールの線路側駐車場の一部では、すでに「笠岡駅前分譲マンション」が建てられており、駅前の風景は着実に変わりつつあります。


このマンション建設が、モール全体の再開発の序章なのか、それとも単独の計画なのかは不明です。しかし、敷地の一部で具体的な開発が進んでいるという事実が、モール全体の将来に関する噂に信憑性を与えていることは間違いありません。
公式発表を待つ市民のまなざし
取材の結果、2025年10月現在、「マルナカ笠岡店の閉店」は公式に確認された事実ではないことが分かりました。しかし、KFCの閉店やマンション建設といった周辺の具体的な動きが、市民の不安や憶測を呼んでいます。40年以上にわたり笠岡市民の生活を支えてきたシーサイドモールが、これからどのような道を歩むのか。今はただ、関係各社からの誠実な情報開示が待たれるところです。
※本記事の情報は記事公開当時のものです。ご覧いただくタイミングによっては内容が変更されている場合がありますので、最新情報をご確認ください。
[文/構成 by MEDIA DOGS編集部]
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笠岡シーサイドモール解体は決定していると思います。 なぜなら笠岡シーサイドモールの建物は耐震設備が整っていないため、耐震強化の法令期限に耐震はまにあわないのと、現状の経営では建物修復は不可能で修復に莫大な投資が必要で維持出来ず負債総額は計り知れない物となります。出資先の笠岡信用組合も経営破綻するでしょう。
別件ですが、笠岡市はこのまま行けば、大口納税者である笠岡シーサイドモールの税金は入らなくなり、夕張市のように財政破綻するでしょう。唯一の赤字削減策は、笠岡シーサイドモールの敷地と笠岡市民病院の敷地面積及び敷地の形がほぼ同じなので、土地の交換を行い、笠岡の駅南側(三洋汽船側)現シーサイドモールの敷地に笠岡市民病院を建て替え、現シーサイドモールは現笠岡市民病院を倒した敷地に笠岡モールとして、現入居者を含む活性化を図る事でいくらかの赤字削減策とないうると思います。鉄道とバスアクセスを良くする駅と病院のアクセスを良くし、職員や患者の利便性の向上で病院経営を立て直す(北長瀬駅と病院が隣接している形)ことが出来れば、まだ笠岡市は生き残れる可能性があります。現シーサイドモールモールの位置に笠岡市民病院が来ることによって、島しょ部の緊急患者受け入れが船桟橋と病院が近接し患者受け入れが容易になり、病院と駅が近接すれば、鉄道、バスでの患者受け入れも容易になります。原場では駅と病院が遠く徒歩ないしはタクシーバスですが、利便性は全くといって良いほどよくありません。利便性の向上で生き残らなければ、10年後の笠岡市は消滅する危機に有ると思われます。
現在、商業の中心は番町地区にあります。番町地区と駅、航路の交通整備も重要と考えられます。
船航路(三洋汽船)は伏越港フェリー乗り場に桟橋を設け、島しょ部のお客さんの利便性の向上を目指し各島しょ部から伏越港経由で笠岡港へ笠岡港から伏越港経由から島しょ部、井笠バスは駅~市役所~伏越港~番町地区~富岡~井笠車庫と言うように人の流動性に合わせて交通網の整備をしないと、いまのままでは笠岡シー再モールが存続するどころか、笠岡市民病院、ひいては笠岡市の存続はないでしょう。
MEDIA DOGS – メディアドッグス –さんの方で、この問題をさらに深堀し、笠岡市がどう未来に向けて存続していくのか、さらなる話題と取材を積み重ねての継続的に独自の視点でわかりやすく情報を発信して頂けたらと思います。
もう少し突っ込んで取材を敢行すれば何かが見えてくるのではないかと考えます。